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矢部宏治 日本はなぜ基地と原発を止められないのか

2017年11月9日 木曜日 曇り一時雨のち晴れ

矢部宏治 日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか 集英社インターナショナル 2014年

・・この「密約法体系」の存在を考えに入れて議論しないと、
「なぜ沖縄や福島で起きているあきらかな人権侵害がストップできないのか」
「なぜ裁判所は、だれが考えても不可解な判決を出すのか」
「なぜ日本の政治家は、選挙に通ったあと、公約と正反対のことばかりやるのか」
ということが、まったくわからなくなってしまうのです。(矢部、同書、p65)

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・・こうした形で司法への違法な介入が繰り返された結果、国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまったのです。・・・(中略)・・・ウラ側の法体系と一体化してしまった。そして、すでに六〇年がたってしまった。その結果、日本の高級官僚たちの国内法の軽視は、ついに行きつくところまで行きついてしまったのです。(矢部、同書、p84)

田中耕太郎判決は「統治行為論」、柏木賢吉判決は「最良行為論」(補註#)、米軍機の騒音訴訟は「第三者行為論」と呼ばれます(補註##)が、すべて内容は同じです。・・こうした「法理論」の行きつく先は、
「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかねず」、「司法審査権の全面否定にもつながりかねない」。(矢部、同書、p86)

補註# 柏木賢吉判決 1978年、愛媛県の伊方原発訴訟の一審判決。「・・原子炉の設置許可は周辺住民との関係でも国の裁量行為に属する」(矢部、同書、p85-86)

補註## あとになってわかっtのは、それらはすべて素人の目をごまかすための無意味なブラックボックスでしかなかったということです。(矢部、同書、p90)

・・その行きついた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被曝しつづけるなかでの原発再稼働という、狂気の政策なのです。(矢部、同書、p87)

法律が改正されても続く「放射性物質の適用除外」(矢部、同書、p91)
・・大気や水の放射能汚染の問題は、震災前は「汚染防止法の適用除外」によって免罪され、震災後は「統治行為論」(補註###)によって免罪されることになったわけです。このように現在の日本では、官僚たちがみずからのサジ加減一つで、国民への人権侵害を事由に合法化できる法的構造が存在しているのです。(矢部、同書、p93)

補註### 原子力基本法・・原子力に関する安全性の確保については、「わが国の安全保障に資する[=役立つ]ことを目的として、おこなうものとする」(第2条2項)という条項が入っているからです。(矢部、同書、p93)

日米原子力協定という日米間の協定があって、これが日米地位協定とそっくりな法的構造をもっていることがわかりました。(矢部、同書、p95)

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矢部宏治 隠された日本支配の構造

2017年11月8日 水曜日 曇り一時雨

矢部宏治 知ってはいけない 隠された日本支配の構造 講談社現代新書2439 2017年

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ほかの国の軍事協定を読んでいるとよくわかるのですが、主権国家にとって「他国の軍隊が自国の国境を越えて移動する権利」というのは、なにょり厳重にコントロールしなければならないものなのです。(矢部、同書、p75)

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「対米従属」の根幹:
 「対米従属」の根幹には、軍事面での法的な従属関係がある。
 つまり、「アメリカへの従属」というよりも、それは「米軍への従属」であり、しかもその本質は精神的なものではなく、法的にガッチリと押さえこまれているものだということです。(矢部、同書、p94)

まさに「ブラックボックス」
 日米合同委員会の本質とは、占領時代から続く基地の使用権や治外法権など、米軍が持つ巨大な特権を、どうすれば日本の国内法のもとでトラブルなく維持していくかの調整機関です。(矢部、同書、p98)

「地位協定」=「行政協定」+「密約」(矢部、同書、p118-119)

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砂川事件の結果、起こったこと
「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」・・「日本版・統治行為論」(1959年12月16日・最高裁判決)(矢部、同書、p148-150)

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 突然の朝鮮戦争によって生まれた「占領下での米軍への戦争協力体制」が、ダレスの法的トリックによって、その後、六〇年以上も固定し続けてしまった。(矢部、同書、p248)

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 ・・遠く離れた場所(沖縄、福島、自衛隊の最前線)で大きな矛盾に苦しむ人たちの声に真摯に耳を傾け、あくまで事実に基づいて、根本的な議論を行うときにきていると私は考えます。(矢部、同書あとがき、p260)

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なぜ、9条3項・加憲案はダメなのか
 ・・憲法9条は・・・(中略)・・・1952年の独立後は、日米安保条約とセットで存在しているものだからです。・・・(中略)・・・この①から④までの四つの問題を解決しないまま、憲法で自衛隊を容認してしまうと、・・「米軍による日本の軍事利用体制」の完成です。(矢部、同書、p259-260)

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鐸木能光 阿武隈梁山泊外伝

2017年11月3日 金曜日 晴れのち曇り、夜は雨

鐸木能光 阿武隈梁山泊外伝 Tanupack. Kindle 版 2016年

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「フクシマ」 は 社会 システム の 欠陥、 人 の 心 に 巣くう 不 正義 と 弱 さが 引き起こし た 問題 なの だ が、 問題 の 本質 は 時間 と共に どんどん はぐらかさ れ、 隠さ れ て いる。  

極めて 単純 に 言え ば「 税金 の 使い方 が 間違っ て いる」 という 問題 なの だ。

たくき よしみつ. 阿武隈梁山泊外伝: 全村避難の村に起きたこと (Tanupack) (Kindle の位置No.2700-2703). Tanupack. Kindle 版.

火力発電 の 比率 が 増える と 燃料 代 が かさん で 電気 料金 を 上げ なけれ ば なら ない、 と 電力 会社 は 言う が、 これ は 単に、 火力発電 の 燃料 代 には 国 が 税金 を 投入 し て 援助 し て くれ ない、 という こと に すぎ ない。 原発 と「 自然 エネルギー」( 太陽光 や 風力発電) には 莫大 な 税金 が 投入 さ れ て いる。 それ は 発電 コスト に 含ま れ て い ない。 この こと を 無視 し て エネルギー 問題 議論 を し て いる「 識者」 が 多 すぎる。

たくき よしみつ. 阿武隈梁山泊外伝: 全村避難の村に起きたこと (Tanupack) (Kindle の位置No.864-867). Tanupack. Kindle 版.

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語意メモ 難民 vs 移民

2017年1月1日 日曜日 晴れ

語意メモ 難民vs移民

“難民”という単語は、法的に“戦争、迫害、あるいは自然災害から逃れるために自国を去ることを強いられた人”と定義されている。更に関連する単語“亡命希望者”は“政治難民として母国から去り、他の国への亡命を求めている人”と定義されている。三つ目が、フランシスコ・ローマ教皇と、2016年のドレスデンにおけるビルダーバーグ会議の双方が用いた、背後の概念が全く異なる単語、つまり“移民”という単語だ。移民は“仕事やより良い生活条件を探すため、ある場所から他の場所に移動する人”と正確に規定されている。戦争、政治的迫害や生命に危険な災害に関する言及は皆無だ。

明らかにそうではないものを、南部からEUへの移民と呼ぶことで、単語は、この移民の背後にある原因、つまりアメリカ-イギリス-フランスが引き起こした一連の戦争、石油、そして今やガス支配のための戦争、ヒラリー・クリントンが当初アラブの春と呼んだリビア、エジプト、チュニジア、シリアでの戦争を完全に曖昧にしている。過去十五ヶ月に、トルコからEUに流れ込んだ百万人以上の人々は移民ではない。彼らは戦争難民なのだ。

http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2017/01/post-d0a4.html より引用。
オリジナル記事原文のurl:http://www.williamengdahl.com/englishNEO17Dec2016.php

定義:

“難民”: “戦争、迫害、あるいは自然災害から逃れるために自国を去ることを強いられた人”

“亡命希望者”: “政治難民として母国から去り、他の国への亡命を求めている人”

“移民”: “仕事やより良い生活条件を探すため、ある場所から他の場所に移動する人”

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チャペック わたしはなぜコミュニストでないのか

2016年12月22日 木曜日 雪(ないし雨)

カレル・チャペック いろいろな人たち チェペック・エッセイ集 飯島周編訳 平凡社ライブラリー90 1995年

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(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p227-245、1924年)

一般に、貧しい人はなにも失う危険がないといわれる。だが、それどころか、なにをどうしようが、貧しい人はつねに最高に危険な賭けをしているのだ。何かを失うことは、最後のパン屑まで失うことになるのだから。その貧しい人のパン屑については実験されていない。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p233)

・・貧しい人たちを援助すべき時があるとしたら、もう今日にでも始めるべきである。もちろん、今日の世界にそのための道徳的援助手段が十分にあるかどうかは問題である。コミュニズムは、そんなものはないと言う。さてそこで、われわれが意見を異にするのはまさにこの否定の点なのだ。わたしは、現在のこの社会的なソドムの中に、完全な公正さが十分にあると主張することを望んではいない。しかし、ソドムの人間であるわれわれ一人ひとりの中には、ちょっぴり公正さが存在している。そして、われわれがさらに努力をし多くの手を握り合うことによって、完全に十分な公正さについて話し合うことができるだろうと信じている。・・・(中略)・・・貧しい人たちにとって、そしてわたしにとっても重要なのは、今日この場で少なくともどれだけの保護を与えられたかということであり、革命の旗がはためくその栄えある瞬間をわくわくしながら待つことではない。
 貧しい人たちの問題は今日の課題であって、次の社会体制になってからの課題ではないと信ずること、それは、もちろんコミュニストでないことを意味する。今日のパン一切れとストーブのぬくもりが、二十年後の革命より大切なのだと信ずること、それは、まさに非コミュニスト的な気質を意味する。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p233-234)

・・貧しい人たちの心の底には、むしろ不思議な、この上もなく美しい陽気さがある。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p235)

・・わたし自身は、習慣的にこの世を特別にばら色に塗り立てるべきだとは考えていない。しかし、コミュニズムの非人間的な否定と悲劇性に出逢うたびに、それは真実ではない、そのすべてはそんな風に見えない、と怒りに満ちた抗議の叫び声をあげたくなる。・・・(中略)・・・今日にせよ次代にせよ、人間の完全性をわたしは信じない。革命によっても、人類を削減することによっても、世界が良き天国になることはない。しかし、われわれ罪深き人間の一人ひとりの中に最終的には存在する良きものを、もしもなんらかの方法ですべて集めることができるなら、それにもとづいてこの世界を、今までよりもずっと人間にやさしいものに構成することができるだろうとわたしは信ずる。そんなことは頭の弱い人間の博愛精神だとおっしゃるかもしれない。その通り、わたしは人間なるがゆえに人間を愛する、愚か者の仲間である。(チャペック、わたしはなぜコミュニストでないのか、同書、p237-238)

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