サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福

2018年8月14日 火曜日 雨

 

ユヴァル・ノア・ハラリ サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 柴田裕之・訳 河出書房新社 2016年(原著は2011年)

それでは、もくろみが裏目に出たとき、人類はなぜ農耕から手を引かなかったのか? 一つには、小さな変化が積み重なって社会を変えるまでには何世代もかかり、社会が変わったころには、かつて違う暮らしをしていたことを思い出せる人が誰もいなかったからだ。そして、人口が増加したために、もう引き返せなかったという事情もある。農耕の導入で村落の人口が一〇〇人から一一〇人へと増えたなら、他の人々が古き良き時代に戻れるようにと、進んで飢え死にする人が一〇人も出るはずがなかった。後戻りは不可能で、罠の入口は、バタンと閉じてしまったのだ。 より楽な暮らしを求めたら、大きな苦難を呼び込んでしまった。しかも、それはこのとき限りのことではない。苦難は今日も起こる。どれだけ多くの若い大学卒業生が、がむしゃらに働いてお金を稼ぎ、・・・(中略)・・・彼らはいったいどうしたらいいのか? 植物の根を掘り返す生活に戻るのか? とんでもない。彼らはなおさら一生懸命取り組み、あくせく働くのだ。 歴史の数少ない鉄則の一つに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、ある贅沢品にいったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。・・・(中略)・・・私は以前の手間と暇をすべて省けたわけだが、前よりもゆとりある生活を送っているだろうか? (ハラリ、同書、p116-117)

 

たいていの社会政治的ヒエラルキーは、論理的基盤や生物学的基盤を欠いており、偶然の出来事を神話で支えて永続させたものにほかならない。歴史を学ぶ重要な理由の一つもそこにある。・・・(中略)・・・インド社会の複雑さやアメリカ大陸の人種的ダイナミクスは生物学では説明できない。これらの現象を理解するには、想像力が生み出した虚構を、残忍で非常に現実味のある社会構造に変換した出来事や事情、力関係を学ぶしかないのだ。(ハラリ、同書、p183)

 

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