古今亭志ん生 なめくじ艦隊

2019年1月30日 水曜日 曇り


古今亭志ん生 なめくじ艦隊 ちくま文庫1991年(オリジナルは1956年)


 あたしは、関東大震災の直後から昭和11年まで、十数年間の永いあいだ、この業平町でしがねえ長屋住居をして、ずいぶん苦しいこともあったし、また、おもしろいことも沢山ありました。 はじめの頃は、こんなところに永く居らりやしないと思ったこともたびたびでしたが、住めばみやこでしまいには、なんだか離れがたいような心持ちになっちまったんです。それというのも、となり近所の人々とよく気が合って、人情がこまやかだったからですよ。(志ん生、同書、p119)


 そんなはげしい大空襲の下でのんだ時のビールの味なんてものは、忘れられるもんじゃありませんナ。 戦争なんていうものは、ぶいぶん恐ろしいことも、苦しいこともありましたけれども、そのうちにもまた、言うに言われない楽しみもあったんです。(志ん生、同書、p129)


 ・・あんまり早くから人気が出て売り出すてえと、きっと早くくたびれちまうんですナ。みんな若い時分には威勢がよくて、はなばなしいが、年とってくると地味になって、ガタンと落ちてくるもんですからね。・・・(中略)・・・ もっともあたしなんざア、人間がハラの中から若いんだから、自分が年をとったなんてことはちっとも考えちゃいません、若いもんとおんなじような気分でいるんですよ。(志ん生、同書、p143)


 ・・あたしたちの商売というものは、そういうふうに下町のはしにも棒にもかからないような人間がなっているんです、たいがいはね。そうして、さんざ浮世の苦労をなめつくして、すいも甘いも知りぬいた人間が聞くべきものなんです。それが落語というものなんですよ。・・・(中略)・・・ その意味からいえば、ほんのある一部の人が聞いて喜ぶべきものなんですね。世の中のウラのウラをえぐっていく芸なんですから・・。・・・(中略)・・・ もともと落語てえものは、おもしろいというものじゃなくて、粋(すい)なもの、おつなものなんですよ。(志ん生、同書、p156)


 古い噺てえものは、何べんきいても味があるけれど、そういう噺って、何万という噺の中から残った、本当の名作ばかり一つか二つかです。だから、そういう噺には捨てがたい味がある。・・・(中略)・・・むかしの噺てえものは欲でこさえたものじゃなく、こういうおつな噺があるってんで自然にできあがったものなのに、いまの噺てえものは、何でもいいから客を笑わせるつもりで、でっち上げるもんだから、鼻もちならんようなものも出てくる。  つまりチャチなくすぐりが多くなって、自然のおもしろみやおかしみじゃなくて、とってつけたようなおかしみになってくる。・・・(中略)・・・ ただあたしが考えるのは、なにかしらもっと世間がおちついてくると、そういったごく古いものを噛みしめて味わってくれる人がまたふえるんじゃないか。(志ん生、同書、p180-181)


 ・・あたしが満州へ行く気になったほんとうの気持ちは向こうへ行くてえと酒がいっぱいあるという話なんで、こっちは御承知のように呑み助ですから助平根性をおこしたわけですよ。全く東京は酒が不自由でしたからね。 それともう一つは、近いうちに東京へ敵前上陸があるから、竹槍でもってそいつに立ち向かうんだというウワサがあったんですよ。(志ん生、同書、p225)


 ソ連の兵隊の進駐: どいつもこいつも、仁王様のイトコみたいなでっかいやつで、そのなりてえものが、きたねえのなんのって、ただ申しわけに服を着ているというだけで、いま監獄から脱走してきました・・というような格好をしていやがる。その人相てえものも似たり寄ったりで、海賊そっくりなやつばかり・・。 ところが、あたしらの目にくるいはなかったんですよ。というのは、監獄にそれまで入っていた囚人をよこしたんですからね。探りに・・。(志ん生、同書、p246-247)


 一月十二日(昭和22年)、日本向けの船が出るという知らせがきた: どんなによぼよぼしている老人でも、また重病人でも、死ぬんなら内地の土地を踏んでから死にてえというのが念願でしてね、寝てもさめても帰国ばなしばかりでした。(志ん生、同書、p270)

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