読書ノート

志ん朝のカラス・キツネ・タヌキ

古今亭志ん朝 二十歳の頃・ウィキペディアより

https://www.youtube.com/playlist?list=PLrqWieo0NVjCCN7qpWc5IT6zGHGGxnrcG に「落語チャンネル」の志ん朝の動画のリストあり。

2019年2月26日 火曜日 晴れ

補註 アイキャッチ画像は京マチ子さん(ウィキペディアから引用の画像;『楊貴妃』(1955年)のスチール写真)。「駒長」のお駒(こま)さんとも「王子の狐」のお珠(たま)ちゃんとも直接関連しませんが、一応、連想画像として選んでみました。つくづく眺めてみると実に妖艶な雰囲気を醸すスチルですね。・・This image is now in the public domain in Japan ・・https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Machiko_Kyō_1955.jpg

補註 お稲荷さんと狐の民族学については、吉野裕子(よしのひろこ)さんの狐にかんする著作をご参照下さい。たとえば、吉野裕子全集・第4巻 人文書院 2007年 「狐」など。「陰陽五行の原理と応用という視点から蛇と狐の忘れられた呪性をみごとに解き明かす!」と同書の帯に載っています。

志ん朝復活

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古今亭志ん朝 駒長  https://www.youtube.com/watch?v=Q86_NVYmc2w ユーチューブサイト 同じく https://www.youtube.com/watch?v=-X6Me_BeWhg(画像のみ) 同じく https://www.youtube.com/watch?v=i7UghNViQYY(1981年4月) 私の耳では同じ音源のように思われた。


補註 「駒長」では、導入(イントロ)でカラスがカカア〜カカア〜。ファイナル(落とし)でもカラスが登場する。

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古今亭志ん朝 王子の狐 https://www.youtube.com/watch?v=aEKbYYvqJZU ユーチューブサイト


「勘定というものは、人間だけでなく、キツネにも怖いものらしい。」(王子の狐)

今戸焼の狐馬


補註 「王子の狐」では、イントロで狐や狸。京都では伏見稲荷、東京では王子稲荷。明治通りの突き当たりが王子。飛鳥山は花の名所。紅葉見物は滝野川・音無しの滝。


私(補註者)は、18歳で東京に出て来て、初めて住んだのが北区中里(JR駒込駅)。大学を卒業して、引っ越した先が同じ北区の滝野川、滝野川の商店街を経由して上池袋の職場に通った。子育てをしたのが板橋区の加賀・・仲宿商店街で買い物、石神井川で散歩。子供服を調達するため十条銀座へはよく通った。石神井川が板橋から王子へ歩く遊歩道が好きだった。王子の親水公園はL氏が最初に水遊びをしたところ。・・とうことで、私の25年間の東京暮らしは滝野川・板橋あたりで回っていたのだなあ。


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古今亭志ん朝 千両みかん https://www.youtube.com/watch?v=KrevnpZ6BdY

補註 千両のみかんの値を値切ろうとしないのは日本の伝統か? 「これが千両? 安いな〜!」

可愛いせがれの命を何とか助けたいため・・みかん一袋百両!

十三の年から一生懸命働いてせいぜい五十両。

補註 江戸時代の貨幣価値 http://quercus-mikasa.com/archives/9173 によると、番頭さん39歳が預かったみかん3袋〜300両の価値は、棒手振300か月の賃金に相当する。今のお金で約3600万円。う〜ん、高いかも?

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ついで、タヌキ。

古今亭志ん朝 狸賽 https://www.youtube.com/watch?v=E2ceUkpsC4c&index=8&list=PLc96R90XWx08M9rT4c5LWkPVyDaxFwS4C 「平成狸合戦ぽんぽこ」の紹介も付いている。

同じく、志ん朝さんの「化け物使い」、 https://www.youtube.com/watch?v=dZKD8TGF1NA  これは動画付き。志ん朝さんが若々しい。いろいろとある「タヌキもの」の中でもこれは私のお気に入りである。


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圓朝(ウィキペディアより引用)

駒長の蘊蓄: 補註 「駒長」のお話はなかなか込み入ってうまくできていて、圓朝の香りが漂うと思っていたが、調べてみるとやはり、

<以下引用> http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2006/12/post_159e.html 「円朝作の不倫噺 原話は、明和5年(1768)刊の笑話本「軽口はるの山」
巻四の「筒もたせ」とみられます。」とのこと。「これをもとに、明治初年に三遊亭円朝が一席の落とし噺に仕立てたとみられますが、円朝自身の速記は残っていません。・・・(中略)・・・代わりに、春陽堂版「円朝全集」(昭和2年刊)には、円朝の口演をもっとも忠実にコピーしたとされる門下の三遊一朝(昭和5=1930年没)の速記が掲載されました。なお、この噺の登場人物名は、すべて講談の大岡政談や浄瑠璃中の、白子屋お駒の情話から取ったものです。」とのこと。 「戦後は、五代目古今亭志ん生が一手専売で、ほかに演じ手はありませんでした。おそらく、敬愛する四代目円喬の速記などから独力で覚えたものでしょう。子息の志ん朝が継承していました。」とのこと。 http://senjiyose.cocolog-nifty.com/fullface/2006/12/post_159e.html 

古今亭志ん生

志ん朝さんの落語のあらすじは http://sakamitisanpo.g.dgdg.jp/komatou.html

また志ん生さんのパフォーマンスは以下で聴くことができます。これのマクラは有名な「小話いくつか集」から始まっていました。 https://www.youtube.com/watch?v=QqHb6fqEmp4 

古今亭志ん朝(ウィキペディアより引用)


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