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善悪の二つ存知せざるなり

2016年8月5日 金曜日 極めて暑い

筧次郎 ことばのニルヴァーナ 歎異抄を信解する 邯鄲アートサービス刊 2004年

辛い労働と貧しい暮らしと孤独に直面して打ちのめされそうになったとき、私は「歎異抄」の「善悪の二つ総じてもって存知せざるなり」という親鸞聖人の言葉を初めて了解(りょうげ)したのです。(筧、同書、p223)

親鸞聖人の言葉に出会って、私は「世の中を変えよう」という気持ちを捨てました。それをきっかけに心がずいぶん軽くなり、百姓暮らしの中に豊かさや楽しさを見いだすことができるようになりました。(筧、同書、p225)

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科学技術の発展が欧米の豊かさをもたらしたように思っている人が多いのですが、科学技術は富を創り出したのではなく、富を集める道具を創り出したのです。・・現代の工業機械も形こそ違うが武器のような役割を果たして、南の国の人々の富や労働を奪っています。(筧、同書、p222)

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「・・商いをもし田畠を作りて過ぐる人も、ただ同じことなり。さるべき業縁の催せば、いかなる振る舞いもすべし」とこそ、聖人の仰せ候いしに、・・(筧、同書、p161に引用されている歎異抄、第十三条)

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モラリストとしてのスウィフトの限界

2016年7月19日 曇り

三浦謙(ゆずる) スウィフト管見 南雲堂 1984年

私たちには相手に慈しみをもたせるような宗教はない: モラリストとしてのスウィフトの限界

宗教について
私たちには、相手を憎悪させる宗教はあるが、相手に慈しみをもたせるような宗教はない。(The Prose Works of Swift, New York, AMS Press, 1971, VOl. I, pp273-87; Vol. III, p307)(三浦、同書、p116より孫引用)

スウィフトは、とりわけ非国教徒と地主階級には根強い反感を抱いていた。上掲の引用は、このような対立抗争から、生涯抜け出ることのできなかったスウィフト自身の内省のことばでもあろう。

スウィフトは、「教会は、死んだ人間ばかりでなく、生きている人間の寄宿舎でもあるのではないか」(The Prose Works of Swift, New York, AMS Press, 1971, VOl. I, pp273-87; Vol. III, p307)という疑問を、たえず自身に問いかけていたのである。スウィフトは担当の教区を隈無く回って、積極的に布教活動を行いながら、貧者には金を惜しげもなく与えた。スウィフトが慈善に費やした金額は、キング大主教と同率であったといわれている。(三浦、同書、p117)

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混沌の中にあって自他ともに生きる方途を模索する
スウィフトは、モンテーニュのように開明的ではなかった。スウィフトは、どちらかというと矛盾を思念の世界で受け入れた。現実に生かすには保守的すぎたのである。モンテーニュは酸鼻をきわめて新旧両派の抗争に、命がけで身を乗り出し調停に当たった。しかし、宗教的には頑迷であったスウィフトは、国教会の枠を超えて宗派の調停に乗り出すことはできなかった。スウィフトは最後まで国教会にとどまり、ついには、教会およびキリスト教に絶望するのである。モンテーニュのように現実をありのままに見つめ、混沌の中にあって自他ともに生きる方途を模索できなかったところに、モラリストとしてのスウィフトの限界がある。(三浦、同書、p118-119)

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僧界でのこのような着実な昇進ぶりは、聖職者としてのスウィフトが、少なくとも義務の履行を怠らなかったことを裏書きしている。事実、法衣を纏ったスウィフトには、奇行らしきものは見られないし、教区の評判もなかなかのものであったらしい。  ところがいざペンを執ると、スウィフトは大きく変貌する。その宗教批判は、現職の宗教家としては常軌を逸している感があり、・・その著作を読めば大方の人はその正気を疑いたくなる。その問題の著作の一つが、「桶物語」である。(三浦、同書、p121-122)

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風刺はすべての機知の中で、最も安易だと思われている。だが時代がいたって悪い場合には、そうではないと私は考える。・・きわだった悪徳の持ち主を風刺するのは難しいからだ。(三浦、同書、第九章 スウィフト随想録より孫引用、p136)

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補注 その組織の内部にいて、その組織の真の全面的な批判者であることができるのだろうか。自らが属するヤフーを徹底的に批判してついにフウィヌムの仲間になりたいと願っ(て果たせず人間界に追放され)たガリバーのように、人間の世界の中にあっても人間の世界では暮らせない狂人になる危険を孕んでいるのではなかろうか。
 自らの属する世界で通常の生を営むためには、「自己言及的な語り得ぬ事柄」については「沈黙する」ということが自己防衛の手立てとなる。スウィフトは文人としてその一線を越えて(匿名ではあっても公然の)宗教批判を展開しながら、一方で聖職者として正義感に溢れ熱心に業務をこなしていたのであった。鋭い刃の風刺文学をものす文人、そしてその徹底的な批判の対象となる宗教界に身を沈める職業人、その二つを我が身に引き受けることを是としたスウィフトは、分裂した狂気への道を否応なしに歩んでいくことになったのであろう。
 人が嫌なら人でなしの世界にゆくしかない・・その前提からスタートしてどのような道を人は選んで行くべきなのか。芸術や学問などの人類にとって価値あるものは、その選択肢の一つである(補注#)。スウィフトが選んだ風刺文学の道は、一見安易そうにみえても、意外と険しく(補注*)、スウィフトのように突きつめれば、人でなしの世界にまで足を踏み込むという深淵が待ち構えている。もう一つの道、「混沌の中にあって自他ともに生きる方途」を懸命に探してゆかなければ明かりを手にすることができないのではなかろうか。2016年7月19日追記

補注# 有名な草枕の冒頭「・・あれば人でなしの國へ行く許りだ。人でなしの國は人の世よりも猶住みにくからう。 越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容(くつろげ)て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。ここに詩人といふ天職が出來て、ここに畫 …」を思い浮かべる。

 ところが、ガリバーの辿りついたフウィヌムの国は、人の世よりもずっと住みやすかったために、ガリバーの懊悩は一層深まる。草枕の主人公の物語のような展開にはならなかったのである。
 漱石は三十歳の若い芸術家を登場させて草枕の世界に暫しの明かりを見出す。しかし、漱石もまた、その世界に安らかに住み続けることはできなかった。草枕の世界を後にして、「混沌の中にあって自他ともに生きる方途」を懸命に探していったのだ。

補注* 風刺はすべての機知の中で、最も安易だと思われている。だが時代がいたって悪い場合には、そうではないと私は考える。・・きわだった悪徳の持ち主を風刺するのは難しいからだ。(三浦、同書、第九章 スウィフト随想録より孫引用、p136)

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日本の往生即涅槃:極楽浄土に生まれることと涅槃を得ることは同一

2016年2月5日 金曜日 曇りのち晴れ

中村元 日本人の思惟方法 中村元選集決定版 第3巻 春秋社 1989年

日本の浄土教では、極楽浄土に生まれることと涅槃を得ることは同一である(往生即涅槃)

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インド浄土教によると、現世の世界は汚濁にまみれた穢土であり、とうていわれわれ凡夫はここで仏道を修業することはできないから、来世にはよりよき世界である極楽浄土に生まれて、そこで阿弥陀仏のもとで聴聞し修行して、ついに涅槃を得ようと願うのである。ところが、日本の浄土教、ことに真宗によると、極楽浄土に生まれることと涅槃を得ることは同一のことがらである(往生即涅槃)。だから日本の浄土教にあっては、穢土である現世の地位が、インドの浄土教徒の考えていた極楽浄土に近い地位にまで高められたと批評してよいのではなかろうか。これも日本民族の現世主義的傾向にもとづくものと考えねばならないだろう。(中村、同書、p44)

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日本人は仏教の渡来する以前から現世中心的・楽天主義的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想は、日本人のうちに十分に根をおろすことができなかった。だから仏教で説く「不浄観」もそのままでは日本人に採用されなかった。(中村、同書、p49)

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日本人は、仏教を現世中心的なものに変容してしまった。

2016年2月5日 金曜日 曇りのち晴れ

中村元 日本人の思惟方法 中村元選集決定版 第3巻 春秋社 1989年

しかし人間がひとたび哲学的あるいは形而上学的な疑問を懐くならば、このような安易な信仰に、そのまま信頼し安心しているという状態を、いつまでもつづけることはできなかった。人々はなにかしらもっと奥深い人間の真実のすがたに触れたいと願うようになった。このような精神的要求に応じて、仏教が滔々(とうとう)と入ってきたのである。このような反省については、どうしても仏教のような硬度に発達した宗教にたよらざるをえなかったのである。(中村、同書、p38)

ところで、仏教が移入されてひろまるとともに、日本従来の現世主義的な思惟傾向は消失してしまったのであろうか。堰をを切られて氾濫した河水のように、仏教は短い時期のあいだに、日本のすみずみにまでひろまった。しかしながら日本人一般の現世主義的傾向を完全に改めることはできなかった。むしろ日本人は、大陸から受容した仏教を、現世中心的なものに変容してしまったのである。・・・奈良時代・平安時代を通じての仏教は、ほとんどすべて現世利益をめざしたものであり、祈禱呪術の類が主であった。(中村、同書、p39-40)

日本人の現世中心的な思惟方法は、仏教の教理をさえも変容させている。・・・仏教が現世中心的なシナ人によって変容させられ、それが日本に入るとともに、著しく現世中心的な色彩を濃厚にしてきた。日本仏教の多くの宗派は、凡夫といえども現世に悟りを開いて覚者(=仏)となりうるものである(即身成仏)ということを強調する。・・・最澄は「即身成仏」という語を用いている。このような思想は、仏教に古くからあるものであるが、この語を用いたのは、最澄が最初であるらしい。・・・シナ天台においては、実際問題としては現世成仏を許さなかった。・・・ところが、最澄が天台宗を日本に移入してから、一百年をも経過しないうちに、天台の学匠・安然は、現世において成仏しうるのはもちろん、一生のみの修行で成仏しうる、この身ながら仏となることをも許される、と説いている。(中村、同書、p40-41)

現世主義は日本真言宗の開祖・空海においても明瞭に表明されている。・・・衆生と仏とは平等であり、本性においては同一のものである。この道理を観察して、手に印契(いんげい)を結び、口に真言を誦し、心を統一するならば、衆生の身・口・意の三業が、そのまま絶対の仏の三業と合一するというのである。かれはとくに「即身成仏義」という書を著した。かれは「父母の生みたる身のままにて大なる覚りの位を証する」という密教の教説を主張している。(中村、同書、p42)

日本天台の発展でありまた密教の影響を受けているところの日蓮の教学が、即身成仏を強調したことは、いうまでもない。(同、p42)

平安時代の浄土教は、やゆあもすれば現実の生活をまったく無価値なものとし、遁世を第一条件とする傾向もないわけではなったが、法然の場合には、現実を肯定する方向に向かっている。・・・また浄土真宗においては、平生業成(へいぜいごうじょう)(平生に往生の業が完成する)の立場にたって、現世の生活のうちに絶対的意義を実現しようとする。往相に対する還相(げんそう)(かえるすがた)を重んずるのである。したがってこのような立場にたって、経典の語句に対してもかなり無理な解釈を施している。(同、p43)

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現実肯定の思想:与えられた現象世界に安住する日本人の思惟方法

2016年2月5日 金曜日 曇りのち晴れ

中村元 日本人の思惟方法 中村元選集決定版 第3巻 春秋社 1989年

与えられたこの現象世界のうちに安住するという思惟方法は、近代の宗派神道にもあらわれている。たとえば金光教祖は「生きても死んでも、天と地とはわが住み家と思へよ」と教えている。道元がシナの禅宗を批判し、禅の思想を変容、あるいは特定の説を強調したのとちょうど同じしかたにおいて、伊藤仁斎はシナ儒学を批判し、それを変容している。仁斎は、天地を一大活動作用の展開とみなし、ただ発展あるのみと考えて、死なるものを否定した。(中村、同書、p20)

とくに中世の日本においては、草木にも精神があり、さとりを開いて救われることもできるという思想が一般に行われていた。(中村、同書、p21)

「法華経」原文によれば、「釈尊が成仏した」のであるが、日蓮によれば「われら衆生がすでに成仏した」のである。(この場合「御義口伝抄」が日蓮の真意を伝えているかどうかは問題とならない。とにかくこのような解釈を日本人が考え出したのである。)
 ここにおいて現実肯定の思想が行きつくところまで行きついたということができるであろう。(中村、同書、p23)

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