第一次世界大戦が始まった理由 

2014年4月1日 火曜日

Lさんへ

マスコミに載らない海外記事さんのサイトに紹介されているポール・クレイグ・ロバーツ氏の記事で、第一次世界大戦開戦の理由に関して以下のような記載を見ました。

<以下引用>

Pushing Toward The Final War — Paul Craig Roberts

In The Genesis of the World War, Harry Elmer Barnes shows that World War 1 was the product of 4 or 5 people. Three stand out: Raymond Poincare`, President of France, Sergei Sazonov, Russian Foreign Minister, and Alexander Izvolski, Russian Ambassador to France. Poincare` wanted Alsace-Lorraine from Germany, and the Russians wanted Istanbul and the Bosphorus Strait, which connects the Black Sea to the Mediterranean. They realized that their ambitions required a general European war and worked to produce the desired war.

Pushing Toward The Final War — Paul Craig Roberts

Barnes’ book was published in 1926. His reward for confronting the corrupt court historians with the truth was to be accused of being paid by Germany to write his history. Eighty-six years later historian Christopher Clark in his book, The Sleepwalkers, comes to essentially the same conclusion as Barnes.

Pushing Toward The Final War — Paul Craig Roberts

<以上、引用終わり>

マスコミに載らない海外記事さんのサイトでの日本語訳からも少し引用します。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-c8d7.html
<以下引用>

『世界戦争の起源』The Genesis of the World Warで、ハリー・エルマー・バーンズは、第一次世界大戦は、4から5人による産物だったことを示している。中でも三人が突出している。フランス大統領レイモン・ポアンカレ、ロシア外務大臣セルゲイ・サザーノフと、駐フランス・ロシア大使アレクサンドル・イゾルスキーだ。ポアンカレはドイツのアルザス・ロレーヌを欲しがっており、ロシアは黒海と地中海を結ぶイスタンブールとボスフォラス海峡を欲しがっていた。彼等は、野望の実現には、広範なヨーロッパでの戦争が必要であることを悟り、望んでいる戦争を起うこすよう励んだ。

露仏同盟が結成された。この同盟は戦争を画策する手段と化した。イギリス政府のサー・エドワード・グレイ外務大臣は、その無能さ、愚昧さなり、なんなりのおかげで露仏同盟に引き込まれた。戦争はロシアの動員で始まった。ドイツ皇帝、ウィルヘルム2世は、戦争を避けるためにできるあらゆることをした事実にもかかわらず、戦争責任を彼のせいにされた。

バーンズの本は1926年に刊行された。真実を書いて、腐敗した御用歴史学者と対決した彼に対する報いは、ドイツに金を貰って、その歴史書を書いたという非難だ。86年後、歴史学者のクリストファー・クラークは著書『夢遊病者達』The Sleepwalkersで、基本的にバーンズと同じ結論に達した。

歴史で、戦争は、余りに多くの戦艦を作って、イギリスの制海権に挑戦したドイツのせいだと教えられた。我々にこの物語を聞かせた御用歴史学者連中は、第二次世界大戦への準備を幇助したのだ。
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-c8d7.html

<以下引用>

ベルサイユ講和会議で、ボリシェビキ(ロシア皇帝政府は海峡の獲得に失敗し、逆に国をレーニンに奪われてしまった)が“外交史上稀に見る、卑しむべき領土奪取計画を具現化する悪名高い秘密協定の存在を暴露した。世界大戦の協約における本当の主要動機は、ロシアによるコンスタンチノープルと海峡の獲得、アルザス・ロレーヌをフランスに返還するのみならず、アルザス・ロレーヌがフランスと結びついていたより歴史的に遥かに長期間ドイツとつながっていた地域の奪取を意味する、ライン川西岸の確保、オーストリアとユーゴスラビアから奪い取った広大な領土という、イタリア参戦に対する褒賞、ドイツ帝国財産の差し押さえ、ドイツ商船の没収と、大英帝国の強化に役立つドイツ海軍の破壊”(バーンズ、691-692ページ)。アメリカの戦利品の分け前は、ドイツとオーストリアの対米投資没収だった。

<以上、引用終わり>

 

ロシア・ロマノフ朝の莫大な財産はレーニンたちからの負債返還という形を通してアメリカ金融資本へと還元されたので、ドイツとオーストリアの対米投資没収とほぼ似たようなお金の流れになるのでしょうか。

学校では第一次大戦が始まった理由に関して明確な事実を教わることがないでしょう。が、私たちが歴史から教訓を学ぶことができるように、ゆとりのある時間を利用してしっかり勉強し考えてみることが必要だと思います。私も上記で紹介されているバーンズ氏やクラーク氏の著書を購入して読んでみようかと考えております。調べてみると、アメリカの本屋さんから通販で輸入すれば比較的安価に購入できるようでした。

Lさんは、立派な図書館にアクセスがありますので、歴史の本を買わなくても借りて調べることができるかもしれません。いろいろなことが落ち着いたら、ゆっくりと歴史の本をひもといてみるにはとても良い環境ではないかと思います。

マレーシア航空便に関して、大きなニュースもあったので、のちほどまた紹介するつもりです。

それでは事故などに巻き込まれることのないよう、道を歩くときや地下鉄に乗るときなど、十分に気をつけて東京生活をお送りください。

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ウクライナ危機 続報紹介

 

2014年3月24日 月曜日

前回、私、ウクライナ政変に関するWEB記事を書き、さらに田中 宇(たなか・さかい)さんの記事やロシアの声などの情報ソースに関して紹介させていただきました。ずいぶん詳細な分析を田中さんが続けて書かれていらっしゃいますので、続報として以下にご紹介いたします。取っかかりとしても役立つかと思いますので、どうぞお読みいただけますよう。

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田中 宇(たなか・さかい)http://tanakanews.com/  田中宇の国際ニュース解説  世界はどう動いているか

露クリミア併合の意味【2014年3月20日】  http://tanakanews.com/140320russia.htm

◆ウクライナから米金融界の危機へ【2014年3月17日】 http://tanakanews.com/140317dollar.php

◆米露相互制裁の行方【2014年3月15日】 http://tanakanews.com/140315russia.php

◆ウクライナ危機は日英イスラエルの転機【2014年3月11日】  http://tanakanews.com/140311russia.php

プーチンを強め、米国を弱めるウクライナ騒動【2014年3月9日】 http://tanakanews.com/140309russia.htm

◆危うい米国のウクライナ地政学火遊び【2014年3月5日】  http://tanakanews.com/140305ukraine.php

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卒業式によせて:開校百年史

 

卒業式によせて: 津山市林田小学校の開校百年史から

 

2006年3月17日

 

快晴。雪解けがどんどん進む。今日は、札幌市内の小学校の卒業式とのこと。センチメンタルな昔のポップなど聴く。

Some dance to remember, some dance to forget.

So I called up the Captain,

“Please bring me my wine”

He said, “We haven’t had that spirit here

since nineteen sixty nine”

And still these voices are calling from far away,

Wake you up in the middle of the night

Just to hear them say…

Welcome to the Hotel California (*)

1969年って、どんな時代だったのか。泥沼のベトナム戦争、、、計算してみると、ちょうど1969年の3月に私は小学校を卒業したことになる。私にとって、1969年まで持っていて、そして失ってしまったスピリットって、なんなのだろうか。

職場に飾ってあるだけで、めったに取り出してみることもない歴史書を開けてみることとした。歴史書といっても、一般には手に入らない私の母校(津山市立林田小学校)の「開校百年」史(**)である。昭和43年度の6年生として、3ページがあてられている。「昭和43年8月、講堂屋根大修理。経費十五万円」とある。そんな「大修理」がたったの十五万円だったとは驚く。当時の物価が今よりはかなり安かったとしても、それでも不思議な安さである。その下には「昭和44年2月、ファックスを新調した」とある。金額は書かれていないが、ひょっとすると講堂の屋根の大修理の費用に負けないぐらいの一大事だったのかもしれない。ようやく電話が一般家庭に普及しだした頃だ。当時、少なくとも田舎では、ファックスは見たことも聞いたこともない技術であった。当たり前にファックスを使うようになったのが1980年代のこと。そして、今ではpdfファイルの電子送信に取って代わられた。

日本の出来事(1968.4から1969.3)として、以下のようなことが列挙されている。

東大などの一連の学園紛争。

初の心臓移植手術(札幌医大和田寿郎教授)。

川端康成にノーベル文学賞。

小笠原諸島日本へ帰る。

水俣病を公害病と認定。

世界の出来事としては以下の通り。

ソ連・東欧軍、チェコに侵入。

ベトナム和平交渉開始と北爆の停止。

キング牧師暗殺、全米土で黒人暴動。

流行語として、以下の3つ。

昭和元禄、大きいことはいいことだ、タレント候補

思い出の歌、として以下の3つ。

三百六十五歩のマーチ、帰ってきたヨッパライ、恋の季節

映画、として以下の4つ。

黒部の太陽、オリバー、卒業、猿の惑星。

一年の出来事を十行程度にまとめる難しい仕事をよくやったものだ。それぞれの行が、感慨深い。行間を若干埋めてみると、、、

1)東大の安田講堂への機動隊導入、私もテレビでリアルタイムで見た。医師のインターン制度は、廃止され、そして30数年を経て、今また復活した。

2)不思議な因果で、私自身が札幌医大に勤めている。和田心臓移植に関して、札幌医大はきちんと調べ、歴史を書きしるし、そしてその上で、心臓移植をも含む先端医療に積極的に取り組んでいって欲しい。私も基礎研究者として鋭意取り組んでゆきたい。

3)川端さんは今は亡い。私もときどき「雪国」など読む。「駒子もすなるスキーなるものを我もしてみむとて」、5年前に恐る恐る始めたスキーではあったが、ついつい技術的側面にのめり込んでしまい、なかなか川端さんの情緒に自己を同化することができない。つまり、簡単に言えば、私は川端文学を理解できていない。

4)沖縄が1972年。これに関しては、別のところで。

5)水俣の歴史、これも、別のところで。聞書水俣民衆史 ―村に工場が来た、岡本 達明 (著) などを、読んでゆきたいと思っている。「藩政時代、米一粒一粒まで数えられるほどの収奪を受けていたこの地域の百姓」(***)、人々の生き様を描く歴史の書物を読みながら、水俣を理解したいと思っている。

6)「プラハの春、1968年」、大学時代にフーサという作曲家の現代音楽を吹奏楽部で演奏した。だから、この年号は忘れられない。自動小銃か機関銃の連射を表す音の連打が、今も頭の中に響く。ペレストロイカの雪解けは、20年余り先。ところで、田舎の少年には世界の動きがリアルタイムでは飛び込んでこなかったようだ。このニュースは全く記憶にない。

7)ベトナム戦争、アメリカの公民権運動、これらに関しては、別のところで。

小学校の百年史には、もっと昔の子供たちが載っている。1969年よりさらに30年前、1939年(昭和14年)にさかのぼると、「昭和14年7月9日水飲み場屋根の工事を起こす、7月13日竣工す。工事費は一百五十円なりき。」とある。当時の150円はある程度の大金で、こうして特筆してあるのであろう。「津山の出来事」の欄に「平沼騏一郎が内閣総理大臣となる」とある。こんな小さな町のできごとなのだろうか、と疑問の向きもあろうが、平沼は、私の郷土の生んだ大物政治家、善悪・評価はともかく、真正面から見つめるべきであろう。日本の出来事として、「国民徴用令を公布、全国の招魂社をを護国神社と改称」とある。「昭和12年7月に起こった日中戦争の拡大につれ戦時大戦下の小学生生活であった。クラスは男女別々、祝祭日は登校日で校長の訓辞、奉安殿前の最敬礼、東津山駅頭での出征兵士見送り、戦勝祈願の神社参拝、田植え休み前の苗代田の蛾取りなど戦意高揚に主眼が置かれていた(尾島正敏さん、思い出1939)」と書かれている。このころの卒業生たちは、15年戦争のさなかで育っていったのであり、大変な少年少女時代だったろう。祝日も校長先生の話を聞きに登校し、「田植え休み」には田植えを手伝い、中学や女学校に進んでからは、勉強どころではなく、学徒動員であった。卒業生のクラス写真、確かに、男女それぞれ1枚ずつで別々になっている。この集合写真のなかに私の母がいるはずなのだが、どれが12歳の母か、私にはわからない。私の同級生の安藤さんや須江さんのお母様がたがそれぞれ母と同級生だったので、もしお元気でいらっしゃれば帰郷の折などにお会いして、写真を見ていただくと判明するかもしれない。ローカルな話で申し訳ない。さて、この年、「世界の出来事」として、ただ一つ、「ドイツ軍がポーランドに侵攻、第二次世界大戦が始まる」とある。私の教授室の書棚には「裏切り(BETRAYAL)」(****)という物騒な題名の本が立っている。「ヒットラー=スターリン協定の衝撃」。1939年8月23日独ソ不可侵協定締結、平沼騏一郎内閣もこれで崩れるのである。

ところで、この百年史がもっとすごいのは、当たり前のことではあるが、もっともっと昔の子供たちが載っていることである。幸いなことに、私の母校は百年の年月を経た現在まで、敷地の移転を免れたため、祖母、母、私の3代で同じ土の上で遊んだことになる。母の卒業からさらに27年を遡り、1912年を見てみよう。明治45年大正1年度生のページには私の祖母の名が見つかる。この頃は、苫田郡林田村立の林田尋常高等小学校という名前であったようだ。「明治四十年三月、小学校令の改正により尋常小学校の修業年限が六年となり、義務教育が六年となりました。」とあるので、明治45年大正1年度生たちは、みんな六年生で卒業したのであろう。この頃の校舎は瓦葺き木造である。卒業生の数は50人程度。この地域は、昔から安定して人の住んできた地域である。「八世紀の木簡に林田郷という地名が記載されています。林田(はいだ)という地名は、実に千二百年以上に及ぶ長い歴史を持っているのです。」とある。

この辺りのページをめくってゆくと、お髭の立派なすらりと長躯の先生が詰め襟でピンと背筋を伸ばして、どの写真にも登場する。子供たちに比べて、むちゃくちゃ背が高い。この方が第一代校長の植月寅吉先生であろう。明治34年10月4日就任、大正14年3月退任、となっているので、1901年から1925年まで、四半世紀にわたって学校の顔だったことになる。校長先生からの冬期休業中(冬休み)の心得として、

「一、年のくれはどこのお宅でもお忙しいから、年そうおうに出来る丈の御用を精出してかせがねばならぬ

一、年の始めは、まことにおめでたいのであるから、きげんよくにこにこしてくらす様にせねばならぬ、云々」

とあって、まことにほほえましい。また、夏休みの注意として、

「一、衛生に注意せよ。

イ、飲み食ひに注意し、氷や生水は成るべくのむな。

ロ、からだや、きものをきれいにせよ。

ハ、ねびえせぬ様に注意せよ。

ニ、朝成るべく深呼吸せよ。

ホ、病気になったら直ぐお父さんお母さんに話せ。云々」

これは、明治45年の七月に、この寅吉校長が生徒たちに命じたことだそうだ。私の祖母も、この寅吉校長のお話をちゃんと聴いていただろうか、そして、「お父さんお母さんその他目上のいひつけを良く守」って、「宿題をきっとして」いただろうか? 私が知っている祖母はすでにおばあちゃんであったので、明治時代のドラマから抜け出してきたようなこの寅吉校長から訓辞を受けている小学生の祖母を思い浮かべることができない。絣の着物を着た「普通の」かわいらしい明治時代の田舎少女を想像してみるだけである。卒業生の名簿に載っている人数よりも、写真に整列している人数の方がはるかに少なく、よって、私の祖母はこの写真の中には写っていないかもしれない。写真を検討してみると、校長先生は、全部同じ詰め襟である。帽子をかぶっているのが1908年と1912年の2回。あとはすべて無帽。コートを羽織って横を向いているのが1904年の1回。明治35年から大正4年まで、約15年にわたって、校長先生は同じ丸刈りと同じお髭、恒常心のしっかりした方にお見受けする。しかし、その年齢が余り進んでいないように見える。15年分を全部を一時に撮影することは不可能としても、このような田舎だと、数年に一度というペースでしか写真撮影されなかったらしい。よって、子供たちも全部12歳ではなく、とても幼いのから中学生に相当するようなお兄さんお姉さんまで、卒業年度ごとに差があって面白い。1916-18の3回分の写真が無くて、突然、1919年の写真では、おじいちゃんになった寅吉校長が現れる。詰め襟ではなく、おそらくモーニングの礼装である。写真から、とても立派に齢を重ねられた尊敬すべき愛すべき校長先生と拝察する。植月寅吉校長に関しては、「小成に安んずることなく、次なる大成をめざせ。常に、児童に対して実践躬行(じっせんきゅうこう)・奮励努力を勧め、林田小学校に自主・自立・自治の校風をはぐくんだ気骨の教育者であった。」と記されている。

さて、この百年史で残念なのは、いくらさかのぼれるといっても100年で終わってしまうこと。前身の玉琳小学の設立が明治7年とある。1874年である。百三十余年。その前は寺子屋(私塾)が、地区に数件有り、読み書き算盤、礼儀作法などを教えていたのだが、資料が乏しく、詳細は不明とのこと。寺子屋時代の街や子供たちや先生の写真を見ることができれば、きっと面白いだろうに。それにしても、実にたった100年程度の歴史では、若輩の私でさえ大昔の人間の部類に区分けされそうで、大いに面白くない。けしからぬことである。ピサ大学やオックスフォード大学のように1000年800年の昔へとは遡れないにしても、江戸時代、安土桃山、室町時代ぐらいまで遡って、子供たちや学校のことを(できればオーディオビジュアルに)見たり聞いたりできれば、とっても楽しく、私も大いに若返ることができそうだが。

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さて、冒頭でイーグルスの歌詞を引用したが、イーグルスは私の好みではない。ただ、1969年が、ロックの魂が死んだ年、という言葉が気にかかるのである。しかし、どっこい生きてるロックスピリット、ということで、次回はセックスピストールズについて書く予定。

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*) Eagles, HOTEL CALIFORNIA, The complete greatest hits, イーグルス ベスト・コレクション、より引用。

**)開校百年 津山市立林田小学校創立百周年記念誌部編集、平成13年4月21日発行

***)鹿野政直 歴史を学ぶこと 岩波高校生セミナーp66,p72

****)ヴォルフガング・レオンハルト (菅谷泰雄訳) 裏切り 創元社

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<以上2006年3月17日のWEB記事より再掲>

 

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ウクライナの政変 その2

 

2014年3月6日 木曜日

 

ウクライナの2014年2月クーデター その2

 

法によらない暴力的な政権転覆が行われれば、多くの人民に危害が及ぶ。

 

前回のWEB記事ではウクライナ憲法の条文を引きながら、法の支配下で平和的に緩やかに良い方に向けて進んでいって欲しいことを述べた。私の願いである。

 

しかし、現在のウクライナのようにすでに憲法が守られていない状況において、憲法を懐かしみながら「本来こうするべき」なのだが、というような議論をするだけでは、非現実的であり建設的でもない。「それでは現在の最善手は何か?」という問いかけが喫緊の必要課題である。

 

このような局面でもっとも大事なのは、何が起こっているかをできるだけ正確に大局的に把握しすることに努めることであろう。できるだけ多くの情報を引用しながら、ウクライナの現状に関して調べてゆきたい。

 

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日本の代表的なマスメディア、たとえばNHKや読売・朝日をはじめとする大手新聞などの情報には多くの方々が日常的に接しておられると思う。が、それらのメディアから得られる情報は多くの場合に同じソースたとえば記者クラブでの公式発表や共同通信からの配信などひとつの情報源から派生した同一の記事となる。そのため、現状理解を深めるためにはインターネット・雑誌・単行本などからの情報を通じて別の視点からどのように見えるかも含めて検討してみることが必須である。

 

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2014年3月7日 金曜日

ということで、今日は、以下に簡単に日本語で読めるネット情報源をいくつか紹介します。どうぞ読んでみてください。

 

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情勢を冷静に正確につかみたい。そのため、できるだけ多面的からの情報をもとに分析するような記事からスタートするとよいと考えます。ここでは、アプローチしやすい情報源としていくつかを紹介いたします。

1.田中宇の国際ニュース解説

田中宇(さかい)さんの記事からは大変多くを学ばせていただいている。今回のウクライナ情勢に関しても以下の記事がよくまとめられている。

田中宇 危うい米国のウクライナ地政学火遊び 2014年3月5日http://tanakanews.com/140305ukraine.php

田中さんはこの地域の地政学的な動向に関しても以前から多くの記事で詳しく分析されていて大変勉強させていただいている。

田中宇 プーチンを敵視して強化してやる米国 2011年12月19日http://tanakanews.com/111219russia.php

田中宇 ウクライナ民主主義の戦いのウソ 2004年11月30日http://tanakanews.com/e1130ukraine.htm

田中宇 コーカサス安定化作戦 2004年4月29日http://tanakanews.com/e0429caucasus.htm

田中宇 ロシアの石油利権をめぐる戦い 2004年3月18日http://tanakanews.com/e0318russia.htm

田中さんの記事はよくまとめられていて読みやすく、考察の根拠となるインターネット情報ソースが記載されているので簡便に情報源を辿ることができ、大変有難く読ませていただいております。

以下、少し長くて申し訳ありませんが、2004年11月30日の田中さんの記事から引用させていただきます。10年後の今回の情勢を理解する上でも大変参考になる記載です。 <以下引用> http://tanakanews.com/e1130ukraine.htm

▼分裂して損するのはウクライナ人自身

ユーゴスラビア、グルジア、ベラルーシ、ウクライナでアメリカが政権転覆を企てた背景には、ロシア寄りの政権を倒して欧米寄りの新政権を作ることで、ロシアを封じ込める意図があるというのが一般的な見方だ。

ウクライナもユーシェンコが大統領になったらNATOに加盟し、ロシアにとって軍事的な同盟国が脅威へと変質すると予測されている。また、これまでロシアの石油を欧州に輸出するために使われていたウクライナ国内のパイプラインも、アメリカが権利を持つアゼルバイジャンのカスピ海油田の石油を運ぶかたちに改められ、石油利権的にも重要な転換が行われると予想される。(関連記事

ユーゴスラビアとグルジアでは、政権転覆は両国の不安定な政情を安定させる効果もあった。ユーゴスラビアは、転覆前のミロシェビッチ政権の時は国際的に孤立していたが、コシュトニツァ政権になって国際社会に復帰した。グルジアでは、シュワルナゼ政権時代にアジャリア、南オセチア、アブハジアという国内3地域が分離独立して割拠する状態になったが、サーカシビリが政権について以来、これらの地域をグルジアに再統合する強硬策が展開され、国情の安定化が図られている。

ところがウクライナの場合は逆に、今回の政権転覆の試みは、これまで統一されてきた国内を東西に分裂させて不安定にする結果を生みそうである。ウクライナは、ロシアに接する東部にはロシア系住民が多く、宗教も正教会キリスト教(ウクライナ正教会、ロシア正教会)であるのに対し、ポーランドやルーマニアに接する西部ではウクライナ系住民が多く、宗教もカトリック系のキリスト教である。東部は親ロシア感情が強く、西部は反ロシア感情と親ヨーロッパの感情、それからウクライナ・ナショナリズムの感情が強い。

ロシア系住民は人口としては全国民の22%しかいないが、ソ連時代から公務員などの要職にはロシア系が多く、公用語もソ連崩壊後はウクライナ語になったものの、実際にはロシア語が広範囲に使われている。冷戦後のウクライナでは、東部と西部、ウクライナ系とロシア系を分裂を回避しつつ、外交的にもロシアとEUの両方に配慮するかたちでやってきた。

ところが今回の選挙では、野党のユーシェンコは西部が地盤で、ウクライナ西端の町リヴィフ(リボフ)が牙城である。半面、与党のヤヌコビッチは東部が地盤で、東端のドネチクやルハンシクといった都市が牙城となっている。候補者が東西対立のかたちをとっているため、選挙の不正が問題になって以来、これまで回避されてきた東西の対立が一気に強まっている。東部の諸都市では、ユーシェンコが大統領になった場合に備え、東部地域がウクライナの中で自治を持った共和国になるための住民投票を行う準備を開始した。(関連記事

東部地域は炭鉱や鉄鋼産業が盛んな重工業地帯で、ユーシェンコが勝ってウクライナがEUに接近した場合、EUの安価な鉄鋼製品がウクライナに流れ込み、東部地域の産業が壊滅するおそれがある。そのこともあって、東部の人々は産業保護主義の強いロシアと親密な関係を持ち続けることを望み、ロシア系・ウクライナ系を問わず、ヤヌコビッチを支持する傾向が強い。(関連記事

ウクライナのような多民族の複合国家では、各民族のナショナリズムや地域主義の対立をできる限り回避することが国家の安定につながる。外交的には、ロシアとヨーロッパの両方とバランスよく関係を築くことが必要だ。ところが現在ウクライナで起きている紛争は、まさにその逆の不安定化を煽っている。今回の紛争によって損をするのは結局のところ、当事者であるウクライナ国民全体であることを思うと「民主主義」の幻想とは馬鹿馬鹿しいものであると感じられる。

<以上、 田中宇 ウクライナ民主主義の戦いのウソ 2004年11月30日http://tanakanews.com/e1130ukraine.htm  引用終わり>

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2.ロシアの声 日本語放送とWEBサイト http://japanese.ruvr.ru/

田中宇の国際ニュース解説でもときどき引用されることもあるロシアの声。その日本語サイトと毎日1時間ではあるものの日本語で放送がなされています。

私たちにとって日本語で海外情報を得ることができるのは大変簡便で有難いことです。ロシアのサイドに立っているのはもちろんのことですが、日本とロシアとの友好推進という大局的立場から作られているロシアの声日本語放送からは、とても多くの情報を得ることができます。特に、プーチン大統領やロシアの指導的立場にある人々が、日本人に対してどのようなメッセージを送りたいのか、それをつかむには大変便利なメディアのひとつだと感じています。

最新の2014年3月6日 14:36 の記事から少し引用します。 http://japanese.ruvr.ru/news/2014_03_06/268292761/

<以下引用>

クリミア議会、全会一致でロシア連邦への編入を議決

クリミア自治共和国最高会議はロシア連邦の構成主体としてのロシア連邦への編入を全会一致で議決した。16日に住民投票が行われ、自治共和国としての最終決定となる。

議会では次のように決定された。

   1、 ロシア連邦の構成主体として、ロシア連邦に加盟する

   2、 2014年3月16日に、全クリミア市民(セヴァストーポリ市民を含む)を対象とした住民投票を実施する。次の二択をめぐって住民投票が行われる。

   1)あなたはクリミアがロシア連邦の構成主体としてロシアと合体することに賛成ですか?

   2)あなたはクリミア自治共和国1992年憲法の効力の復活、ウクライナの一部としてのクリミアという地位に賛成ですか?

http://japanese.ruvr.ru/news/2014_03_06/268292761/

<以上、引用終わり>

私が思うに、前回の私のWEB記事で紹介したウクライナ憲法の条文によると、クリミア自治共和国最高会議はウクライナ憲法の規定の支配下にあるため、ウクライナ憲法の条文に照らし合わせてみれば、上記のようなロシア連邦への編入を議決する権限がクリミア自治共和国最高会議の権限の範囲内にあるとは到底思われません。むしろ、明らかにこのような分離をウクライナ憲法は条文で禁じています。ただ、現在のようにウクライナの政権がウクライナ憲法を踏みにじって成立している状態においては、従うべきウクライナ憲法は現状で無効のものとなっているわけであり、このような混乱状態においては、クリミア自治共和国最高会議が今回のような議決を行うことは現実的な妥当な行いとせざるを得ないだろうと判断されます。ここまでの私の議論がだらだらと歯切れが悪いのは、「憲法が守られない状態でどのような法的規範に基づいて行動すべきか」という実践的法学(?)を私が全く学んでも考えてもいなかったことによるものです。
ロシアの声にもどって、サイドのカラムにはウクライナ情勢に関連して以下のような電子投票の3択アンケート世論調査がなされています。

<以下引用>

「ウクライナ革命」についてどう考えますか?

a. 国民は愛想が尽きた政権を転覆する権利を持っているので、支持します。
b. 政権は選挙や国民投票で変更すべきものであり、革命は不法です。
c. カラー革命は、都合の悪い政権を除去するため、米国の手によるツールなのです。

<以上、引用終わり>

私が思うに、aとbは二律背反であるが、cの選択肢はbと背反するものではないので、厳密にひとつの答えを要求する選択問題になっていません。とはいうものの、ロシアの声が、日本語の読者に何を考えてもらいたいかが明確に示されており、興味深いものです。

さらに、2月28日, 17:39 http://japanese.ruvr.ru/poll/129271970/ の記事でアンケート結果が報告されており、以下の通り。

<以下引用>
「ウクライナ革命」についてどう考えますか? 世論調査に参加 676 人.
8% 国民は愛想が尽きた政権を転覆する権利を持っているので、支持します。
22% 政権は選挙や国民投票で変更すべきものであり、革命は不法です。
69% カラー革命は、都合の悪い政権を除去するため、米国の手によるツールなのです。
<以上、引用終わり>

世論調査に参加 676 人と少数であり、ロシアの声をフォローしている日本語視聴者(ほとんどは日本人か)というバイアスがかかるので、あくまで知的な参考意見としてとらえるべきですが、それにしてもこのような問いかけがメッセージ性をもって訴えてくるのは面白い。いわゆるメジャーなマスコミとは少し異なった視点から考えてみるための良いヒントです。

ロシアの声の日本語サイトでは、当然のことながら日本との友好を最優先しており、日露関係(サイトでは露日関係)が大切な記事となっています。少し長いのですが、3月6日付の記事から以下に引用します。 http://japanese.ruvr.ru/2014_03_06/268301526/

<以下引用>

米国の対ロシア制裁の呼びかけと日本

米国は、ロシアに対する経済制裁を呼びかけているが、日本が制裁に加わることは恐らくないだろう。なぜなら、対ロシア経済制裁を受け入れれば、日本の利益が損なわれるからだ。

日本の政治家ならびにロシアの専門家たちはこのような見解を示している。
茂木経 済産業相は、日本とロシアの関係は建設的な方向で発展しており、経済外交や資源外交で方針の変更はないとの考えを示した。ロシアの著名な東洋学者で、元駐 日ロシア大使のアレクサンドル・パノフ氏は、茂木経済産業省の発言に期待を表明し、過去の歴史を引用しながら次のように語っている。
「ソ連時代でさえ、日本はしぶしぶ西側の制裁に加わり、すぐに拒否した。ソ連崩壊後、ロシアがカフカスでテロ掃討作戦を実施した時、G7はロシアに対して制裁を発動しようとした。日本はその時、これはロシア国内の問題であり、ロシアは自国の力と手段でこの問題に対処するための権利があると発表した」。
パノフ氏によると、米国はウクライナ情勢をめぐるロシアの動きに対して制裁を科すよう呼びかけているが、日本にはこの呼びかけを支持できない大きな理由があるという。その一つは、政治的要素だ。パノフ氏は、次のように語っている。
「日本とロシアの指導者たちの間では、とても良好な関係が築かれはじめたところだ。安倍首相の戦略は、政治的ならびに個人的な良い関係、そして貿易経済関係の発展を通して、両国の協力関係全体のレベルを向上させることだ。日本はこのような形で2つの問題を解決しようとしている。1つは領土問題の解決策の模索で前進すること。2つ目は、日本の孤立状態からの脱却だ。なぜなら、日本と中国の関係は非常に悪く、韓国との関係も良くない。北朝鮮との関係は言うまでもない。重要な同盟国である米国との関係も、すべてが順調というわけではない。このような背景の中、ロシアと日本の関係はごく正常にみえる。私は、日本がこの関係を台無しにすることはないと考えている。」
パノフ氏は、経済的要素も重要だと指摘している。日本のロシア産石油・ガスの依存度は10パーセント未満だが、日本の原発停止を受け、ガスの輸入量は増加した。同分野では長期契約が見込まれており、契約破棄は日本経済に深刻な打撃を与える恐れがある。パノフ氏は、次のように続けている。
「日本はウラジオストク郊外の液化天然ガス(LNG)工場の建設にも投資している。また日本は、南回りの航路に代わって北極海航路を積極的に利用する計画だ。これらは全て、ロシアとの協力なしでは不可能だ。そのため、日本がロシアに対する制裁を自ら進んで支持するとは思えない。」
日本が対ロシア制裁を支持する場合、日本経済は大きなリスクを伴う。日本は何のためにそのような危険に立ち向かう必要があるのか?その理由を明確にする必要がある。米国は、ロシアがあたかもクリミア自治共和国を占領、併合し、ウクライナを分裂させたため、制裁を発動する必要があると主張している。だがそれは、嘘だ。
プーチン大統領は、ロシア上院(連邦会議)からウクライナ領内におけるロシア軍の使用について委任された。軍の派遣に関する決定はまだ下されていない。今後もこの決定が下されないことに期待される。クリミアに駐留しているロシア軍は、ウクライナとの協定に基づくものであり、秩序維持やテロ対策に取り組んでいる。ロシア軍は非常に友好的で礼儀正しく、地元住民は彼らを侵略者ではなく、民族主義者から自分たちを救い出してくれる救世主だと考えている。
プーチン大統領は5日夜、インタビューの中で、ロシアがウクライナの崩壊やクリミアをロシアへ併合する計画はないとの考えを表した。
プーチン大統領は、「私は、その領土に住む市民だけが、自由な意思表明や安全が確保された環境の中で自分の将来を決定することができ、そうするべきだと考えている」と述べた。またプーチン大統領は、もしコソボの人々やコソボのアルバニア人、また世界の多くの場所でそのようなことが許されたならば、国連の文書に明記されている民族自決権は今も存在しているはずだ。だが我々は、いかなる場合であってもそのような決定を誘導したり、そのような感情を過熱させるつもりはない」と語った。

http://japanese.ruvr.ru/2014_03_06/268301526/  <以上、引用終わり>

 

ロシアが日本語放送で日本語を理解する人々(すなわちほとんどは日本人)のために、政治的・経済的な視点からロシアならびに日本の利益と日露友好につなげてゆくためのメッセージを提案して放送しています。ロシアの地政学の専門家が予想し提案するとおりに日本の政治家や官僚が私たちの国を舵取りするかどうかその行方を予想するのは難しいところです。が、少なくともロシアの識者が何を望んでいるかは明らかに伝わってきます。

 

ロシアの声の日本語放送は、プーチン大統領が公式に日本人に何をどのように理解してもらいたいか私たちが理解するためにまずはスィッチを入れて聞いてみるべきメディアかと思います。対岸のユーラシア大陸の世界(この場合はモスクワ)からこのようなメッセージ性をもって訴えてくる放送に耳をかたむけるのは大変面白いことです。繰り返しになりますが、いわゆる日本のメジャーなマスコミとは少し異なった視点から考えてみるための良いヒントとなるでしょう。

 

もちろん、どんなメディアにもそれぞれのメディア固有のバイアスが高いのですから、私たちはどんなメディアに対しても鵜呑みにすることなく立場の異なった他のメディアからの情報とも比較検討しながら、自分の意見形成の参考となるように消化してゆかなければなりません。

 

以上、今回は、田中宇さんのニュース解説とロシアの声の日本語サイトとを紹介しました。長くなったので、サイトの紹介に関して今回はここで終わりにしたいと思います。

 

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付け足しになりますが、今回のウクライナ情勢を理解するためにもどうしても欠かせない視点は、歴史的な視点です。

たとえば、2013年のシリアで、遡っては2011年のリビアで、どのようなことが起きたのか。アフガニスタンで、イラクで、どのような戦争が戦われたのか。

アフリカの国々で何がこの100年ないし500年で起きてきたのか。ヨーロッパが何をしてきたのか。明治以降の日本にもう一つ別の進み方がなかったのか。

ウクライナ情勢をみていると、今私が読んでいる歴史本、ヨセフスのユダヤ古代誌の最後の巻あたりに出てくるガイウス・カリギュラ帝(第3代ローマ帝国皇帝 在位:37年- 41年)の暗殺直後のローマ混乱の詳細との部分的共通性をいくつも見いだします。

不思議なことともいえますが、人々が主人公である私たちの歴史のなかではいろいろな失敗を繰り返すことがしばしば経験されるのでしょう。それでも、失敗を繰り返すのが当たり前とあきらめないで、これからの私たちの選択のなかで、歴史から学んだことを生かしてゆかねばなりません。

 

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そして今の私たちは何をすればよいのか。どんな選択を選べばよいのか。

 

これからも歴史の本を読みながら少しずつ考えを深めてゆきたいと思います。

 

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ウクライナの政変

 

2014年3月5日 水曜日

ウクライナ2014年2月のクーデター

ウクライナの憲法に関しては、幸いなことに日本語に翻訳されたものが以下のサイトに公開されており、私も条項を調べてみることができた。

 

http://ukraine.is-mine.net/Ukraine.html

 

「第85条 ウクライナ最高議会の権限」として、85条の10に、「10)憲法第111条に定める特別な手段(弾劾)によるウクライナ大統領の解任」が権限としてあげられている。

 

そして、第111条には大統領の弾劾に関して以下のように定められている。「第111条 ウクライナ大統領が国家反逆罪又はその他罪を犯した場合、ウクライナ大統領は弾劾により解任される。ウクライナ大統領の弾劾による解任は、ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の過半数の議員の発案により審議される。調査を実行するためにウクライナ最高議会は特別弁護士及び特別調査官を含む特別臨時調査委員会を設立する。特別臨時調査委員会の結論及び提案はウクライナ最高議会で審議される。ウクライナ最高議会の憲法に定める定数の3分の2以上の賛成によりウクライナ大統領に対する告訴を決議できる。ウクライナ大統領の弾劾による解任は、ウクライナ憲法裁判所の判決及び弾劾に関する調査・考察を行った憲法弁護士の意見、ウクライナ大統領が告訴されている国家反逆罪又はその他犯罪に関するウクライナ最高裁判所の意見を考慮した上で、ウクライナ最高議会が憲法に定めた定数の4分の3以上の賛成で採択できる。」

 

今回のウクライナの政変に際しては、「ウクライナ大統領が国家反逆罪又はその他罪を犯した」とされたわけでもなく、「ウクライナ最高議会の定数の過半数の議員の発案」がなされたわけでもなく、特別臨時調査委員会の設立・結論提案がなされたわけでもなく、ウクライナ最高議会で委細を尽くして審議される手続が踏まれたうえで告訴を決議した証拠もなく、「ウクライナ憲法裁判所の判決及び弾劾に関する調査・考察を行った憲法弁護士の意見、ウクライナ大統領が告訴されている国家反逆罪又はその他犯罪に関するウクライナ最高裁判所の意見を考慮した」形もみられず、「ウクライナ最高議会が定数の4分の3以上の賛成」で採択したという報道も一切見られない。

 

ウクライナの憲法に基づく大統領の弾劾と解任がなされたわけではないので、今回の「野党勢力による政権の掌握」は、非法的な権力奪取、すなわちクーデターといわれるものである。

 

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ウクライナの状況を理解するためにも必要なのは、民族の歴史的な成り立ち・文化的伝統に対する理解であろう。一つ重要な視点は、クリミア自治共和国を持つこと、そしてキエフ特別市及びセヴァストポリ特別市はウクライナの法に定められた特別な地位にあることであろう。

 

ウクライナ憲法で領土に関する記載は以下のようである。第9章第132条に総論、133条に各論。

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第9章 ウクライナ領土

第132条 ウクライナ領土は、国土の統一及び不可分性の原則、中央集権及び地方分権の組合せの原則、地方の歴史、経済、生態、地理及び統計特徴、民族的及び文化的伝統を考慮した調和のとれた社会経済開発に基づく。

第133条 ウクライナ領土及び地方行政体は、クリミア自治共和国、州、地区、市、町、村からなる。ウクライナは、クリミア自治共和国、ヴィーンヌィツャ州、ヴォルィーニ州、ドニプロペトロウシク州、ドネツィク州、ジトームィル州、ザカルパッチャ州、ザポリージャ州、イヴァーノ=フランキーウシク州、キエフ州、キロヴォフラード州、ルハンシク州、リヴィヴ州、ムィコラーイウ州、オデッサ州、ポルタヴァ州、リヴネ州、スムィ州、テルノーピリ州、ハルキウ州、ヘルソン州、フメリヌィツィクィイ州、チェルカースィ州、チェルニウツィー州、チェルニーヒウ州、キエフ特別市及びセヴァストポリ特別市からなる。キエフ特別市及びセヴァストポリ特別市は、ウクライナの法に定められた特別な地位を有す。

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クリミア自治共和国に関しては、ウクライナ憲法の第10章第134から139条に記載されている。第134条には、「クリミア自治共和国は、ウクライナを構成する不可分の領土であるのと同時に、ウクライナ憲法が定める範囲内で自治を行う」とある。138条にはクリミア自治共和国の権限が10項目にわたり記載されているが、その第8項から10項は以下の通りであり、歴史的背景を十分に考慮しない限り理解することは難しい。

以下、ウクライナ憲法の第10章第138条より引用:

8)クリミア自治共和国の言語及びウクライナ語及び文化の運用及び発展の保証、歴史遺産の保護及び運用
9)追放された民族の帰還に関する政策の発展及び遂行
10)クリミア自治共和国又は特定地域への非常地帯宣言及び生態系危険地帯の発令

<引用終わり>

 

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このような特殊な背景をもつクリミアやウクライナ東部・南部地域がロシアではなく、ウクライナに編入されていることは、一見、非常に不自然に思われる。この難しい歴史に関しては、以下のような解説が参考になる。

「アレクサンドル・ソルジェニーツィンが指摘した通り、歴史的にロシアの州であったものを、ウクライナに引き渡したのは、ソビエト連邦共産党の愚行だった。当時は、それがソ連指導部にとっては、良いことのように見えたのだ。ウクライナは、ソビエト連邦の一部で、18世紀以来ロシアに支配されてきた。ウクライナにロシア領土を付け足せば、第二次世界大戦中、ヒトラーと共に戦った西ウクライナのナチ分子を弱めることになる。恐らく、フルシチョフがウクライナ人だったという事実も、ウクライナ拡大要素の一つとしてあるだろう。ともあれ、ソビエト連邦、もとのロシア帝国そのものが崩壊するまでは、それも問題にはならなかった。アメリカ政府の圧力で、ウクライナは、ロシアの州を取り込んだ別の国となったが、ロシアはクリミアの黒海海軍基地を維持していた。」 以上、「マスコミに載らない海外記事」さんのWEBページ

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-8177.html

より引用。 上記の海外記事の原文は、PaulCraigRoberts.org によるもの。

http://www.paulcraigroberts.org/2014/03/03/washingtons-arrogance-hubris-evil-set-stage-war/

で見ることができ、対応する英文は以下の通り。 <以下引用>

As Aleksandr Solzhenitsyn pointed out, it was folly for the Communist Party of the Soviet Union to transfer historic provinces of Russia into Ukraine. At the time it seemed to the Soviet leadership like a good thing to do.  Ukraine was part of the Soviet Union and had been ruled by Russia since the 18th century.  Adding Russian territory to Ukraine served to water down the nazi elements in western Ukraine that had fought for Hitler during World War 2.  Perhaps another factor in the enlargement of Ukraine was the fact of Khrushchev’s Ukrainian heritage.

Regardless, it did not matter until the Soviet Union and then the former Russian empire itself fell apart.  Under Washington’s pressure, Ukraine became a separate country retaining the Russian provinces, but Russia retained its Black Sea naval base in Crimea.

<引用終わり>

 

このような不自然な国境の定め方が、あとあと大きな問題に発展してしまうのは避けられない。ただし、地続きの平原に対してどのように国境線を引いたとしても、当事者のだれもが納得するような形にできる道理はない。筧次郎さんが「自立社会への道(新泉社、2012年)」でおっしゃるように、ガンジーが示したような「第三の道」を選択しない限り、国境問題の本質的な解決というものはあり得ないことかと思う。

 

それはともかく、上記のポール・クレイグ・ロバーツさんが言及されている「ヒトラーと共に戦った西ウクライナのナチ分子」の流れをくむ極右勢力による武力行使が今回のウクライナのクーデターに関与しているという報道もあり、ウクライナという国の長い歴史、特にロシア革命当時からの苦難の歴史を深く理解しない限り、今回のクーデターの民族的文化的な背景をわかることは難しいと思う。

 

私の場合、藤永茂さんの「私の闇の奥」のWEB記事 http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/ でロシア革命直後の強制移住により非常に多くの数の人々が餓死したこと、それをはじめて知ったのがそんなに遠い昔ではない。歴史をもっともっとよく識って理解してゆかねば、ウクライナのことを正しくわかることが難しいと思う。

 

それにしても、チェルノブイリの原発事故。その被害のために住み慣れた土地からの移住を余儀なくされた人々の苦しみの記憶が今に消えることは決してないであろう。

 

今回の政変の直接的・間接的結果として、今までウクライナの地に平和に暮らしていた人々が生活を脅かされたりやむを得ず移住しなければならないような事態、それを何とか避けられないものだろうか。

 

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今回のクーデターの経緯からして、ウクライナ西部と、クリミアを含むウクライナ東南部とが分裂する可能性が高まっていると考えられる。軽はずみな暴力や武力の行使が戦争へつながる危険さえもはらんでいる。

 

権力に携わる人々、そしてひとりひとりの兵士、人民すべての当事者が、「礼儀正しい」人として、慎重に平和的に事に当たって欲しいと願っている。

 

私の祈ることは、何よりも人々のいのちが大切に扱われること。そのために、

1) 暴力や武力によることなく、

2) 話し合いと法の下での住民の選挙による平和的な方法で、

3) ウクライナの人民の財産や生命に危害が加えられることなく、

4) ゆっくりと慎重に解決していって欲しい。

 

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ウクライナの人たちと私たち日本の人民は、ともに史上最悪の原発事故を経験したり経験しつつある民であり、さまざまな方面で互いにわかりあい助け合わなければならないと思う。

 

この辺りのことについてもいつか記載してゆきたい。

 

以上、2014年3月5日 水曜日

 

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