学ぶこと問うこと

33年前の疑問が解決 第2章 

<2005年5月28日付けWEBより引用>

2005年5月21日付けで「ほんとうに言いたいことは何か? その2」と題して上記の文章を書いた。が、今ひとつ自信が無く、ホームページにアップすることなく、インキュベートしていた。親しい友人に、上記のことを語ったところ、以下のような快刀乱麻のコメントをいただいた。彼氏は、極めて国語能力が高いのである。

―――君から、昔、そのエピソードを聞いたことがあるが、その時は、そこまで誤解しているとはわからなかった(ので、正解を述べることはしなかった)。

「夜、町を歩いていて――星白みたり夜更けにけり」という短歌、星白みたり、ということは、夜空が暗さを増して、星が(相対的に)明るくなった、という意味。たとえば、夕方から飲み屋に入って、いっぱいやって店を出てみると、(その間の数時間の経過により)夜空が暗くなって、星が明るく光り、夜が更けたのだな、という意味が明らか―――

と教えていただいた。だから、夜通し町をぶらついていたのではなく、夕方からたとえば夜の8時かせいぜい10時ごろまで、極めてあたりまえの時間帯でこの短歌は終結しているのであり、深夜の1時から歩き始めて、明け方の5時までの強行軍は、この短歌のどこからも読み取れない、という訳だ。そもそも、健全な中学生に高校入試で読ませる短歌として、良い子の眠っていなければならない時間帯を詠んだものが出るわけはないのだ。このコメントを聴いた瞬間に、私は33年間の迷妄から一挙に目覚めたのである。「星白みたり」を、夜空が白く明るくなった、と直感したところに、大きな間違いがあり、「星白みたり」は、夜空が暗くなったために相対的に星が明るさを増したのであった。これならば、田舎の暗い夜であろうが、新宿兜町であろうが、北極圏の10月であろうが、成り立つはずだ。(ただし、南極の12月の白夜に星がどのように見えるか、経験が無く、わからないが。)

33年後になって、やっと積年の疑問が解けた。今、考えると、このような間違いをもう二つ三つ重ねれば、県立高校の入試などは危なかったかも知れず、ずいぶん危険な15の春だったことになる。

恥多き人生でもこうやって「生きてて良かった」こと、教えてもらえる友がいることの幸せ、など、しみじみ感じるのである。

それにしても、私はどうして、たとえ短歌の解釈の中でとはいえ、無理矢理、夜通し歩き続けなくてはならなかったのだろうか? 今となっては、その正確な心理の機微の推論は困難である。が、ジェームズ・ディーン主演の「理由無き反抗(Rebel)」、あれと同じ世界がそこにあった、と思う。

そう、反抗である。朔太郎の代わりに、公園のベンチに私がナイフで彫り込むとしたら、このRebel。30年前の私は、決して、出題者の望む答えなど、書きたくなかった。(明瞭に、正解を書きたくないと意識していたわけではないが、正解を書こう書こうとして考えれば考えるほど、出題者の意図に反抗してゆくのである。「エデンの東」の父と子のように。)

今の私の研究も、一面、強烈な反逆精神で貫かれている。私は、決して、N誌やS誌のエディターが期待しているようなジグソーパズルの「missing link」を見つけた、という論文など、書きたくない。誰が同じジグソーパズルで遊んでやるものか。

「いつも、

おいらは、反対の方角を思っていた。」

癌細胞が暴れたいようには、患者の中で暴れさせてはやらない。決して、好き放題にはさせない。

気づかれない方も多いかも知れないが、私のS大学のオフィスには、ずっと阿修羅像の顔写真を飾ってある。興福寺の国宝、乾漆造の阿修羅像。3面の、憂いを帯びた少年の顔である。16年前、奈良旅行の折りに手に入れ、ボストンへ渡り、ホワイトヘッド研究所の自分のベンチにずっと貼り付けていた。癌研で8年、札幌で6年。ずっと私と同じ部屋にいる。この像を見ると、私は、賢治の「春と修羅」を思い出す。そして、何故か、賢治も、夜通し歩き続ける人であった。

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<以上、引用終わり>

<2005年5月28日付けWEBより引用>

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