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ドストエフスキー「白痴」:ナスターシャと「忘れえぬ女」 

2019年1月14日 月曜日(成人の日で祝日) 曇り

2019-3 顔はほがらかに見えますが、実際はものすごく苦しんでこられたんじゃありませんか?


「驚くべき顔です!」公爵は答えた。「それに、この人の運命は、並大抵のものではないように思います。顔はほがらかに見えますが、じっさいはものすごく苦しんでこられたんじゃありませんか、え? 目がそれをあらわしていますよ。それにこのふたつの骨、目の下の頬の部分にあるこのふたつの点。これは、誇り高い顔です、ものすごく誇り高い。でも、どうなんでしょう、彼女って気立てがいいんでしょうか? ああ、気立てがよかったら! すべてが救われるのに!」(同、第一部、第3章、亀山訳 光文社古典新訳文庫 p89)


 ・・「とびきりの美人さんだ!」公爵は熱くなってすぐにそう言い足した。  

 写真にはじっさい、異常なまでに美しい女性が写し出されていた。その女性は、驚くほどシンプルかつエレガントな仕立ての、黒いシルクのワンピースを身につけてていた。見た感じでは、髪は濃いブロンドらしく、飾り気のないごくありきたりなスタイルに束ねてあった。目の色は黒っぽく深みを帯び、額はもの思わしげだった。顔の表情は情熱的で、どこか傲慢な感じもした。面立ちはいくぶん頬がこけ、顔の色は青白いように見えた。(亀山訳、p75)


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補註 190126 画像はラファエロの聖母像(ウィキペディアより引用、パブリックドメインにある画像とのこと)。ドストエフスキーの白痴とのつながりも深い。ドストエフスキーはドレスデンでこの絵を何度か見ている。私もドレスデンを訪れた折にきっとこの絵に出遇っていたはずである。緑のカーテンで仕切られていることに注目。画面下の二人の天使は、ひょっとして公爵とラゴージン? 向かって右手の青の服に緑のガウンを羽織って聖母に取りなしを乞うている女性は聖バルバラと言われている。兼子盾夫氏の美学的見地からの論文をご参照下さい。「ドストエフスキーの『白痴』と二枚の絵 : ラファエルロの「サン・シストの聖母」とホルバインの「棺のなかのキリスト」DOSTOEVSKI’S IDIOT & TWO PAINTINGS : Raffaello’s Madonna Sistina & Holbein’s Christ in the Coffin」https://ci.nii.ac.jp/els/contents110007163197.pdf?id=ART0009118884

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左はイワン・クラムスコイの自画像。右は、イワン・クラムスコイ<忘れえぬ女(ひと)>1883年の部分図。

補註 190228追記 上記<忘れえぬ女>、原題<見知らぬ女(ひと)>。「堂々として浅黒く半ばジプシーのような美しさ」とその当時の美術評論家が書いた若く麗しい女性について、ある者は皇帝の宮廷に近い具体的な人物を推量し、ある者はトルストイの小説「アンナ・カレーニナ」を、またある者はドストエフスキーの「白痴」のナスターシャ・フィリッポヴナを重ねあわせた。・・これらの文学のヒロインはそれぞれ、その行動と生き方によって、ブルジョワ社会のモラルの慣行に挑戦した。」(「国立トレチャコフ美術館展・忘れえぬロシア・リアリズムから印象主義へ」カタログp82-83より引用)

私は、この <忘れえぬ女(ひと)> にこの展覧会で遇うことができた。8月の広島、2009年の夏。

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