縄文海進・海退

山田康弘 縄文時代の歴史 講談社現代新書 2510 2019年

縄文海進

縄文時代早期から前期における重要な環境変化は、なんと言っても温暖化とそれに伴う海進だろう。約七〇〇〇〜五九〇〇年前の高温ピーク時には、現在よりも二度ほど気温が高く、また海水面は2.5メートルほども高くなり、東京湾沿岸部では現在の栃木県域にまで海が入り込んでいた。これを奥東京湾という。・・・(中略)・・・

関東では黒浜(くろはま)式土器(今から約六〇〇〇年前)の時期以降、次第に気温自体は低下していったが、それも急激なものではなく、むしろ温暖で安定した気候が続いていた。五九〇〇〜四四〇〇年前頃の時期、武蔵野台地などの関東平野の植生はクリ林が優勢になってくる。・・・(中略)・・・そのような温暖で安定した気候のもと、縄文時代前期・中期の文化は花開いたのだ。(山田、同書、p146-147)

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急激に増加した人口

早期の全人口が二万人程度であったのに対し、前期には一〇万人を超え、中期には二四万人にも達している。・・・(中略)・・・すなわち縄文時代前期から中期という時期は、人口が早期に比して五倍から一〇倍以上にも増加した時期で、それだけ安定した、豊かな生活が営まれた時期と捉えることもできるだろう。・・・(中略)・・・

また、人口の東西差にも注目して欲しい。たとえば、中期の東日本(含む東海地方まで)における推定人口は二二万七二〇〇人で、西日本(近畿以西、九三〇〇人)よりもおよそ二四倍も多く、そのような東多西少の状況は縄文時代の早期以降変わらない。このような東西における人口の格差は、各地域における生業戦略のあり方、精神文化のあり方、社会構造などに大きな影響を及ぼしていたに違いない。(山田、同書、p148-149)

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遺跡数の減少

縄文時代の中期末から後期初頭の関東地方では、大きく遺跡数が減少する。・・・(中略)・・・それに応じて人口も減少し、人々は住居が一棟から数棟しかない小規模な集落に居住するようになったこともわかっている。(山田、同書、p222)

4.3kaイベント

ちょうど中期と後期の間頃には、環境史による研究成果から気候の極端な冷涼化があったことがわかっている。この気候の冷涼化は、およそ四三〇〇年前に起こり、その年代から4.3kaイベントと言われている。・・・(中略)・・・この時期の環境的変化は次のようになる。

 気候が冷涼化することによって海水面は低下し、海岸線は遠ざかった。これを海退という。その結果、関東地方の台地周辺では谷が発達し、低地では土砂の再堆積による自然堤防や砂州の生成、扇状地形の発達が促された。・・後期になると中期の時期に利用できた多くの低地部の土地が急激に埋没してしまい、生活環境が変わってしまった。当然ながら、食料となっていた動植物の分布の仕方も大きく変化しただろう。そして冷涼化に伴って、そのバイオマス自体も減少し、利用方法にも変化が生じたに違いない。(山田、同書、p222-223)

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