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自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学

2019年3月13日 水曜日 雪

真木悠介 自我の起原 愛とエゴイズムの動物社会学 岩波書店 2008年

<個体>という生の形態が本来はドーキンスのみるとおり、生成子(= gene)の再生産のメディアとして派生した現象であることは正しいだろう。けれども進化のどの時点でか、みずからの創造主にたいするこの<被造物>の反逆は起こったのである。つまり「個体」は、このかりそめの形態自体を自己目的化する主体として自立する。(真木、同書、p79)

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遺伝子の、細胞の、個体の、家族の、企業の、国家の、種の、等々の利己性 selfishness が存在する。利個性 egoism はその一水準だけれども、利己性という問題の本来のトポスであった。(真木、同書、p80)

補註 トポス ウィキペディアによると・・・トポス: τόπος)とは、ギリシア語で「場所」を意味する語であり、以下の用法がある。 トピカ (アリストテレス)(トポス論) – アリストテレス弁証法に関する著作。 トピカ (キケロ)(トポス論) – キケロ弁論術に関する著作。 トポス (詩学) トポス (数学) トポス (ディスカウントストア) トポス (小説)

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テレオノミー的な主体性

テレオノミーとは、「何のために」という問いに対する答えである。テレオロジー(目的論)ということばの、神秘主義的な感触を乾燥するためにドーキンスが用いている用語である。(真木、同書、p83-84)

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・・第1に哺乳、第2に保育期間の延長、第3に学習能力とシミュレーション能力、第4に群居と社会性、これら「個体」の、生成子(=gene)のメディアであることからの自立と、<主体化>を生みだしてきた条件は、個体の自己中心化への力であると同時に、また個体の脱自己中心化への力でもある。このことは<自我>という現象の原的な<脱自我性>ともいうべきものを根拠づけているように思われる。<主体>がテレオノミーとして選択することのできる2つの方向、求心化と遠心化とは、テレオノミー的な主体性の獲得の根拠それ自体によって、原的に同時に与えられているからである。(真木、同書、p97-98)

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<かけがえのない個>  ・・このような勝義の個体識別が脊椎動物の、それもいくつかの散在する種社会にのみ特有にみられる関係であることは確実であるようである。  そしてこのような個体の固有性への相互関心と識別能力が折り返して自己自身のアイデンティティの固有性という感覚の前提となると考えていいはずである。  つまり<自己意識>は一般に、他の個体との社会的な関係において反照的に形成されるが、その文脈となる社会関係が、このように「個体識別的」である時にはじめて、それはわれわれにみるような、かけがえのないものとしての<自我>の感覚を形成するものとなるだろう。(真木、同書、p126)

補註 勝義とは?  しょうぎ【勝義】その言葉の本質的な意味。 「自由主義は―において自律を重んずる」。仏教で、最高である真実。

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・・「他の個体」の側からみるなら、すなわち、働きかけられてあるもの、としてのわれわれの側からみるなら、その個体の身体や「性向」というものが、自らの宿す生成子(=gene)たちのためにデザインされているだけでなく、他の個体(の宿す生成子)たちのためにもまたデザインされてあるということだ。そして「操作」の最も安定した形態は幾度もいうように、他者がその働きかけられてあることに対して、歓びを感じるような仕方で誘惑することである。(真木、同書、p141-142)

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この仕事は、次のような全体構想をもつ<自我の比較社会学>の、第1部の骨組みである。

I 動物社会における個体と個体間関係

II 原始共同体における個我と個我間関係

III 文明諸社会における個我と個我間関係

IV 近代社会における自我と自我間関係

V 現代社会における自我と自我間関係

(真木、同書、p165)

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