culture & history」カテゴリーアーカイブ

個人主義の皮を被った利己主義 vs 家族主義

2017年11月6日 月曜日 晴れ

野尻武敏他 ヒューマンケア双書 いのちを問う その重さと大切さ ミネルヴァ書房 2005年

**

 ・・本当の個人主義者は勝手気ままをしません。そんなことをしたら神が許さない。・・・(中略)・・・

 多神教とキリスト教
 しかし、われわれはそんな神をもっていない。・・・(中略)・・・多神教のわれわれは、個室に入ったら悪いことをいっぱいします。だれも見ていないと思うからです。これが多神教。われわれは個人主義になれない。・・われわれに個人主義を教えたら、自分を律して厳しくすることができなくて、勝手放題になる。つまり利己主義になってしまいます。我が国の教育は個人主義を教えて、最後は哀れな利己主義になっているのです。(加地伸行、生命は誰のものですか、同書、p69-71)

**

 ・・われわれはやはり、伝統的な感覚をもっている人間なのですから、生命の連続というふうなところでないと生きていけない、死ねないと思うのです。
 死者の場合、個人主義ならば個人の死になります。われわれのずっと長い歴史のなかで生きてきた家族主義ですと、われわれの死は個人の死ではない、家族の死なのです。家族の死者なのです。個人主義ならば個人の死者です。われわれは違う。家族の死者という形で家族がその死者を送っていく、そしてその後、鎮魂を欠かさないということなのです。(加地、同上、p68)

*****

補註
このページの表題は「個人主義様の利己主義 vs 家族主義」として、「個人主義-likeな利己主義」という意味に書いたつもりであったが、時間をおいて自分で読んでみたら意味が通じなかった。そこで、「個人主義の皮を被った利己主義 vs 家族主義」と改題してみた。どうもこなれていない。宿題としたい。HH171113追記・改題。

********************************************

変わる<家族の形>と先祖供養

2017年11月5日 日曜日 曇りのち晴れ

葬送のかたち 死者供養のあり方と先祖を考える シリーズ 宗教で解く「現代」vol.3 佼成出版社 平成19年

**

「自宅告別式」が増加した昭和初期を境に、本当に夜を徹して行われる「丸通夜」も行われなくなり、通夜法要のみに多くの人が参加するようになる。葬儀の中心が通夜や葬列から告別式へと移ったことは、葬儀全体の意味づけが、共同体からの送り出し儀礼から弔問儀礼へと変化したことを意味している。それにより葬儀はもっぱら喪家の行事として意識されて、近隣親戚の関与は少なくなった。(村上興匡 葬儀の変遷と先祖供養、同書、p39)

補註:著者の名前の漢字: ネット情報によると「匡 まさ/ただす/キョウ 正しく直すの意味
人名にも使われます「○匡(まさ)」など。」とのこと。

**

2017年11月6日 月曜日 晴れ

これからの核家族の新しい仏壇は、納める位牌として、夫妻それぞれの実家の「先祖代々一切の精霊」の位牌を並べて立てることである。従来は、まさに「嫁入り」として、夫の家の位牌ばかり立ててきたが、核家族が一般化した今日、そのようなありかたを改めるべきで、宗教者もそう勧めることである。(加地伸行、変わる<家族の形>と先祖供養と、同書、p198)

**

*****

********************************************

大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち

2017年9月29日 金曜日 曇り一時雨

藤井一至(ふじいかずみち) 大地の五億年 せめぎあう土と生き物たち ヤマケイ新書 2015年

「実際に2億年前のジュラ紀に多かったのは、ブラキオサウルスなど、低酸素環境に適応した、より大型の恐竜たちである(火山活動などにより、大気中の酸素濃度は上下し、3億年前には35%だっと酸素濃度は10パーセントまで低下していた)。(藤井、同書、p57)」

**

「森は海を育てる」という言葉は有名だが、一説では、溶存有機物に結合した鉄(フルボ酸鉄)が山から運ばれ、海の生きものたちを育むと考えられている。「森は海の恋人」であるなら、溶存有機物は森からのラブレターといえるかもしれない。(藤井、同書、p123)

**

*****

********************************************

カメラがとらえた被曝者

2017年8月29日 火曜日 夕方また強い雨

樋口健二 これが原発だ カメラがとらえた被曝者 岩波ジュニア新書194 1991年

・・ましてクリーンで安全ならけっこうなことではないかと、単純に考えていたのです。
 ただひとつ気になったのは、「安全だ」「クリーンだ」「次代をになう第三の火だ」というバラ色の宣伝文句がかもし出す「あやしさ」でした。それは四日市で味わった「百万ドルの夜景」というバラ色の宣伝文句の裏に隠された悲劇のドラマを思いださせるからです。(樋口、同書、p43)

**

・・岩佐さんは私に「一回こっきりの取材だったら迷惑です」と痛烈な言葉を投げつけてきました。私は打ちのめされるような衝撃を受けました。予想していたとはいえ、ショックでした。しかし、私には岩佐さんの気持ちがよく理解できました。自分はしっかり話を聞いて、真実をつかもうと思いました。(樋口、同書、p55)

・・一九七四年という時代は、原発を躍起になって推進していたときでもあり、すべてを「安全」で押しとおす原発管理体制を打破することはできませんでした。政府と日本原電はさまざまな「権威」を使って、第一審(大阪地裁)、第二審(大阪高裁)とも岩佐さんの訴えをしりぞけ、今日にいたっています。(樋口、同書、p59)

**

・・被曝の事実はあっても、家族にすら被曝線量は知らされていません。かりに知らされたところで、年間五〇ミリシーベルトを超えていなければ国際放射線防護委員会(ICRP)で決めた数値だから被曝はありえないと開き直るのが、いま(補註:この本の執筆当時の一九九一年頃)の原発推進側の論理なのです。(同書、p76)

**

・・するとその医者は「あんたら早く田舎へ帰ってくれ、カルテにほんとうのことを書いたらわしはこの町(補註:福島第一原発の近くの町、おそらく双葉町)におれなくなる」とおびえたといいます。原発管理会社の巨大な力が、原発現地の医者たちまでも圧迫している姿が浮かびあがってきます。(樋口、同書、p82)

**

・・このような純朴な人たちを多数原発に送り込み、放射線被曝を宿命とする労働がないかぎり、原発はやはり一日たりとも動かないのです。(樋口、同書、p98)

**

私はあくまでも労働者の視点に立ち、原発を見つめようとしています。原発側では、都合のよい場所だけを見せ、安全性を誇張したいと考えるにちがいありません。(樋口、同書、p116)

電気が不足するから、無資源国だから、原発が必要だと人々はいいます。しかし、そういう人も一度でも原発内の放射能うずまく労働現場に立ってみたら、ほうとうに原発が必要なのかと疑問がわくことでしょう。(樋口、同書、p129)

**

*****

********************************************

鳥獣害、動物たちとどう向きあうか

2017年8月29日 雨のち曇り

祖田修 鳥獣害 動物たちと、どう向きあうか 岩波新書1618 2016年

**

・・この「かわいがって育てーー処理しーー食べる」というプロセスは、人間の行為・感情としてあまりに落差の大きな過程であり、矛盾に満ちているともいえるが、人間が生存・生活するための、善悪を超えた避けがたい事実である。そしてそれは同時に、自然や動物に対する「感動と畏敬、祈り、感謝」の心のプロセスでもある。
 このプロセスは、どうにもならない矛盾の過程であるとともに、「矛盾の昇華」ともいうべき心の過程ではないか。こうしたいわば内省と自覚をともなう、矛盾を昇華する心の働きこそ、庶民のなかに息づいてきたものであり、いつの時代も、またいずれの地域においても、動物観の原点となるべきものではないかと考える。人は、このプロセスに自覚的であってこそ、生産者も消費者も真にものを食べることができるのではないか。(祖田、同書、p174-5)

**

・・こうして人間ー動物関係の場合には、人間の側からだが、そのあいだに折りあいをつけることができれば、そこはまさに構想され、形成された均衡の場所となるのである。ここには怖れながらもやむを得ない、自然を管理するという思想が入り込んでいる。(祖田、同書、p194-5)

**

補註 祖田さんは農業経済学の大学の先生を務めた後、退職後はクルマで通える距離のところに小さな農地を得て、米や野菜を栽培していらっしゃる。本書の前半では、自身の農作業と鳥獣害の体験を語り、後半では大学の研究者としての立場から「動物たちとどう向きあうか」を一般論として考察している。
 タイトルの「鳥獣害」と副題の「動物たちと、どう向きあうか」の二つのテーマは、それぞれが深く重いテーマであり、ひとつの書物でこの二者を統合的に語ることは難しい。農の実践者としての著者の前半の語りと、退職大学教授としての著者の後半のレクチャーとの語り方のギャップ(腰折れ)に、いつになったらこの段差が埋められるのだろうと、本書を読みながら歯がゆく、もどかしさを覚えた。
 残念ながら、最後のページに至るまでこのギャップは埋められることなく、著者は大学教授としての総論で本書を終えられてしまった。最後には地球温暖化のお話まで跳びだしてきて、思いが世界を駆け巡ってしまわれたーーこのことは、地に足を付けて考えてみたい一読者としては残念であった。
 著者の引用されている「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)第五次評価報告書(2014年)」には「あまりに衝撃的な予想が示されていた」そうである(祖田、同書、p206)。IPCCの報告をまともに受けとめている本格的な科学者は、おそらく非常に少数の人々であることを鑑みると、本書の著者がご自身の実体験から得た確信に基づくことのない「政府間パネルの報告」のようなものを受け入れて議論をされているのは、非常に勿体ないことに思われた。
 「鳥獣害」に本気で取り組むためには、先に紹介した井上雅央(いのうえまさてる)さんのおっしゃったように、大学教授としての祖田さんには研究室の壁に飾られた思い出写真の中にでもすっこんでいていただいて、(大学教授もすでに退職されたのだから)農の新米・入門者としての祖田さんになりきって、地域の人々と力を合わせ、実地の鳥獣害対策に汗だくになってみることが大切だ。
 ・・かく言う私自身、今年も、まさに性懲りもなく、大事なプラムの葉っぱをぜ〜んぶシカに喰われてしまったのである。

*****

********************************************