カテゴリー別アーカイブ: agriculture

山川祥秀さんのブドウ・ワイン学入門

2017年1月28日 土曜日 雪

山川祥秀(やまかわ よしひで) ワイン博士のブドウ・ワイン学入門 創森社 2003年

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 ・・自分の好みに合ったワインが最高のワインなのです。
 しかし、不思議なものでワインを飲みつけますと、好みが変わってきます。・・・(中略)・・・その段階で,本当の好みの白ワインと赤ワインに落ち着いてきます。ワインは不思議な飲み物です。
 私は長年の経験から、良いワイン、悪いワインという表現を使いません。好き、嫌いと自分の好みでの表現を使うことにしています。(山川、同書、p20)

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結果枝の本数:
ゆったりと日当たりのよい五本/メートル(補註 結果母枝から出る新梢・結果枝の本数)は、期待していたほどブドウの品質がよくならず、少しは葉が重なり合い日陰ができるくらいの七〜八本/メートルと大差ない結果となりました。面積当たり収穫量と考え合わせれば、七〜八本/メートルがはるかに有利な本数でした。一〇本/メートルまで混雑すると、明らかに果汁糖度は低くなってしまいました。(山川、同書、p53)

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玉村さんのワイン畑

2017年1月28日 土曜日 雪

玉村豊男 私のワイン畑 扶桑社 1994年

 私も同じようなものだ。
 ウチだって、畑をやりたいとは思っていたがそれほど広い面積が必要なわけではなかった。農業経験にしても、妻が見習い数年、私はゼロ。しかしできることなら眺めのよい土地がほしいと探しているうちに、結局一町歩を超える農地を取得することになってしまった。それでなにか俺もやらねば・・と考えたあげく、ワイン用ブドウなら興味がもてるだろう、と思ってブドウ畑をつくりはじめたわけである。はじめから確固とした目標や決意があったわけではない。
 もちろん私の場合はまだ計画がスタートしたばかりで、ただほうぼうに広言した手前あとにひけなくなっている、といった状態に近く、・・以下略・・(玉村、同書、p126)

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 ワインは、毎日のように飲む飲みものであり、特殊な趣味の対象ではない。
 ワインは風土の産物であり、その土地が本来持っている力によって生まれるものだ。
 私がつくりたいのは日常の食卓にのぼらせるテーブル・ワインで、しかも自分が住んでいる土地と風光の質が生みだしたブドウ、自分が手をかけて育てたブドウからつくったもの、なのである。
・・・(中略)・・・
 畑にはすでに有機肥料やカキ殻、土壌改良剤などを投入してある。これからもたまには堆肥を入れたりはするとは思うが、基本的にはいまの土の力でできるブドウを(土に)つくってもらえればよいと考えている。(玉村、同書、p155)

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・・ちっとも雨が降らないから”雨読”がない。ときにはからだを休めたいと思っても、晴れればやらなければならない仕事が山積しているのが農家の常だから外に出る。”晴耕”ばかり続くのである。(玉村、同書、p174)

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土着天敵の分散能力

2017年1月24日 火曜日 雪(朝は晴れていたのに、曇りのち雪、北国の冬はこのパターンが多い)

根本久・和田哲夫・編著 天敵利用の基礎と実際 減農薬のための上手な使い方 農文協 2016年

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土着天敵の分散能力
1)近距離性
コモリグモ科などの地上徘徊性クモ類
ハネカクシ類
捕食性ゴミムシ類
2)中距離性
クサカゲロウ類
寄生蜂類
捕食性カメムシ類
3)遠距離性
バルーニングするクモ類
ヒラタアブ類
テントウムシ類
(同書、p45)

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果樹の接ぎ木・さし木・とり木

2017年1月24日 火曜日 晴れ

小池洋男・編著 だれでもできる 果樹の接ぎ木・さし木・とり木 上手な苗木のつくり方 農文協 2007年

リンゴ 
 矮性台木のM26台木やM9台木を用いた場合の樹体サイズは比較的小さく、主に並木植えの密植条件で栽培される。これらの台木は、休眠枝を用いた実用的なさし木繁殖がほとんど不可能で、取り木繁殖によって台木生産される。
 最近、マルバカイドウ台木とM9台木の交配で育成されたJM7台木の利用が増えつつある。これはさし木繁殖が可能な矮性台木である。(同書、p50)

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補註 JM7台木
私たちの果樹園に昨年秋に定植したブラムリーリンゴの台木は、JM7台木である。JM7台木を自ら増やすことは今後も決してないのだけれど、自分たちが育てている苗がどのような性質のものか良く理解している必要がある。

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ブドウの「緑枝接ぎ」
圃場で台木の新梢に穂品種の新梢を接ぐ「緑枝接ぎ」(同書、p80)

台木品種の選択
半矮性のテレキ5BB
欧州系品種のように樹勢の強い品種や肥沃な土壌では、半矮性の3309や矮性の101-14などの利用も検討する。

さし木・発芽後の管理
 発芽、伸長した新梢は、支柱を立ててまっすぐに誘引し、生育を助ける。
 新梢の生育が良好な場合は、さし木当年に台木として接ぎ木に利用できる。伸長が不十分な場合はそのまま一年間養成し、来春基部まで切り戻して、新たに発生した新梢に接ぎ木を行う。(同書、p82)

緑枝接ぎの方法
 接ぎ木時期
 接ぎ木時期は、開花前の5月下旬から6月中旬が適期である。これより早くて樹液流動が活発な時期や、逆に遅くて台木新梢の硬化が進んだ時期では活着が悪い。(同書、p82)(補註:本州と比べて北海道では発芽・開花ともに約一か月遅れるので、「接ぎ木時期は、開花前の6月下旬から7月中旬が適期である」と読み替えると良いかと思う。)
 穂木の採取と調製
 穂木は生育良好で充実した新梢(葉数10枚以上に伸びた枝)の、中央部からやや基部寄りの部分を採取する。枝がやや硬くなり副梢の活動が始まっている節が最適である。
・・・(中略)・・・
 活着の確認
 活着すると、接ぎ木後一週間程度で穂木の葉柄が黄変し脱落する。この現象が確認されればほぼ接ぎ木成功と判断できるが、穂全体が萎れてくれば残念ながら失敗である。
 穂品種に休眠枝を用いた緑枝接ぎ
 ・・①穂木が確保しやすく、穂木を持っての圃場間の移動が容易、②活着後の新梢伸長が旺盛などのメリットがある。
 基本的な管理は緑枝の場合と同様であるが、穂木が乾燥していると著しく活着が劣る。健全な状態で接ぎ木適期の5月まで保存することができれば、緑枝よりも優良苗の生産が可能である。(同書、p83)(補註:北海道では剪定が11月中下旬、それから接ぎ木適期の6月まで、延々7ヶ月間に渡って乾燥させないで冷蔵保存しなければならない。野菜と一緒に冷蔵庫に入れて頻繁に戸の開け閉めを行うようでは厳しいかもしれない。穂木の保管のために冷蔵庫を新調する必要が・・懸念される。)

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ダーチャですごす緑の週末: “ダーチャの心”で暮らしを見直そう

2016年12月24日 土曜日 快晴

豊田菜穂子 ダーチャですごす緑の週末 ロシアに学ぶ農ある暮らし WAVE出版 2013年(2005年発行の「ロシアに学ぶ週末術〜ダーチャのある暮らし」を新装・改訂したもの、とのこと)

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“ダーチャの心”で暮らしを見直そう
ロシアのダーチャの存在意義、それは、野菜づくりにとどまらず、モノを自分でつくりあげるという基礎生活力を養う場であることだ。・・・土地の確保にこだわると、ダーチャへの道は果てしなく遠く思えてしまう。タダ同然で土地を与えられたロシアと、土地が狭くてバカ高い日本とは、そもそも土俵が違いすぎる。・・・私たちがダーチャ暮らしに魅力を感じるのは、郊外に土地をもつ、という所有欲をそそられるからではなく、自然や土と親しみ、野菜やモノをつくり、自分の潜在能力を試してみる、という行為に惹かれるからではないだろうか。・・・そう思って、とりあえずベランダで本腰を入れて野菜づくりを始めてみた。・・・もちろん、里山に土地を得て、本格的なダーチャを築くことも夢ではないが、肝心なのは”ダーチャの心”。日本でも数十年前まで当たり前のようにしてきた「生きるための基本的努力」を、暮らしのなかでほんの少しでも意識をもって、そして楽しく試みたいと思うのだ。(豊田、同書、p176-179より抜粋)

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文明の利器とダーチャの共存
驚いたのは、何軒かのダーチャで取り入れていたコンポストトイレ。「ダーチャで最も近代的な設備」とアレクサンドルさんは言っていたが、思いのほか使い勝手がよく、匂いもしなくて衛生的だ。いわゆる”ぽっとんトイレ”も健在ではあるが、衛生面、環境面からみて、今後はコンポストトイレが普及していくのかもしれない。(豊田、同書、p111)

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今日は劇場、明日は菜園
雪に閉ざされる冬は、ロシアの演劇シーズン。冬は劇場に通って、夏はダーチャ。夏だってダーチャに行かない日は、映画やコンサートに出かけるもよし、ダーチャでも晴れた日は畑を耕し、雨の日は本を読む。都市文化と大地に根ざした生活の間を自在に行き来してしまうロシア人は、いってみれば「知的な農民」だ。(豊田、同書、p142)

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「そもそもダーチャが普及するようになったのは、ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下がきっかけです。・・核の脅威にさらされた冷戦時代が始まり、政府は万が一、モスクワなど都市部に原爆が落とされた場合を想定し、爆心地から100キロ以上離れたところに非難すれば安全だろうと判断しました。こうして1950年代、郊外への道路が建設され、ダーチャが急速に発展したのです。」・・ダーチャの一区画が600平方メートルと定められたのも、それだけあればひと家族が生きていけるだけの食料を調達できる、との計算に基づくものだったという。ダーチャ普及の要因は、これまで諸説聞いてきたが、放射能から逃れるための避難場所としての側面もあったとは・・。ヒロシマ・ナガサキ、そして今、フクシマを経験した日本人としては、複雑な思いに駆られる。(豊田、同書、p172-173)

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