鐸木さんと選挙 & 「斎(齋)」vs「斉(齊)」

2018年4月14日 土曜日 くもり
 
鐸木さんの180410付けの日記より <以下引用> http://nikko.us/18/051.html
 
なるべく喧嘩せず、対立構図を作らず、したたかに相手(国や県や大企業)を取り込み、結果として今よりいい方向に向かう知恵と対人関係形成能力が政治家には不可欠。清濁併せ呑み、ゲームに勝つずるがしこさも必要なのだ。

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鐸木能光 医者には書けない幸せな死に方

2018年1月22日 月曜日 雪

たくきよしみつ(鐸木能光) 医者には絶対書けない幸せな死に方 (講談社+α新書) 2018年

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「家で死にたい」親と「家で死なせたくない」家族
 介護に疲れ果てて親や配偶者を殺したり心中したりする事件はたくさん起きていますし、これからも増えていくでしょう。そうした現実も踏まえて、介護施設や介護サービスを正しく選択し、うまく利用する技術も必要になってきます。(鐸木、同書、p149)

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私は、下の世話であれ入浴の手伝いであれ、「介護」と名のつく行為が必要になった場合、親子が無理に同居するのは極力避けたほうがいいと思っています。(鐸木、同書、p150)

・・となると、寝たきりではないが共同生活も困難であるという、いちばんやっかいなレベルの老人の面倒は家族がみなければならないという状況が生まれ、その結果、介護する側の家族のほうがストレスに耐えきれず、先に倒れてしまうのです。
 親の介護ができないような子は親不孝だという考え方は、子の側だけでなく、親の側も不幸にします。(鐸木、同書、p151)

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入所可能な施設が見つかったら、契約前にこう訊いてみましょう。
「ここで死んでもいいですか?」「ここで死なせてくれますか?」と。
その問いにどれだけしっかりした答え方をしてくれるかで、その施設のポリシーや姿勢が見えてくるはずです。(鐸木、同書、p186)

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・・「愛」などという言葉を使うと都合よく取り繕っているように思われそうですが、歳を取ってからの愛は、自分の弱さ、欠点、死を逃れられない運命・・そういうものの裏返しではないかと感じます。(鐸木、同書あとがき、p221)

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補註 認知症や介護施設のところは「情報」や「具体的な技術」が詳しく上手にまとめられていて大変参考になった。鐸木さんの「のぼみ〜日記」http://nikko.us/17/294.html もいつも読ませていただいている。

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死をさけることのできない人間のフィナーレ

2018年1月21日 日曜日 晴れ

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中村 仁一 「治る」ことをあきらめる 「死に方上手」のすすめ (講談社+α新書) 2013年

久坂部 羊 日本人の死に時―そんなに長生きしたいですか (幻冬舎新書) 2007年

星新一 ひとにぎりの未来 新潮文庫 昭和55年(もとの作品集は昭和44年に新潮社から刊行された)

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老い方・死に方を見せる役割
 老年期は、自分がこれまでの人生で価値あると思ったものを、次の世代に受け渡していく時期です。その老い方・死に方を後からくるものに見せるという、最後の役割、仕事が残されていると思います。
 死に方にもいろいろな型がないと困るわけですから、従容として死ぬ必要はないのです。泣き喚いても、のたうち回っても、それはそれでいいと思います。
 老い方も、決して立派である必要はなく、ボケでも寝たきりでも、どのような形でも、一向に構わないのです。(補註#参照)(中村仁一 上掲書、p103)

上手に子離れを
 親は子どもを育てる過程で、子どもがいなければ体験できないような人生の局面を、「怒り」や「嘆き」や「心配」により、たっぷりと味わわせてもらっているのです。子どもはそれで十分に親に恩返しをしており、そのことで、親と子どもの関係は差し引きゼロになっていると思います。
 ですから、それ以上の反対給付を子どもに望むのは、強欲といっても差し支えないと思うのです。(補註##と補註###を参照)(中村、同書、p129)

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「先生の開発なさった、あの新薬の効果は劇的でございますね。すばらしいと言うほかありません」
「ああ。天国の幻覚を見せる作用を持つ薬のことか。あれを使うと、だれも死に直面することがこわくなくなる。いや、あこがれるようになりさえする。そして、やすらかな死にぎわとなるのだ」
「死をさけることのできない人間すべてにとって、最高の救いであり、最高のおくりものといえましょう」
 だが、医者はどこかつまらなそうな表情で言う。
「わたしもあの薬を開発してよかったと思う。使用法がああだから、秘密にしなければならず、・・・以下略・・・」(星新一 フィナーレ p340 ひとにぎりの未来 新潮文庫 昭和55年)

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補註# A)「老年期は、自分がこれまでの人生で価値あると思ったものを、次の世代に受け渡していく時期」; B)「その老い方・死に方を後からくるものに見せるという、最後の役割・仕事」
 筆者・中村仁一さんのお話の骨子と思われるところである。
 A)に関しては「価値」のすりあわせが老者と次世代者のあいだでできていないことが問題となる。
 B)に関しては結局はあらゆる人が遂行してしまう。しかし、以下のことが問題となる。すなわち:
1)特殊な事例を除いて、老いそして死ぬ老者自身が、それ(=「その老い方・死に方を後からくるものに見せるという、最後の役割・仕事」)を価値として自覚できない(つまり上記A項が自覚的に遂行されない)場合が一般的である。
そしてまた、
2)(やはり、特殊な事例を除いて)先達の老い方・死に方を見つめるという役割・仕事を請け負うべきはずの「次世代者」が、その請け負いを無自覚あるいは忘却ないし無視して過ごしてしまうことが常態である。

補註者の見解としては、「次世代者」として一般に他の「人」を想定しても現実味に乏しいと思う。やはり特定の「家族」の人を想定することしか現実的な議論はできないと思う。

したがって、
補註## 中村さんのご意見としては「それ以上の反対給付を子どもに望む」のはいけない、とおっしゃることで「子ども」の負担を軽減してあげたいという優しいお気持ちはよくわかるものの、老いる(そして死ぬ)人はその「子ども(家族)」にしか、価値あるもの(そして逆に負の価値の高いもの=苦労)を受け渡すことが許されていないという現実を直視すべきであろう。

補註### それ以上の反対給付を子どもに求めること・・人類を除いて他の哺乳類のほとんどは生殖年齢を過ぎると死んでしまうので、「それ以上の反対給付」を子どもに求めることはない。しかし、人類は寿命が延びたため、生殖年齢を過ぎた後にも何十年かを生きられることになる。自分の世話を十分に行う事ができなくなった最晩年の介護は、誰かが担わなければならない。誰が担うべきか? ・・議論は根元に戻ることになる。

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生産へ参加する安心な老後

2016年2月4日 木曜日 曇り

以前に<「安心な老後」と「末は小町」>というタイトルで老後の暮らしについての所感を述べた。 http://quercus-mikasa.com/2014/07/old-age-life/ をここに再掲してみる。この文章のなかで、私は以下のように述べた。

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私は「安心な老後」としてたとえば以下のようなものを想定してみる:

a. 家族そして地域や社会の中で人とつながり、役割を担い果たしてゆくこと: 生産への参加

b. 衣食住と医療介護などが必要に応じて他者と等し並みに得られること: 生存の平等

c. 仲間たちや子孫たちが今よりも少しずつでも良い方向へと向かう社会を築いていくだろうと期待して生きていられる老後: 社会幸福の漸増

d. 私たちの積み重ねてきた価値あるものが仲間たちや子孫たちに価値あるものとして継承されると安心していられる老後: 文化・価値の継承

(以上は、<「安心な老後」と「末は小町」> http://quercus-mikasa.com/2014/07/old-age-life/ より引用)

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補注:(2016年2月4日付け)「生産への参加」について

「a. 家族そして地域や社会の中で人とつながり、役割を担い果たしてゆくこと: 生産への参加」

 両親で子育てすること、そしてそのための家事、これは定義によっては仕事の範疇からは外れるかもしれないが、ヒトの再生産という立場からは、最も根本的な「生産への参加」である。ただし、「老後」を考えるなら、とりあえずはこの子育ての時期を卒業した人々の世代を老後世代と考えるとよいだろう。
 「生産への参加」というのは、端的には「働くこと」と言い換えてもよい。憲法用語で表現するなら、労働の義務を負い、労働の権利が保障されるということである。労働とは、本人にとって、そして次の世代の人々(子孫)にとって、プラスの価値を持つものをいう。お米や麦を育て収穫すること、糸を紡ぎ機を織り衣服をつくること、これらは人類の文明そのものと言い換えることのできる労働である。これらはもっともわかりやすい。しかし、労働のスペクトラムは広く、労働とは言いがたいような仕事が繁盛している場合もありえる。
 (い)治水や交通の便のために護岸工事や橋の建設を行うことは価値の高い労働であるが、たとえば、(ドストエフスキーが死の家の記録で語っていたと思うが)(ろ)砂を杵で突くことの繰り返しや、砂山をA地点からB地点に移した後にA地点に移し戻すことは、労苦ではあるかもしれないが、働くこととは言いがたく、生産への参加とは無縁である。前者(い)タイプの労働を「生産」、後者(ろ)タイプの労働を「労苦」と言い換えてみてもよい。英語で work vs labor という区別であろうか。(補注*)大和言葉では、前者は「なりわい(生業)」あるいは「稼(かせ)ぎ」を思いつく。後者は?(当てはまる大和言葉を思いつかない)。 それぞれの文化、それぞれの言語で区別付けした表現があることが多いであろう。
     補注*:ただし、 labor という言葉は(い)タイプの仕事も含む大きな概念でもある。

 (ろ)タイプの作業では、たとえそれが老人にとって健康と長生きにつながるようなものであったとしても、いわゆる「やり甲斐のない・やる気のしない作業」になってしまう。したがって、(い)タイプの生産労働に老人が携わることができるよう、社会(コミュニティ)が機会を充実させていることが理想である。ところが、老人が勇を鼓して生産労働に携わろうといざ身を乗り出すと、その敷居が非常に高いことに気づかされる。老人はその敷居を跨ぐことができず事実上閉め出されている状態にある。
 特に、都会の老後世代には(い)タイプの生産労働に参与するチャンスが極めて乏しい。工業化社会の都市生活者には、専従「消費者」役が割り振られている。彼らの大多数は、生産の場を持たない。わずかながらの家庭菜園も持てない現状である。この現状に対し、もし、希望者は自分たちの畑を耕すことができ、たとえば、タマネギ・ジャガイモ・ニンジンを自給栽培できる場が得られれば、都市居住の老後世代の生きかたは大きく充実するのではないか。都市と農村との連携は(消費者vs生産者に留まるのではなく)その辺りの提携へと進んでゆけたらよいと想う。

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 上記の「生産」に直接には繋がらないかもしれないが、・・・私、昨日、在来種のタマネギの種の注文を郵送したところである。たとえば今年は「ヴェランダでタマネギを育てよう」というような自分向けの手引き書の下準備つまり試験栽培ができればよいかな、などと今、思ってみた。
 通常は、札幌では加温ハウスなどで3月に播種し、5月始めに露地に定植するのである。ところが、私が今年パイプハウスを建てるにしても雪解けの5月を待ってのことになる。現状では今年のタマネギのタネを播く時期は難しい。ならば、専用のハウスがなくとも、3月4月のマンションの窓際を上手に使って、タマネギの育苗はできないものだろうか。エンドウの窓際育苗は去年うまくいったのだから、タマネギだって何とか工夫できるかもしれない。

以上、2016年2月4日 木曜日 曇り

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参考: <「安心な老後」と「末は小町」> http://quercus-mikasa.com/2014/07/old-age-life/ を以下に再掲する。

2014年7月16日 水曜日

一読すると、なるほどと感心する文章だったのに、しばらくしてから、スッキリしないものがホコホコと浮かんでくることがある。 WEBページに公開されている「末は小町をめざして」という田中優子さん(以下TYさん)の文章もその一つである。私なりにあれこれ考えてみてたどり着いた結論から先に述べると、TYさんの文章の全体の論旨には共感させられるのだが、「安心な老後」と対比された「末は小町」という言葉の使われ方に私独特の引っかかりを感じているのである。以下にWEBページから一部を引用しながら何がそしてどうして引っかかるのか考えてみたい。少し長い引用となるがご容赦いただきたい。

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<以下引用>  http://onnagumi.jp/koramu/anosuba/anosuba44.html

なぜかしきりに、今までの様々な事柄からリタイアしたいと思っている。今は、従来の発想ややりかたを墨守していては切り開いていかれない時代だ。自分自身が変わりたいからだが、それより何より、二〇代から四〇代の人たちが思い切り力を発揮できる環境が必要で、そのスペースを空けたい。同じ世代の中には、これから権力を握ろう、これからいい思いをしよう、という人たちもいるのだろうが、そんな人間が多くなったら最悪だ。最低限のことを伝授しつつ、道を譲る時なのである。このごろはふと気がつくと、その「伝え方」と「あけかた」を考えていることが多くなった。

江戸時代では、それを隠居といった。隠居は世間的な価値とは異なる生き方をする時間で、可能な人であれば三〇代から隠居した。そう極端でなくとも、五〇歳にでもなれば隠居し、運良く生き延びれば、次の地平で異なる生き方をしたものである。隠居には後身に道を譲る、という意味も含まれる。だからたとえ重要な仕事をしていて、しかも元気であっても、隠居は早くすべきなのだ。そうでないと社会が停滞する。

「そんなこと言っても老後が不安で」という人が多い。不安でない老後を保障しろ、という人もいる。しかしそうなのだろうか。江戸時代の隠居は、年金がないから自分で稼いだお金で隠居生活を送った。そのために、若い頃から節約するのは当たり前だった。湯水のように金を使った人まで「不安の無い老後を」というのは虫が良すぎる。華やかな生き方をするのであれば、「末は小町」を覚悟すべきだろう。この場合「小町」とは「卒塔婆小町」の意味で、老齢のホームレスの女性を言う。

老いたら、この先自分はどうなるのか、いつまでどのように生きられるか、不安なのが当たり前だ。しかしその不安と引き替えに「自由」がある。それが隠居という生き方である。芭蕉は隠居後、金を持たずに旅をし続けた。それは「野ざらし」を覚悟の上の、生き方としての旅だった。地位も金も肩書きもない、何も持たない己れと向き合う、実に深淵な自由である。日本には、そういう老いかたの伝統がある。

私は、「安心な老後」など送りたくない。千年以上の文化が作り上げてきた深みを、崖っぷちから覗きたいのである。 <引用終わり>

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今回はいくつかの問題提起を箇条書きで並べてみたい。順不同である。

1.衰老落魄説話のヒロイン小町: 小町は奈良平安時代の貴族文化の担い手の中でさらに伝説の中のアイドル。貴族たちの生活の基盤は律令制の下での租庸調すなわち庶民の労働に支えられているものであった。この時代の社会は、武士による封建制支配へと移行する前の時代、すなわち貴族による奴隷制支配の社会構造である。貴族の生き方は寄生的であり生産に携わることがない。小町が貴族の零落した姿であったとしても、奴隷・庶民にまで堕ちたのではない。如何に辺縁に押しやられたとはいえ、貴族の集合の中の要素であり続けているのである。「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」ということとそれでも貴族であることとの間に明確な矛盾が存在している。

2.出家、その象徴としての西行: 奈良時代の国家事業としての仏教、平安貴族の栄耀栄華の持続を願う呪術事業としての仏教、この時代の中で僧侶といえども国家のお抱えであり、いわゆる国家公務員・官僚である。この社会制度のもとでは、僧侶であること自体、「地位も金も肩書きもない、何も持たない己れ」には成れないことを意味する。芭蕉の敬愛する西行、彼が武士を捨て妻や幼い子供を捨てて出家してもなお、「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」には成れないのである。西行は、世を捨てて仏教を選んだというよりもむしろ他の(すべてとはいわないまでも)非常に多くを捨てて芸術を選んだというべきであろう。実際、西行には豊かなサポートがありしっかり暮らしてゆくことができた。もし西行が武士を捨てた上にさらに本当に「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」になってしまえば(あり得ない仮定ではあるが)現実的に生活してゆくことの重みが両肩に重くのしかかり決して芸の道に生きることはできないのである。

3. 芭蕉: 江戸での俳諧の高名な師匠としての暮らしは、今でいうところの芸術大学のタレント教授のような持てはやされる暮らしであろうか。それら安定した暮らしの選択肢を捨て、晩年になっても病身となっても旅に生きる。TYさんの文章にあるように「芭蕉は隠居後、金を持たずに旅をし続けた」ことはほぼ事実かも知れない。が、各地にそれぞれ支援者の層が厚く、旅の姿は乞食のようであっても本当の乞食ではない。芭蕉が芸の道に生きることはそのまま封建制度下の米作り百姓に寄りかかって生きていることになる。「実に深淵な自由」ではあったかもしれないが、芸を売って米を買わねばならぬという意味で、百姓の生産労働に依存した範囲内での自由と考えねばならない。これは本当の自由と言えるのか。

4. 翻って、現代の筆者TYさんによる「末は小町をめざして」: 筆者は言う、「日本には、そういう老いかたの伝統がある。私は、「安心な老後」など送りたくない。千年以上の文化が作り上げてきた深みを、崖っぷちから覗きたいのである。」と。

「千年以上の文化が作り上げてきた深み」は、平安女流文学そして西行・宗祇・芭蕉に代表される文芸文化を意味されているのだろう。それら価値の高い文化を継承すべき私たちにとって「安心な老後」を否定して、それら古人の求めたものを求めて老いを過ごし死を迎えたいという主張には共鳴させられるものがある。

しかし、視点を変えて考えてみよう。 判然としないのは、「末は小町をめざして」の「小町」のイメージである。作者は同じ文章の中で、「この場合「小町」とは「卒塔婆小町」の意味で、老齢のホームレスの女性を言う」とわざわざことわっている。卒塔婆小町は能作者らによって作られていった衰老落魄説話として中世社会に広く語り継がれたという。しかし、現代に生きる筆者によって、老齢のホームレスの女性、その通りの意味で小町という言葉が使われているのか。どこかに捻れが隠れていないか。

庶民の中に紛れ込んでいることはあり得るかもしれないが、小町は貴族、それもたとえ過去の栄光とはいえ文芸界のアイドル・ヒロインである。筆者TYさんは、小町の所属する貴族・文芸を愛して生きる集合の中の一員として最期の自分を想定し、また、大学教授や知識人たちで構成される仲間たちに呼びかけているのではないだろうか。この零落小町を自分の老後に想定される危険の最悪レベルと想定している人が、「安心な老後」を否定したとしても、否定された末に残る最悪の「安心でない老後」はそれほど悲惨な老後ではない。すなわち、自分は衣食の生産に携わらなくとも衣食が他者から供給されるという十分に守られ依存した老後、そして普通の医療が受けられ人並みの利便生活が確保された老後、それぐらいは当たり前としている言論ではないか。であれば、ここに否定されている「安心な老後」というのは、大学教授や知識人たちいわゆる現代の貴族ともいえる人たちを基準とした贅沢な老後であり、現在の一般庶民が想定しなければならない「安心でない老後」を念頭に置いていないのではないか。

私は、「安心な老後」という言葉は、「贅沢な老後」とは違うと思う。より良い社会を作ってゆく上で決してなくしてはならないものとして、否定してはいけない形で使われるべき言葉だと思う。私は「安心な老後」としてたとえば以下のようなものを想定してみる:

a. 家族そして地域や社会の中で人とつながり、役割を担い果たしてゆくこと: 生産への参加

b. 衣食住と医療介護などが必要に応じて他者と等し並みに得られること: 生存の平等

c. 仲間たちや子孫たちが今よりも少しずつでも良い方向へと向かう社会を築いていくだろうと期待して生きていられる老後: 社会幸福の漸増

d. 私たちの積み重ねてきた価値あるものが仲間たちや子孫たちに価値あるものとして継承されると安心していられる老後: 文化・価値の継承

このような観点からは、戦争や原発事故による家族や地域社会ないし国や世界の突然の壊滅を想定することは、「安心な老後」の否定形の最たるものだと思う。

西行・宗祇・芭蕉のような芸術家は民族の歴史の中で、千年にひとりか二人の逸材である。他のすべてを捨ててその道一筋につながって芸を磨いてゆく「老いの伝統」というべきものがもしあったとしても、私たちにはその伝統を安易に模倣できるとは考えない方が良い。むしろ、地域のそして世界の人々とつながりながら安心な老後をひとりひとりが確かに得られるような、そんな社会を築くことを目指してゆくべきではなかろうか。実に平凡に聞こえるかもしれないが、私はそう思う。

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追伸: 2014年7月16日 水曜日

文章をそれ単独で読んで理解する立場から離れて考えてみるのも良いかもしれない。たとえば、どういう状況に生きている人が書き、それまではどのようにして生きてきたか、そして(過去の文章であれば)書いた人はその後どのように生きていったか、という歴史である。視点をさらに展開させて、その文章が読む人によってどのように受けとめられていったか、時代の流れによってそれがどのように変わっていったかなど、歴史的な視点から資料を集めてみると、また違った理解が可能かもしれない。いわゆるメタ解析である。いずれは「末は小町」のメタ解析を試みてみたいとも思った。

しかし、今は7月、夏の真っ盛り、農繁期。照りつける太陽を浴びながらの畑仕事で多くの時を過ごしている。私自身にとっても切実な課題ではあるものの、「安心な老後」に関するさまざまな発言や考察に関するメタ分析はまたいずれかの機会に。

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