タイムパラドックス

ロボット3原則 & タイムパラドックス: Principles and Paradoxes in Science and Science Fiction

2015年2月5日 木曜日 晴れのち曇り

前回記載した「ロボット3原則」と並んで、SFのモチーフとして有名なものに、タイムマシーンにまつわるパラドックスがある。現代の物理学でも「並行宇宙/別の時間線」の理論として大変おもしろい論点である。M理論に関しては3年ぐらい前から素人向けの一般書たとえばブライアン・グリーン、スティーヴン・ホーキング、レオナード・サスキンド、ロジャー・ペンローズらの本で勉強し始めていて、そのうちもう少し理解を深めて紹介できたらと思っている。とはいうものの、数式がひとつもでてこない物理学の一般書を読み通しても何かを理解したという実感がわかず、苦手意識が強まっている現状である。

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タイムパラドックスに関して現時点での常識といえるものに関して、以下ウィキペディアの記載を引用してみる。

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親殺しのパラドックスは、タイムトラベルにまつわるパラドックスで、SF作家ルネ・バルジャベルが1943年の著作 Le Voyageur Imprudent(軽はずみな旅行者)で最初に(この正確な形式で)描いた。英語では grandfather paradox(祖父のパラドックス)と呼ぶ。すなわち、「ある人が時間を遡って、血の繋がった祖父が祖母に出会う前に殺してしまったらどうなるか」というものである。
目次:
1 科学的理論
1.1 ノヴィコフの首尾一貫の原則
1.2 並行宇宙/別の時間線
2 SFにおける解釈
2.1 並行宇宙
2.2 過去は変えられない
2.3 宇宙が消滅する
2.4 過去の改変は取り消される
2.5 過去改変の試みは織り込み済み
(以上は親殺しのパラドックスのウィキペディアの記事より引用)

物理学における並行宇宙の仮説として、次の例がある。(以下も同じく、親殺しのパラドックスのウィキペディアの記事より引用)

エヴェレットの多世界解釈:
量子力学の理論の一つで、ゼロでない確率のあらゆる無作為な量子事象は全てそれぞれ異なる「世界」で実際に起きており、歴史(時間線)は常に様々な「世界」に分岐している。物理学者デイヴィッド・ドイッチュは過去に遡るタイムトラベルが可能だとしたら、時間旅行者が遡った先は出発点とはことなる歴史の枝になるだろうと主張した。

M理論:
6つの超弦理論を統合した仮説的な理論だが、今のところほとんど不完全である。M理論から導かれるアイデアの一つが、brane と呼ばれる3次元の膜の形で複数の宇宙が空間の第4の次元(いわゆる4次元といったときの時間とは異なる)上で並んでいるという仮説である(ブレーンワールド)。しかし多世界解釈とは異なり、物理学界から brane が歴史の一つのバージョンに対応しているという主張はなされておらず、タイムトラベルが brane から brane への旅行だという主張もない。我々の銀河系と良く似た他の銀河が(我々の銀河系の)パラレルワールド的存在の銀河ではなく、単に別個の銀河として存在しているだけの様に、我々の宇宙であるブレーンと他のブレーンの関係も互いに別個の独立したブレーンでしかないとする見方がシンプルでありごく自然だからである。

(以上も同じく、親殺しのパラドックスのウィキペディアの記事より引用)

タイムパラドックス temporal paradox に関しては英語版の wikipedia でも詳細な解説が載っている。http://en.wikipedia.org/wiki/Temporal_paradox より以下引用。

A temporal, time, or time-travel paradox is a logical contradiction or paradox that appears to be inherent in at least one of the theoretical scenarios suggested by the supposition that “time travel” into the past is possible. These include at least three hypothetical or fictional forms of backward causation mediated by “time travel” from one time to a time in its past:
1)& 2)the bootstrap and predestination paradoxes, where, respectively, the existence of an object, or the occurrence of an event, would be construed as existing or occurring only because of the (backward) influence on it of what might be called “its later self”
3)the grandfather paradox, where an event, that presupposes a specific earlier event, prevents it, by its (backward) influence on the earlier event

Contents
1 Solution
1.1 Novikov self-consistency principle
1.2 Multiple universes hypothesis
1.3 Branching universe hypothesis
1.4 Timeline corruption hypothesis
1.5 Erased timeline hypothesis
1.6 Temporal merging hypothesis
1.7 Choice timeline hypothesis
1.8 Can-not because has-not because will-not theory
1.9 Self-healing hypothesis
1.10 Destruction resolution
1.11 Temporal modification negation theory
1.12 Changes allowed, without resolution to paradoxes
1.13 Doomed timeline theory
1.14 Summerville’s timeline theory

以上、http://en.wikipedia.org/wiki/Temporal_paradox より引用。

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タイムマシーンの出てくるSFといえば、「夏への扉」を思い出す。同じくウィキペディアの項目をみてみると:

『夏への扉』(なつへのとびら、原題:The Door into Summer) は、アメリカのSF作家ロバート・A・ハインラインが1956年に発表したSF小説。...タイムトラベルを扱ったSF小説が直面する一般的な問題である、「自分自身との遭遇」、「未来からのタイムトラベルによる過去の変更」、「タイムトラベルを使って「将来の出来事」を変えることが倫理的かどうか」などを扱った初期のSF小説の一つである。また、「猫SF(あるいは猫小説)」の代表作としても知られる。http://ja.wikipedia.org/wiki/夏への扉 より引用。

英語版の wiki にはさらに詳しい梗概が記載されている。http://en.wikipedia.org/wiki/The_Door_into_Summer ただし、タイムパラドックスに関する解析は wiki の該当ページには記されていない。

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免疫沈降を巡る今昔物語

2004年9月17日

私が癌研の鶴尾隆先生のお部屋に初めて伺ったのは1983年の12月14日。先輩の渡邉俊樹先生のご紹介である。以来、2000年の3月24日まで16年余、癌研での研究生活を送ることとなった。

私にとって、研究の第一歩は、抗癌剤耐性を克服するモノクローン抗体のスクリーニングである。「星の時間」と言えるのは、免疫沈降法(以下、IP)によって抗原決定に成功した瞬間だろう。1985年3月から始めたIP。やっと成功したのは6ヶ月後、9月半ばのことである。その間、大学を退職し医局も離れて、無給なのにアルバイトもせず、生活の全部を打ち込んだ。

学んだこと:自分の手で実験し、失敗し、失敗の原因がなぜか考えて、工夫してやってみて、やはり失敗し、失敗の原因がなぜか考えて、さらに工夫してやってみて、やはり失敗し、、、失敗の連続、、、決してくじけず、、、いや、ほとんどくじけそうになりながらも、、、そして最終的に成功する(に違いないと思って続ける)。これが、研究だ。

20年後、今では、眼の調節の問題から、細かい実験操作は難しくなってしまった。しかし、自分の手を動かす個々の実験が医学研究の根本。若い研究者と一緒に、96ウェルアッセイの生データを見ながら何かをつかむこと、予想が当たったかどうか自分の目で顕微鏡をのぞいて確かめること、そこに科学することのおもしろさを見つけたい。だから(?)昔話を語るのではなく、今を現役で生きることが大切。

そこで、今回は、IPの技術に関して、20年前と今とで、何が変わって何が変わらないか私見を述べてみたい。ただし、IPと一口に言っても、抗原が多岐にわたり実験目的が雑多であれば、ここで論じ尽くせない。20年前に対象となり、今も私のメインプロジェクトである、生きている動物細胞・生体組織の膜表面に結合する新規モノクローン抗体に関して、未知の標的タンパク抗原を同定しようとする場合に限定する。

個々の抗体と膜表面抗原のペアによっては、IPの難しいものが多い。膜タンパクをネイティブな構造のままで可溶化するのが難しく、可溶化によってエピトープの構造が変化し、抗体と抗原がくっつかなくなってしまう。何の工夫も必要なく、最初のトライアルでIPに成功することもある。しかし、どうしても抗原を決められない難しいものもある。予測不能。気まぐれとも言える難しさだ。

1.ウェスタンブロット(WB)法vs免疫沈降(IP)法。

WBが本領発揮するのは、SDSによる変性と電気泳動(SDS-PAGE)で、短時間で抗原の分子量を決定できる場合である。複合体の中のサブユニットを認識する抗体の場合には、IP法では抗原のみならず複数の結合タンパクが落ちてくるが、WB法では抗原分子を選別できる。

一方、WBはSDSで抗原を変性させる操作を伴うため、WBによる検出が不可能な抗体も多い。特に、標的の機能修飾ができる「機能性抗体」は、標的タンパクの高次構造を認識する場合が多く、多くはWB不能である。WB不能の抗体に関しては、特に粘ることなく、IPを工夫してゆくのが得策と考える。

2.タンパクないし細胞のラベル法、検出法。20年前、カーボン14ロイシンでメタボリックラベルした。オートラジオグラフィーを3日目で開け、抗原バンドが得られない場合は、一週間から10日のエクスポージャーで何とか抗原バンドが見えないかと粘った。20年前、IPの繰り返しで6ヶ月の時間を要した。この多くの部分は、オートラののエクスポージャー待ち時間である。待っている間は、(万が一)失敗していたら次はここを改良してみよう、という実験プロトコールの考案に当てた。現在の実験のテンポと比較すれば、ずいぶんのんびりしたスケジュールである。が、失敗が重なると先が真っ暗で焦燥感がつのる。失敗していても次にトライする改良実験を思いつくのが困難である。

蛍光イメージアナライザーが癌研の研究所に導入されたのが、それから数年後のことである。実験のペースは大きく加速した。この時代の流れの中で、カーボン14によるラベルは余りにもペースが遅く、今では免疫沈降の場面で用いられることは稀である。また、現在では、ラジオアイソトープを使う実験自体、非常に少なくなった。現在、私たちはリジンのイプシロンのアミンをビオチンラベルする方法を汎用している。生きた細胞の表面タンパクのリジン残基を極めて簡単にラベルすることができる。ビオチン化によってもエピトープ認識が維持されていることを、FACSなどで確認したうえでIPに取りかかる。

3.膜の可溶化法。20年前、最初に使った可溶化剤がNP40。NP40は、教科書には最もマイルドな可溶化剤と書かれていたので、ファーストチョイスで用いた。が、これがつまずきの始まりであった。ずっと後になって、さまざまの可溶化剤を系統的に調べてみたところ、私が追い求めていたことになる膜12回貫通のP糖タンパクと私の抗体の組み合わせでは、CHAPS、デオキシコレート(DOC)、コレートではIP可能、NP40、nオクチルグルコシドなどではIPできないことが明らかとなった。ABCトランスポーターのATPase活性を可溶化剤ごとに検討したところ、CHAPSではATPase活性が得られたのに対して、DOCでは全く活性が認められなかった。現在の私たちの方針:まず、TritonX100など、代表的な可溶化剤でIPをトライ。これで抗原バンドが得られない場合は、第2段として、先入観無く、各種可溶化剤を(できるだけ多く)トライ。それでも難しい場合には、第3ラインとして、以下の化学架橋を試みる。

4.化学架橋による抗原と抗体の共有結合を利用する免疫沈降。20年前、13回目のIPで、架橋化剤DSPを使用。あらかじめ抗体を細胞に結合させたあと、架橋剤を加えて抗原と抗体を共有結合で結びつける。そのあと、可溶化。この方法では、どんな可溶化剤でも抗原同定可能なので、一種類の可溶化剤を用いる。DSPによって抗体と抗原がリンクされているので、(もともとのエピトープと抗体の結合がはずれてしまうが)IP法によって抗原の分子量を同定することができた。これが、私の最初のIP実験成功。

どんな場合でも架橋は成功するのか? 先日、ピアス社から売り出されている架橋化剤のリストを調べてみた。システインのSH基を利用するもの、糖鎖のCHOを使うものなど、若干数あるが、大多数はリジンのイプシロンのアミンを利用するものだ。従って、基本的には抗体のリジンと抗原のリジンを架橋できるかどうかが、この方法の汎用性を決める。架橋化剤のアームの長さは10オングストローム程度で、選択可能である。残念ながら、アームの長さを変えてさまざまトライした経験はない。

IPに関連して、語りたい話題は多い。プロテインA、プロテインG、プロテインL、どれを使って抗体抗原コンプレックスを落とそうか? 得意としている遺伝子操作によるIgMからIgGへのサブクラスの変換。抗原の同定法としての、ペプチドシークエンサー、質量分析。発現ライブラリーの抗体反応スクリーニングによるcDNAクローニング。抗原が既知のものとわかった場合、どこまで粘るか? 特許出願は? そして、目指すは、抗体の臨床応用。今の自分を眺めてみると、何度トライしても成功しないIP実験で、バンドが現れないオートラのフィルムを洗いながら、赤いぼっとした光のともる暗室の中で一人っきりで沈み込んでいた20年前の自分と、基本的にほとんど同じ研究者を見いだす。20年前に癌研で始めた仕事を今も続けている。次のIPは成功させるぞと、唇を噛みながら。

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以上、2004年9月17日付けのWEBページより再掲
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市民科学者として生きる

 

市民科学者として生きる: 人はどうしたら本当の科学者として生きていけるか

 

2014年2月20日 木曜日

 

島村英紀さんの「人はなぜ御用学者になるのか―地震と原発」花伝社 2013年 を読了。島村さんの充実したWEBですでに公開されている文章が少なからず再録されており、常日頃の島村さんの熱心なファンとしてはやや物足りない面がないわけではなかったが、それでも一息に通読させていただいた。

さて、メインストリームの科学研究が主に国家予算から支出される研究助成金によって支えられている現状から、科学研究の多くが国家にとって役に立つことすなわち「御用」を務めることのできる方向に向けられることは当然であろう。この辺りの機微に関して島村さんのWEB記事や単行本ではまとめてよく記載されている。

多くの科学者がややもすると御用学者になってしまうことに関しては、島村さんの単行本の中によく書かれいるので、ここでは私は、「人はどうしたら御用学者にならないで本当の科学者として生きていけるか」ということに関して考えてみたい。

科学を支える行政に関して、問題の本質は、「何が国家にとって本当に役立つことか」という問いかけである。 これを論議できるような情報が国民に十分に公開されず、深く議論されることもなく、国民ひとりひとりが時間をかけて考える機会もなく、国民のアイデアや希望が行政に伝えられる道も開かれていない。行政と行政から選ばれた審議会などの一部の担当者たちのその時の判断にゆだねられているのが現状である。彼らの視点から国家にとって役立つように見えても、長い目で見てあるいは結果から判断して決して役立ってはいなかった、ないしは他のことに人的物的資源を振り向けた方がよほど有益だったであろうに、という事例が多々ある。島村さんの専門分野の地球科学や地震科学、しかり。私が取り組んできた医学研究、しかり。以前の私のWEB記事で繰り返し、「もう少しだけ目線を高く遠くに向けて」と訴えてきたのは、このような意図からである。

さて、ここまでは、国家ないし企業の助成による科学研究、すなわち現代文明の花形であるメインストリームの科学研究に関して述べたものであるが、視野をもう少し広げて問題を提起してみたい。すなわち、助成金がもらえなくても科学はできるのではないか? 国家や企業の予算支援に支えられなくても科学者として生きることは可能ではないか?

私が今まで学生や大学院生の教育に懸命になって取り組んできたのは、職業科学者を育てるのが目的ではなかった。そうではなくて、「科学する人」を育てることを目指してきた。前回のメールではリサーチマインドという表現を使わせていただいた。「科学する人」は必ずしも職業科学者である必要はない。一人の市民として、科学的な方法、科学的な取り組み方で、それぞれの今の課題に立ち向かっていける人を指している。

一例を挙げよう。たとえば第一線で働いているお医者さんのほとんどは、文部科学省の大きな助成金を受けて研究プロジェクトを推進しているわけではない。しかし、多くの難しい課題を抱えた個々の患者を目の前にして、今でもわからないことだらけである。それを何とかしてわかろうとしない限り、医者のやっていることは、500年前の呪い(まじない)師と実質的に変わらない営みになってしまう。わからないことに直面したその時、医者に求められている姿勢は、隠されている本質を見抜く科学者としての取り組み方である。

もう一例。たとえば土地を耕す一人の農家を考えてみよう。太陽そして地球、季節と天候、タネや動物や虫たち、空中のカビ、土壌の微生物に至るまで、さまざまな自然にさらされふれ合い、それらに思いを馳せながら作物を育てる。やっぱり、わからないことだらけである。それを何とかしてわかろうとしない限り、困難を乗り越えてそれぞれが目指すところへと進んでゆくことはできない。人類が1万年前に農耕を始めたときから今に至るまで、直耕の農民は「わかろう」と努めてきた。本当のことを知ろうとする「科学する心」はすべて時代の農民にとって大切なものであり続けてきたのだ。

以上、医師と農家の2例を挙げただけだが、ほかのどんな職業に就いている人であっても、あるいは職業とは関係のない人の営みであっても、私たちがよりよく生きていくうえで、「科学するこころ(リサーチマインド)」は貴重なものなのだ。

「科学するこころ」はもっとずっと広く、そして楽しい人類の営みを指している言葉であり、私たちは「市民科学者」として、「科学する心を持った人」として、胸を張って楽しく歩を進め生きてゆくことができる。

国家の助成金に支えられた、ややもすると競争の激しい、孤独で暗くなりがちな職業科学者たちによる、国家社会の御用を務める「仕事としての科学」は、 科学のなかでも特殊な比較的小さなカテゴリー(範疇)に属するものだ。本当の科学は、もっとずっと広く、明るい。それは、私たち市民ひとりひとりの手の中そして心の中にある。

国民一人一人が市民科学者として学び考え行動すること、今一歩、さらにもう一歩、歩を進めてゆくこと、そして、それを積み重ねることを続けてゆければ、すばらしい。

国家行政予算から多額の助成金を受けて大きな研究を進める職業科学者たちの仕事は、それらの市民科学者たちによって真の意味で正しい方向に舵取りされ支えられることによってのみ、国家にとって本当に役立つ仕事へとつながってゆくのである。科学と学問を進める真の主体は、本当は、市民科学者としての私たち国民市民一人一人である。憲法の前文を持ち出すまでもなく、国民が国家の主権者であるのだから。

 

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以上、島村さんの単行本を読んでの所感。2014年2月21日付け。

 

島村英紀さんの「人はなぜ御用学者になるのか―地震と原発」(花伝社 2013年)をお読みください。

 

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グラフの形が違う!

 

グラフの形が違う!: ユーア、ロングの思い出。

 

2006年1月17日e

「グラフの形を比べてみよう!」とは、当部のメンバーなら、耳にたこができるほど聞かされている。しかし、ここで語るのは、「ユーア、ロングの思い出」である。すべては語れない。痛恨の想いに沈み込む。とげのように深く突き刺さって、古い傷口が今でも疼くのである。

1991年のこと、私は、Hv大学のG教授のところに相談に行った。Hv大学は、私の小学生の頃からのあこがれの大学でもあり、また、G教授はノーベル賞ももらっている天才科学者の誉れ高い人だ。パーティでお宅にうかがったこともあったし、常々、立派な仕事に心服していたのである。G教授のところに一回目に相談にうかがったときに、私の仕事で面白いデータのでていること、G教授のテーマの方向でその仕事を発展させていきたいことを話した。結果、日を改めてもう一度、私の実際のデータを見せて、具体的なディスカッションをすることとなった。

私のデータは、今までの平凡なデータとは違ったラインの仕事で、なかなか不思議な実験データであった。ただ、その面白さが、当時のボスのM先生が決して面白がらないジャンルの面白さで、むしろ、G教授にぴったりのプロジェクトにつながりそうだった。私は、是非、G教授のアドバイスをもらい、ボストンの地で、科学者としての起死回生の仕事に打ち込んでみたいと思ったのだ。

さて、G教授に見せに持っていくべきいくつかのデータのうち、一つのフィギャーでは、2回繰り返して基本的には同じ興味深い結果が出ていた。ただ、グラフがでこぼこしていて、実験が下手だと思われそうなデータだった。が、まあ、仕方なかろう。G教授のところに2回目に訪問、そのデータを見せて説明したところ、G教授が即座に「ユーア、ロング」と大声で言った。私は、何が長いのか分からず、びっくりしてしまった。「ロング、ロング」と繰り返す。私は、ようやく、「You are wrong. (お前は間違っているぞ)」と言われているのに気づいた。G教授は、グラフの形が different (違っている)、というのだ。私は、実験のデータのばらつきでグラフがでこぼこしていることかと思い、実験手技が下手であることによるでこぼこではあっても、結論が間違っていることにはならないことを、冷や汗をかきながら一生懸命説明した。何しろ、私の命運がかかっている。

しかし、それでも、ユーア、ロングと言われた。そして、こんなこともわからないのかと蔑んだような身振り言い方で、彼が説明するには、私の仮説が正しければ、私が実験で得るはずのグラフの形は、コントロール実験のグラフの形と同じ、すなわち、平行移動したら重なる形になるはずである。ところが、私の実験結果は、変にへちゃげた、コントロールとは全く違った形のグラフになっている、すなわち、私の仮説とは全く違った異質の「何か」が起こっている、と解釈しなくてはならない。私もようやく、そのグラフに関して自分の解釈の誤りに気づいた。確かに、G先生のおっしゃるとおり、私の仮説は成り立たないかもしれない。言われたことは良くわかった。

それは良くわかったが、こうしてG先生のところに相談に来ている理由は、局所的にそのデータの解釈だけを教えてもらいたかったからではない。科学者としての姿勢を尊敬しているG先生からさまざま大局的なアドバイスをもらいたいから、こうして相談に来ているのである、そう言ってお願いしたが、冷たくあしらわれただけであった。日本的な浪花節では通用しない世界がそこにある。たとえ一つのフィギャーにせよ、データの解釈を間違えたこと自体、言語道断、徹底的に糾弾さるべき愚かさ、ということか。あとには、とげとげしい冷たさが残ったのみであった。

問題のフィギャーに関して、あとから落ち着いて追加実験を行って、やはり私の実験結果のアセス(評価)は間違っており、バクテリアからタンパクを精製してきたときの夾雑物による影響を見ていただけらしいことを、自ら突き止めた。結果として、G先生の読みは正しかった。しかし、よそのポスドクのデータを開示させ、局所的な解釈に関して、あれほど厳しく糾弾された。私はひとりで、ひどく落ち込んだ。その辺の人間関係的事情はさておき、私はその時はじめて、自分の実験データの読みがいかに浅かったかを思い知らされた。「ユーア、ロング」とあからさまに指摘されたのは、あの時がはじめてであった。(今のところ、あれが最後であった、と言えるが、これはまだ当分、確定しない。) 私も、すでに30報以上の英文原著を発表してきた34歳の科学者として、ひとつの実績は出してきていたはずなのに、すべてを打ち砕かれた面接だった。今に至るまで、この「グラフの形が違う!」は、私にとって最も貴重な研究のキーワードであり続けている。部員の前で「グラフの形」と言うたびに、依然として、私のどこかで小さな「とげ」のようなものが動いているのが見つかる。「ユーア、ロング」は、私の痛みであり、悔しさ・屈辱である。

2年間のボストン留学時代は、科学者としての私にとって、惨めな模索の時期であった。

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以上、グラフの形が違う!: ユーア、ロングの思い出  2006年1月17日e 付けのWEBページより再掲

 

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