自由と身勝手を履き違えている愚かなあやつり人形

2018年8月24日 金曜日 曇り(夜に雨の予報)

カルロ・コッローディ ピノッキオの冒険 大岡玲訳 光文社古典新訳文庫 2016年 (原著は1881-83年)

自由と身勝手を履き違えている愚かなあやつり人形(大岡玲、同書解説、p344)

 

「ピノッキオの冒険」の青い髪の仙女には、作者の母への思いが投影されているように感じられる。最愛の母アンジョリーナが一八八六年に亡くなった時、コッローディはその喪失感から引きこもりがちの生活を続け、四年後に自らも世を去った。(大岡、同書解説、p340)

 

コッローディが、奇跡を起こす神の子イエスに見紛う存在として、わざわざあやつられることが宿命であるあやつり人形を設定し、その人形が人の子として人間的自由を獲得するまでの道程を描いた意味は、決して軽くないと思えるのである。(大岡、同書解説、p347)

 

ピノッキオのロバ化:

コッローディは、当時イタリアの大きな社会問題であった子供の人身売買を、この挿話に落とし込んでいる。「クオーレの時代」(藤澤房俊著、ちくま学芸文庫)によれば、「子供の売買は、十九世紀中頃になると組織化された一つのビジネスとして機能するように」なり、「売られた子供たちは、イタリアだけでなくフランス、ドイツなどのヨーロッパ諸国、そしてアメリカなどに連れていかれて、大道芸人や乞食として働かされ」たのだという。(大岡、同書解説、p350)

 

しかし、読者の抗議と要求に従って、連載を再開することにした瞬間から、コッローディの作者としての「回心」と苦闘が始まったのだ。(大岡、同書解説、p357)

 

いざ、では、あやつり人形がなりたい「人間」とは何か、という問いに遭遇した時、その答えを明確に出すことはきわめてむずかしいからである。(大岡、同書解説、p358)

 

人間の子となったピノッキオの前途にも、必ずまた不条理や不正、不幸はふりかかってくるはずだ。その時に彼を救うのは、もう仙女の力でも奇跡でもない。弱き人間同士の献身や利他、友情、愛が、「人間ピノッキオ」を救うのであり、同様に彼もまた、他者を助けなければならない。(大岡、同書解説、p360)

 

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