「ロシア文学」カテゴリーアーカイブ

The Idiot 2019 (2) 補註など

2019年1月8日 火曜日 晴れ

**

Fyodor Dostoevsky,  The Idiot,  translated by Alan Myers 1992, with an Introduction by William Leatherbarrow 1992, Oxford World’s Classics, Oxford University Press. オリジナルは1868年刊。

補註 この小説の時代のお金の価値について:

As money plays an important role in The Idiot, it may be helpful to establish that the Russian rouble in the novel is roughly equivalent to £2 sterling (or $3) in present-day money. (Note on the Translation、同書、xxiii) 補註 この訳書が1992年の刊であるが、2019年1月9日現在の為替相場では、1ドルが108円、1ポンドが138円となっている。1992年1月9日の為替相場を調べてみると 1ドルのTTMは124.50円、1英ポンド(pound sterling)TTMは233.81円、となっている。ちなみに、ロシア・ルーブルの変化は著しく、1990年〜2000年の1月9日は三菱UFJのサイトでは検索できない。2018年1月9日は検索できて、1ロシア・ルーブルがTTM1.98円である。1868年(明治初年)頃と比べて、ルーブルと円は100分の1以下に下落している。それはさておき、1868年のロシアに戻ると、1ルーブルは現在の3ドル、約350円として、小説「白痴」の中で、ラゴージンが紙にくるんで紐で縛って持ってきた10万ルーブルの価値は、現在の30万ドル、日本円にして3500万円である。これをナスターシャが火中に放り込ませて火がちろちろと燃え移っていく場面・・その描写はまさに狂気の時間、劇的シーンである。一方で、主人公の公爵の受け継いだ資産が10万ルーブル程度、ということであれば、エパンチン一家の人びとがこれを聞いて少し落胆したのもむべなるかな。エパンチン将軍は途方もない財産家であり現役のビジネスマンであることが小説の冒頭近い部分で詳しく語られている。公爵の十数万ルーブルという資産は、定職をもたない27歳の青年が結婚してから何十年も妻子を養っていくにはいささか心許ない額かと思われる。現在の日本円の3500万円もそんな感覚であろう。

補註 that Moscow murderer: a reference to Mazurin, who murdered the jeweller Kamykov with a razor in July 1866, having bound the handle to ensure a better grip. ・・・(中略)・・・ Dostoevsky modelled Rogozhin on Mazurin, who was also of merchant stock and had inherited two million roubles.(本文のp481&p645への巻末の訳者注釈、p656&p658、同書) 200万ルーブルは現在の日本円にして7億円ほどの価値。とすれば、たとえば当時の英国に投資(七つの海で年利7%!)しておけば年に15万ルーブル(現在の日本円で5000万円)ほどの収入が得られる資産ということで、これは文句なく巨額な財産といってよいだろう。これほどの資産があれば、10万ルーブルをすぐさま工面することも不可能ではない。かといって、その札束をペチカに放り込めるかというと、常人には、悪性の神経熱(今でいうウイルス性脳炎など)に冒されてでもいない限りは不可能であろう。

**

ペテルスブルクの地理: 

蒸し暑いペテルスブルクの7月。

ペテルスブルク中心部の地図〜1860年代頃? 同書・解説・xxxより引用

**

1910年頃のサンクトペテルブルクの地図 ウィキペディアより引用。

*****

**

パヴロフスクについて:

白痴』には、パヴロフスクの別荘(ダーチャ)に住む裕福な人々(「ダーチニキ」dachniki)たちの生活が描かれている。

パヴロフスク ウィキペディアによると・・・

パヴロフスク(パブロフスク、ロシア語: Па́вловск、ラテン文字表記の例Pavlovsk)は、サンクトペテルブルク市の中心の南方30kmほどの位置にある都市。ロシア皇帝の離宮のあるツァールスコエ・セローの町の南に位置し、行政的にはサンクトペテルブルク市プーシキン区に属する。以前はレニングラード州プーシキン市の一部であったが、同市は1998年にサンクトペテルブルク市に併合されその一部となった。人口は14,960人(2002年国勢調査)。

パヴロフスクの町は、ロシア皇族の夏の邸宅の一つであるパヴロフスク宮殿の周りに発展した町である。同宮殿はユネスコ世界遺産サンクトペテルブルク歴史地区と関連建造物群」の一部である。

・・・(中略)・・・

ロシア革命以前、パヴロフスクは首都サンクトペテルブルクに住む富裕な住民たちのお気に入りの夏の別荘地であった。フョードル・ドストエフスキーの小説『白痴』には、パヴロフスクの別荘(ダーチャ)に住む裕福な人々(「ダーチニキ」、dachniki)たちの生活が描かれている[2]

ロシア最初の鉄道であるサンクトペテルブルク=パヴロフスク=ツァールスコエ・セロー間の鉄道は1837年10月10日に開通し、交通の便は良くなった。ロンドンの地名にちなみ「ヴォクソール・パビリオン」(Vauxhall Pavilion)と呼ばれた駅舎は、当時は一種のコンサートホールとしても使われ、ヨハン・シュトラウス2世フランツ・リストロベルト・シューマンといった有名音楽家らが鉄道会社にロシアへと招かれパヴロフスク駅で演奏会を開いた[3][4][5]。多くの観客が演奏会を聴くために鉄道に乗ってパヴロフスクへとやってきた。この駅舎の名声は、「大きな鉄道駅舎」を意味するヴォクザル(Vokzal, Вокзал)というロシア語単語になって残っている[6]。 以上、ウィキペディアから引用終わり。

補註 「白痴」の中では、ムイシュキン公爵が朝、パヴロフスク駅から汽車に乗って、1時間もしないうちにペテルスブルクに着いたと書かれている。 An hour later he was already in Petersburg, and was ringing at Rogozhin’s house some time after nine. (Oxford版、p633)・・ペテルスブルクの中心から南方 30km なので、なるほど、当時の鉄道(蒸気機関車)で1時間もかからずに行ける距離なのである。

********************************************