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Maugham, Of Human Bondage(2018-4)

2018年12月21日 金曜日 曇り

 

Maugham, Of Human Bondage(2018-4)Chapter 80

 

The unwieldy crowd which had entered the Medical School nearly two years before had thinned out: some had left the hospital, finding the examinations more difficult to pass than they expected, some had been taken away by parents who had not foreseen the expense of life in London, ・・

・・One youth whom Philip knew had devised an ingenious plan to make money; ・・ his name in police-court proceedings.  There had been a remand, then assurances on the part of a harassed father, and the young man had gone out to bear the White Man’s Burden overseas.   (Ch. LXXX, p391)

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補註: the White Man’s Burden モームの「人間の絆」を最初に読んだ16歳の私が、大文字の頭文字で書かれた「the White Man’s Burden」を理解することはできなかっただろう。キプリングに由来する「the White Man’s Burden」・・私の場合、E. サイードの「オリエンタリズム」はじめとして多くの書物を通じて、この言葉の意味を知るようになった。

しかし、2018年の現在であれば、16歳の少年であっても、ウェブでウィキペディアのレベルの知識を比較的簡単に得ることができる。しかし、十分に理解していくにはさらに多くのことを学ばなければならないだろう。

https://en.wikipedia.org/wiki/The_White_Man%27s_Burden

The White Man’s Burden: The United States and the Philippine Islands (1899), by Rudyard Kipling, is a poem about the Philippine–American War (1899–1902), which exhorts the U.S. to assume colonial control of the Filipino people and their country.[1]

上記はウィキペディアから引用。

モームの「人間の絆」が出版されたのは1915年であるから、読者は「the White Man’s Burden」という1899年の詩に由来する固有一般名詞を理解して読んだことであろう。一方で、この小説「人間の絆」の設定の中でフィリップが生きているのは、1896,7,8年ごろ(1899年から始まるボーア戦争の少し前)と想定されるので、1899年のキプリングは読めていないはず。つまり、この小説のこの部分の記載は(他の部分も多くは同じであるが)作者モームの視点で書かれており、フィリップの視点ではない。オースティンの小説あるいは古く紫式部の源氏物語で随所に使われているような、登場人物の視点と作者の視点が複雑に交錯する「自由間接話法」のようなテクニックはほとんど出てこない。モームの文章はシンプルでわかりやすい。

さて、モームが「the White Man’s Burden」をどんなふうに受けとめて、この文にどんな意味合いを持たせているかに関しては、面白い課題であるが、答えるためには総合的な知識が要求されそうだ。モームの場合、ストレートに「the White Man’s Burden」を是としているとは思われない。この文でも、詐欺まがいのクレジット借金で警察裁判ざたになったデタラメ医学生が、ロンドンにいられなくなって海外(アジアないしアフリカ)へと出かけて行くという設定になっていて、この短いセンテンスの中にも、モームらしい斜に構えた皮肉な視線と、人間への興味(冷静だがヒューマニズム系の暖かみある視点である)とが混じり合っているように感じられる。

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補註  in police-court proceedings ・・ここではこの単語に定冠詞 the が付いておらず、大文字で始まってもいないので、「警察裁判所・紀要に掲載されていた」とでも訳すのだろうか。官報のような印刷物だろうか。七つの海を股にかけて日の沈まぬ19世紀末の大英帝国の police-court proceedings ともなれば、たとえロンドン界隈だけの地方版であったとしても、相当にヴァラエティーに富んでいて面白くヴォリュームもあったことであろう。だからとても簡略に紀要にまとめられていたことであろうが。フィリップと同時代ということなら、あのシャーロック・ホームズ(コナン・ドイル)も目を通していた紀要であろうか。

ウェブ辞書を引いてみると・・

police court アクセントpolíce còurt
名詞可算名詞 警察裁判所軽犯罪即決裁判などを行なう》.
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補註 remand  再勾留 (裁判の)差し戻し 送還
補註 then assurances on the part of a harassed father, ・・
harassed は受け身形なので、harassement を受けているのは父親の側、harass しているのは息子の方である。バカ息子の借金に困り切った父親が息子の借金(を父親が必ず返しますという)保証をしてやって・・という意味だろう。こんな息子を育てて医大に行かせた父親にも責任があるというわかりやすい話だが、こんな息子が行った先いわゆるフロンティアのアジアないしアフリカの人々にはどんな災いが「as the Nonwhite Man’s Burden」として降り注ぐことになるだろうか。海外で荒稼ぎをしてからイギリスに帰省し、「息子の富貴なるがゆえに」社会から見直され父親から褒められるということになっても、放蕩息子の帰還の美談と捉えてはならないのである。
Say that they (=イエローヴェストで抗議しているフランスの人々) would never accept any benefits or extra money, if they come from robbing poor and colonized nations of all that have left.・・
But until they do, until I am convinced that their victory would not harm others, millions of others, I’ll continue to be much more concerned about people of Vietnam and Papua, about Iran, Africa, Syria or the entire Middle East, than about whether someone individual in rural France can afford to take his wife for dinner to a restaurant. Vltchek 氏の2018年12月17日付け、イエローヴェストで抗議しているフランスの人々に関連してのコメントから引用。 https://journal-neo.org/2018/12/17/what-happens-if-the-french-yellow-vests-win/
1899年からは120年も経過した今でも、問題の本質は変わっていないように思われる。
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