アイヌ学入門 縄文語との関係

2019年4月8日 月曜日 晴れ


瀬川拓郎 アイヌ学入門 講談社現代新書2304 2015年


 古墳時代を迎えた本州の社会は、鉄の道具を大量に生産し、その流通を統制することで政治的な社会を形成していました。古墳時代の社会は金属器の流通統制機構とも評されます。

 古墳時代の四世紀になると、北海道の続縄文文化の人びと(アイヌ)はこの鉄製品を手に入れるために、古墳社会の前線地帯だった仙台ー新潟付近まで南下していました。・・・(中略)・・・

 しかし五世紀後葉になると、古墳社会の人びとが東北北部へ北上していきます。それにつれて、アイヌの進出する地域は北へ押しあげられます。六世紀になるとアイヌは北海道へ撤退し、あるいは古墳社会の人びとに取り込まれるなどしてゆき、古墳社会の人びととの交易拠点である東北北部の太平洋沿岸へ、北海道から往来するようになってゆきます。

 東北北部へ北上してきた古墳社会の人びとは、その後、王権の側からはエミシとよばれ、異民族視されるようになります。(補註*)ただし、歴史学では、かれらが異民族としての実態をもつ人びとだったとは考えていません。

 ・・七世紀後葉から九世紀にかけて、東北北部太平洋沿岸の古墳社会の人びとの末裔は北海道へ移住します。アイヌの宗教や儀礼で用いられるカムイ(神)・タマ(魂)・ノミ(祈む、のむ)といった言葉は、古代日本語に由来したというのが定説ですが、このような宗教や儀礼の言葉や観念を伝えたのは、北海道へ移住してきた人びととおもわれます。つまりこのことは、東北北部に進出してきた古墳社会の人びとが、古代日本語を話し、古代日本の宗教をもつ人びとだったことを意味しているのです。

 このようにみてくると、東北地方でアイヌ語集団と日本語集団が入れかわる状況は、四〜六世紀における古墳社会の人びととアイヌの入れかわりのとき意外にはありえなかったことになります。ですから、アイヌ語が四〜六世紀の時点で話されていたとすれば、それは縄文時代にまでさかのぼる言語である可能性がきわめて大きいと考えられるのです。(瀬川、同署、p71-72)

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(補註* このへんの事情に関してもう少し詳しく知りたいと思う。今後の課題。)

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