桂文楽 芸談あばらかべっそん

2019年2月8日 金曜日 曇り


八代目・桂文楽 芸談 あばらかべっそん ちくま文庫 1992年(オリジナルは青蛙房 1957年、桂文楽65歳のころ、「聞き書き」、筆者は1958年に逝った正岡容(まさおかいるる)で、桂文楽の親友であった、とのこと、同書解説、p321)

朝日新聞社 – 『アサヒグラフ』 1949年1月12日号 パブリック・ドメイン File:Katsura Bunraku the 8th.JPG 作成: 1949年1月12 https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Katsura_Bunraku_the_8th.JPG

 ・・しかし完全な越後の言葉でしゃべると全国的には分からなくなってしまいます。 ですからやはり落語の田舎言葉でやるよりないとおもいますネ。よく咄家は信州も上州も甲州も同じ言葉でしゃべっていけないといわれますが、じつはわれわれの祖先がいまいったようなことを考えて、うそは百も承知で各国共通の田舎言葉をこしらえてくれたのだとおもっています。(文楽、同書、p256)

補註: 落語の田舎言葉の例として、たとえば金馬さんの「権兵衛狸」  https://www.youtube.com/watch?v=9RS9TZdRPSA  落語田舎言葉の標準語と言えそうだ。

・・師匠(=左楽、五代目左楽)の方はそのたんびに前に話したことを忘れちまっちゃ、またその洋妾(らしゃめん)ののろけをいいだします。  そのたんびにバカバカしくはあるが、これがつとめだとおもって、  「フムフム」  とうなずいて私がきいていたら、また歌六さんに叱られたネ。  「去年きいた話じゃねえか。それをそんな感心した顔なんかしてきいてやがって。このオベッカヤロー」  でも、一面には「きき上手におなりよ」という母の教訓が、身にしみついていたのかもしれません。(文楽、同書、p306)

・・「お前を文楽にするとき、私アどれほど敵をこしらえたか・・」  とたんにハッと気が付いたら、胸許へ五寸釘でも打ち込まれたような気がしました。  (アア、自分は今日までひとりで文楽になったような気になっていたのに、こんなにまで師匠(=五代目左楽)に苦労をかけていたのか)(文楽、同書、p313)

・・私は六代目文楽のはずですが、現在八代目になっております。  それは間にひとりセコ(まずい)な文楽があったらしく、そうなると我々仲間の習いで、そのひとを何代目ということから削ってしまいます。  ですからほんとうは七代目なんですが、七より八の方がひらいていいと、昔のことですから師匠が縁起をかついで、八代目文楽となりましたのでございます。(文楽、同書、p318)

 さて私はいつも申し上げますよう、芸の師匠に先代円馬、人生の師匠に五代目左楽を持ったことを、じつに幸福だとおもっております。  また、いまも多少なりと自慢できるのは、人を怨んだことがなく、好きで入った社会ゆえ、芸の悩みこそありましたが、ほかには辛いとおもったことがないことです。(文楽、同書、p318)

 いまの若手は「芸」のおそわり方を知りませんネ。  また、おしえ方もちがって来た。  何もおせじなんかいう必要はないが、おしえてくれる先方さまの気分をよくさせるように、なぜからだで尽くさないかとおもいます。  私なんか五代目の師匠(=左楽)のとこの大掃除には、さん生のときはもちろん、文楽になってからも真っ先に便所と縁の下と天井裏との掃除を買ってでて、ズーッと引き受けとおして来た。  そうしたら、しまいに師匠の方で、  「およしおよし、そんなところをやるのは。そこは誰でも若い者におやらせ」  と、とめてくれました。  こんなことは、いまのわかい人たちによくよく考えてもらいたいとおもいます。(文楽、同書、p311-312)


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