中国文学」カテゴリーアーカイブ

もとよりときには首を切られることもあるだろう・・阿Q正伝

2017年10月8日 日曜日 曇り

魯迅 故郷/阿Q正伝 藤井省三訳 光文社古典新訳文庫 2009年
(阿Q正伝の原著は1921年)

彼は焦って、眼の前が真っ暗になり、耳がワーンと鳴り出して、気を失いそうだった。しかし彼は完全に気を失うことはなく、焦るいっぽう、平然としており、彼の意識の内では、人はこの世に生まれたからには、もとよりときには首を切られることもあるだろう、という気がしていた。・・・(中略)・・・もっともわかっていても同じことで、彼はただ人はこの世に生まれたからには、もとよりときには見せしめのため引き回されることもあるだろう、と思うだけなのだ。(同書、p145)

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他律的な「道徳の型」の学習

2017年9月9日 土曜日 曇り時々雨・午後から快晴

加地伸行 <教養>は死んだか 日本人の古典・道徳・宗教 PHP新書181 2001年

 根本的な意味において、東北アジアにおける道徳は、他律的教育によって培われるものであり、型を学習させることによって可能となる。個人個人の良心に依るなどという異質な発想で各人にまかせたりしていては、何年たっても道徳は根づかないであろう。
 四書の「大学」や「中庸」は「その独りを慎む」を言う。この「慎独」は良心に依る道徳という立てかたに近いが、その可能性をめぐっての論議は尽きず、自律的な慎独がどれほど困難なことであるか、儒教ではすでに実験済みである。やはり他律的な型の学習をすることに及ばない。(加地、同書、p191)

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陶淵明:本職は畑仕事

2017年5月12日 金曜日 晴れ(暖かくて汗ばむほどの陽気となった)

下定雅弘 陶淵明と白楽天 生きる喜びを歌い続けた詩人 角川選書508 平成二四年(2012年)

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(陶淵明の)「時運」という詩は、晩春、郊外に散歩に出かけた時の感慨を詠ったものだが、その序に「時運は、暮春に遊ぶなり。春服既に成り、景物、斯(こ)れ和す(補註#)」・・と「論語」の「暮春」「春服」の語をそのまま用いている。詩の中でも、「遠く川の中流に目をやれば、「論語」にいうあの清らかな沂(き)の川の流れが目に浮かぶ。往時、そのほとりを共に授業を受けている元服前後のわかものたちが、のどかに詩を吟じながら帰ってきたのだろう」と、「論語」の情景へのあこがれを詠っている。(下定、同書、p11)

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補註# 陶淵明の「時運」 原文をウェブサイトhttp://ft.shicimingju.com/chaxun/list/923029.html から引用する:
序:時運,遊暮春也。春服既成,景物斯和,偶景獨遊,欣慨交心。

補註##
其三 http://ft.shicimingju.com/chaxun/list/923029.html
延目中流,悠想清沂。
童冠齊業,閒詠以歸。
我愛其掙,寤寐交揮。
但恨殊世,邈不可追。

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淵明にも悩みがあった
 淵明には二つの大きな悩みがあった。一つは官界への未練である。今一つは、死への恐れと悲しみである。この二つは、淵明に至るまでの中国の思想と文学が抱えてきた最も大きな問題だが、淵明はこの大問題を引き受け、これを乗り越えようとしている。彼の文学は、実は死に至るまでこの二つの大きな問題を基調低音として響かせている。(下定、同書、p14)

淵明は、官界への未練と戦い、避けることのできない死を深く見つめつつ、田園に農夫として暮らし、様々な人として生きる喜びを発見し、詠いつづけた。(下定、同書、p14)

・・官界に関わるその初めからして、淵明には、官界を名利の世界として遠ざける思いが強く同居していたのである。(下定、同書、p18)

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この、役人になろうとしたのはなぜなのか、そして結局は役人になるのをやめ、農夫として生きたのはなぜか? ということは、淵明の一生と文学を理解する上で根本的な問題である。ここの捉え方が、淵明の一生と文学、その本当のところを理解できるか、そうでないかの分水嶺といってかまわない。(下定、同書、p19-20)

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隠逸詩人ではない、農業が仕事
・・私は、淵明を「隠逸詩人」というのは、淵明を正しく言い当てた言葉ではないと思う。・・・(中略)・・・淵明はその生前において隠者として高名だった。だが、周囲の評価と淵明自身の考え及び実態とは区別しなければならない。 淵明の詩文をみると、彼自身、故郷に帰って農業に従事することを、「帰田」といい、「帰園田」という。・・ 淵明の「帰田」はそう(隠逸)でない。「帰田」を決意する前において、すでにそうである。例えば、「雑詩」其の八に「役人暮らしはもともと希望するところではなく、畑仕事と養蚕こそ本職と心得ていた」というように、淵明の「帰田」は、その語の通り田園に帰って農耕に励むことである。故郷に帰った時の作「園田の居に帰る」においては、農耕に従事することがいっそう明確に語られている。其の一には、「村の南の荒れ地を開墾しようと、世渡り下手を守り通して田園に帰ってきた」といい、其の二には、「互いに余計なことはいわず、ただ桑と麻の成長ぶりを語るだけ」といい、其の三には、「朝早く起きて雑草を抜き、月の光をあびながら鋤をかついで帰路に就く」といっている。このように、淵明の「帰田」には農耕の実態がある。それは世から隠れ逸(のが)れることではない。淵明の「帰田」には、官界を断ち切って、田園という自分本来の生活の場、自分にふさわしい社会にもどっていくのだという思いがこめられている。(下定、同書、p25-26)

淵明の生活の実際には、あくまで農夫としての仕事が組みこまれていたし、彼はその苦しみも喜びも共に受け入れて、自己の生活・自分の社会を築いていったのである。「隠逸」というのは官界を表と見た言い方である。官界に生きることこそが表街道で、淵明を官界を去った隠士と見るならば、淵明の農業に対する態度が実体を持たない空しいものになってしまう。淵明を隠士として見る立場からは、淵明の文学が持つ人間の真実についての豊饒(ほうじょう)を明らかにすることはできない。以下、農耕に従事することがもたらす喜びの数々を見よう。(下定、同書、p28)

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補註
孔子の論語 先進 子路、曾皙(そうせき)、冉有、公西華、侍坐す: 原文と当該部分の読み下しと現代語訳を http://blog.mage8.com/rongo-11-26 ちょんまげ英語日誌 より、以下引用。

子路曾皙冉有公西華、侍坐、子曰、以吾一日長乎爾、無吾以也、居則曰、不吾知也、如或知爾則何以哉、子路率爾對曰、千乘之國、攝乎大國之間、加之以師旅、 因之以飢饉、由也爲之、比及三年、可使有勇且知方也、夫子哂之、求爾何如、對曰、方六七十、如五六十、求也爲之、比及三年、可使足民也、如其禮樂、以俟君子、赤爾何如、對曰、非曰能之也、願學焉、宗廟之事、如會同、端章甫、願爲小相焉、點爾何如、鼓瑟希、鏗爾舎瑟而作、對曰、異乎三子者之撰、子曰、何傷 乎、亦各言其志也、曰、莫春者春服既成、得冠者五六人童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸、夫子喟然歎曰、吾與點也、三子者出、曾皙後、夫三子者之言 何如、子曰、亦各言其志也已矣、曰、夫子何哂由也、子曰、爲國以禮、其言不譲、是故哂之、唯求則非邦也與、安見方六七十如五六十而非邦也者、唯赤則非邦也 與、宗廟之事如會同非諸侯如之何、赤也爲之小相、孰能爲之大相。

点(てん)よ爾は何如。瑟(しつ)を鼓(ひ)くことを希(や)み、鏗爾(こうじ)として瑟を舎(お)きて作(た)ち、対えて曰わく、三子者(さんししゃ)の撰(せん)に異なり。子の曰わく、何ぞ傷(いた)まんや、亦(また)各々(おのおの)其の志しを言うなり。曰わく、莫春(ぼしゅん)には春服(しゅんぷく)既に成(な)り、冠者(かんじゃ)五六人(ごろくにん)、童子(どうじ)六七人(ろくしちにん)を得て、沂(き)に浴(よく)し、舞雩(ぶう)に風(ふう)して、詠(えい)じて帰らん。夫子喟然(きぜん)として歎(たん)じて曰わく、吾は点に与(くみ)せん

つづいて孔子は、
「曾皙(そうせき)、お前はどうだ?」
と尋ねられると、曾皙は弾いていた瑟(しつ:弦楽器の一種)を止めて下に置き、立ち上がって答えました、
「私の願いは御三方とは違います。」
孔子が、
「遠慮するな、ただの願望だ。」
と促すと、曾皙は、
「春の終わり頃に春服を着て、成人の友人五六人、少年六七人と一緒に沂水(きすい:川の名前)に水浴びに出かけて雨乞いの舞台で涼み、歌を歌いながら帰ってまいりたいと思います。」
と答えました。孔子はこれに感心して、
「私の願いも曾皙と同じだ。」
とおっしゃいました。(<以上、「ちょんまげ英語日誌」さんのサイトより部分引用終わり>
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長恨歌 此恨綿綿無絶期(2)

2017年5月12日 金曜日 晴れ

下定雅弘 長恨歌 楊貴妃の魅力と魔力 勉誠出版 2011年

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天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期 

天長く地は久しきも時有りて尽く、此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無し

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 あるいはまた角度を変えて、「歌」の最後の二句について、こうも思う。・・・(中略)・・・そして実は白居易のこの二句もまた、いやこれこそは、王朝(皇帝権力)からの個人格の相対的独立をめざす、後に確立する白居易の思想(独善)を背景として出ているものであり、愛という個人の感情の深さに対する強い感嘆を言い放ったものとして、中国の知識人の人生観・社会観の発展史における画期をなすものだと思う。この観点からも、「長恨歌」の最後の二句を、私は貴妃を失った玄宗の痛恨の表現であり、同時にこれに共感する白居易自身の深い詠嘆だと見るのである。(下定、同書、p146)

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しかし、私は、「歌」「伝」には、「思凡譚」は適用できないと思う。「歌」「伝」において、貴妃はたしかに、死後、仙界の女仙と成っているのだが、玄宗は終始一貫して、人界の人間であり、「歌」も「伝」も、仙界と人界とのこの断絶を絶対のものとしていると見る。(下定、同書、p148)

 ・・・他の話において二人がハッピーエンドを迎えることはある。それは、それぞれの作品の問題である。
 「歌」は、果たされぬ愛への無限の悔恨を歌う、悲恋の物語である。だからこそ、愛の数々の悲哀を知る妓女たちが、それを自分の身に重ねあわせて、「長恨歌」を愛唱したのである。(下定、同書、p153)

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・・ことに最後の二句「天長く地は久しきも時有りて尽く、此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無し」には、人間としての真実の情感を、他の何よりも限りなく価値あるものとする思いが、万鈞の重みをもって詠われている。(下定、同書、p157)

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長恨歌 此恨綿綿無絶期(1)

2017年5月11日 木曜日 雨(かなり強く降り続く雨)

楊貴妃の魅力と魔力

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下定雅弘 長恨歌 楊貴妃の魅力と魔力 勉誠出版 2011年

補註 本書のカバー・表紙と裏表紙の美人の図は、上村松園「楊貴妃」(松柏美術館蔵)。

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天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期 

天長く地は久しきも時有りて尽く、此の恨みは綿綿として絶ゆる期(とき)無し(「長恨歌」)

永遠といわれる天地でさえもいつかはほろびる時があるのだと常識をくつがえすことをいい、これに対して玄宗の貴妃を失った悲しみの深さとその永遠性は、天地の永遠性をも超える無限に深いものなのだと詠っているのである。(下定、同書、p139)

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この恨み長(とこし)えに在りて銷(き 補註:金偏に肖の字)ゆる期(とき)無し (「李夫人」)(下定、同書、p139)

「此恨」は、愛する女を失い、どれほど思っても二度ととりもどすことのできない、かれら君王たちの痛恨である。(下定、同書、p140)

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「此恨」ーー誰の恨みか?
 「歌」が、玄宗の貴妃を失った痛恨で終わること、その最大の理由は、最後の一句「此恨綿綿無絶期」の「此恨」が、玄宗の「恨」であり、玄宗の痛恨であるということである。そしてまた、主題が、玄宗の貴妃への愛の深さと貴妃を失った尽きることのない悲哀であるということの決め手でもある。(下定、同書、p137)

「歌」の結句が、貴妃の語ではあり得ないことは、「恨」の語の意味を、このように定めることで自ずと知れることである。「歌」の貴妃は、「天に在りては比翼の鳥と為り、地に在りては連理の枝と成らん」といっているのだから、その「愛」の希望をいう表現と、「恨」とが連なるわけがない。結びの二句は、別の人物、私はそれを、直接には玄宗の語であり、玄宗の語として白居易が深い詠嘆的共感をこめた二句だと見るのである。(下定、p141)

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「長恨歌」は「愛と死」の文学なのである。・・仙界譚は、「愛と死」のテーマを、これがあることによって鮮やかに体現している。・・では愛と死を扱う作品は、なぜ我々を感動させるのか? 私はこういっていいと想う。「死は愛によって永遠の生命を獲得し、愛は死によって無限に美しく切ないものとなる」からだと。(下定、同書、p72)・・玄宗は死ぬが、仙界の貴妃の心に永遠に生き続ける。ならば、玄宗の「此恨」も単なる痛恨ではない。二度と会うことのできない悲痛は、永遠性をそなえた美しい愛に昇華する。(同、p73)

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後段において、貴妃のイメージは一変する。玉妃は、透き通った「雪の膚」(八八句)を持ち、白く清らかな「梨の花」(一〇〇句)に喩えられている。翻って、前段の貴妃は、紅鮮やかな「芙蓉の帳(カーテン)」(一四句)に囲まれたベッドに横たわり、その顔は紅の頬を想わせる「芙蓉」に喩えられている。だが後段の玉妃は、地上の汚れとはまったく無縁な、清純そのものの仙女となった。その愛もまたひたむきで美しい。このような女性を愛する天子はやはりひたすらに健気に女を愛する男であり、その愛は限りなく純粋で美しい。(下定、同書、p71)

補註 芙蓉は「長恨歌」では蓮の花を指している。「木芙蓉」のことではない。
芙蓉について ウィキペディアによると・・・
植物の名。フヨウのこと。とくに蓮と区別するためには「木芙蓉」とも言った。
古くは往々にして蓮(ハス)の花を指した。美女の形容としても多用された表現である。フヨウと区別するために「水芙蓉」とも。<以上、ウィキペディアより引用終わり>

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補註 上村松園 ウィキペディアによると・・・
上村 松園(うえむら しょうえん、1875年(明治8年)4月23日 – 1949年(昭和24年)8月27日)は、日本画家。京の伝統文化に育まれた松園は、明治・大正・昭和を通して生涯、「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵」、「真・善・美の極致に達した本格的な美人画」(いずれも松園のことば)を
念願として女性を描き続けた。
「楊貴妃」 … 1922年(大正11年)

補註 松柏美術館 ウィキペディアによると・・・
松伯美術館(しょうはくびじゅつかん)は、奈良県奈良市にある奈良県の登録博物館で1994年3月開館。
日本画家の上村松篁・上村淳之から寄贈された作品をコレクションの基礎にして、近畿日本鉄道(近鉄)が中心となって設立した美術館である。上村松園、松篁・淳之の作品などの収集・保管・展示を目的としている。

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補註 尤物について 読みは:尤物(ゆうぶつ)。意味は、ウェブ辞書によると・・
① 多くの中ですぐれたもの。逸物。逸品。
② すぐれて美しい女。美女。

補註 尤物の尤という字は、いつも読みにくく感じる。数学用語で最尤法(さいゆうほう)というのがあるが、これを勉強したときにようやく尤(ゆう)という漢字の読みを知った経緯がある。
 それはさておき、本書「長恨歌」では尤物ということばは重要なキーワードであり、読みも含めて、ここでしっかり覚えておきたいと思った。

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補註 下定さんの本を読みながら、副産物として文学書理解のために役立つテクニカル・ターム(学術用語)をいくつか学んだので、以下にノートとして引用する:

文字通りの意味と言外の意味(denotation vs connotation):
表現自体(denotation ディノテーション=指示的意味、文字通りの意味)
その目的あるいは作品中での役割(connotation コノテーション=付加的意味、言外の意味)(下定、同書、p135)

ストーリーとプロット(story vs plot):
主題(テーマ)を正確につかむためには、作品のストーリーとプロットを、いつも頭に置いて読まなければならない。では、ストーリーとは何で、プロットとは何なのか? このことについては、梶野玲王「文学理論ノート」(1973)の説明がわかりやすい。・・「それから(なにが)(and then?)」というならストォリであり、「なぜ(why?)」ときくならプロットであるともいう。・・そして、プロットをただしく把握することから、作品の中心主題をただしくひきだすことが可能となる・・」(二三頁)(下定、同書、p96)

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補註 金へんに肖:ウェブ辞書によると・・
銷という字はけすと読みます
訓読みは「けす」「とける」
音読みは「ショウ」
異字体 焇 销
銷を含む熟語 供銷 報銷 展銷 意気銷沈 推銷 撤銷 暢銷 經銷 銷售 銷毀 銷路

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