カテゴリー別アーカイブ: life

生産へ参加する安心な老後

2016年2月4日 木曜日 曇り

以前に<「安心な老後」と「末は小町」>というタイトルで老後の暮らしについての所感を述べた。 http://quercus-mikasa.com/2014/07/old-age-life/ をここに再掲してみる。この文章のなかで、私は以下のように述べた。

*****

私は「安心な老後」としてたとえば以下のようなものを想定してみる:

a. 家族そして地域や社会の中で人とつながり、役割を担い果たしてゆくこと: 生産への参加

b. 衣食住と医療介護などが必要に応じて他者と等し並みに得られること: 生存の平等

c. 仲間たちや子孫たちが今よりも少しずつでも良い方向へと向かう社会を築いていくだろうと期待して生きていられる老後: 社会幸福の漸増

d. 私たちの積み重ねてきた価値あるものが仲間たちや子孫たちに価値あるものとして継承されると安心していられる老後: 文化・価値の継承

(以上は、<「安心な老後」と「末は小町」> http://quercus-mikasa.com/2014/07/old-age-life/ より引用)

*****

補注:(2016年2月4日付け)「生産への参加」について

「a. 家族そして地域や社会の中で人とつながり、役割を担い果たしてゆくこと: 生産への参加」

 両親で子育てすること、そしてそのための家事、これは定義によっては仕事の範疇からは外れるかもしれないが、ヒトの再生産という立場からは、最も根本的な「生産への参加」である。ただし、「老後」を考えるなら、とりあえずはこの子育ての時期を卒業した人々の世代を老後世代と考えるとよいだろう。
 「生産への参加」というのは、端的には「働くこと」と言い換えてもよい。憲法用語で表現するなら、労働の義務を負い、労働の権利が保障されるということである。労働とは、本人にとって、そして次の世代の人々(子孫)にとって、プラスの価値を持つものをいう。お米や麦を育て収穫すること、糸を紡ぎ機を織り衣服をつくること、これらは人類の文明そのものと言い換えることのできる労働である。これらはもっともわかりやすい。しかし、労働のスペクトラムは広く、労働とは言いがたいような仕事が繁盛している場合もありえる。
 (い)治水や交通の便のために護岸工事や橋の建設を行うことは価値の高い労働であるが、たとえば、(ドストエフスキーが死の家の記録で語っていたと思うが)(ろ)砂を杵で突くことの繰り返しや、砂山をA地点からB地点に移した後にA地点に移し戻すことは、労苦ではあるかもしれないが、働くこととは言いがたく、生産への参加とは無縁である。前者(い)タイプの労働を「生産」、後者(ろ)タイプの労働を「労苦」と言い換えてみてもよい。英語で work vs labor という区別であろうか。(補注*)大和言葉では、前者は「なりわい(生業)」あるいは「稼(かせ)ぎ」を思いつく。後者は?(当てはまる大和言葉を思いつかない)。 それぞれの文化、それぞれの言語で区別付けした表現があることが多いであろう。
     補注*:ただし、 labor という言葉は(い)タイプの仕事も含む大きな概念でもある。

 (ろ)タイプの作業では、たとえそれが老人にとって健康と長生きにつながるようなものであったとしても、いわゆる「やり甲斐のない・やる気のしない作業」になってしまう。したがって、(い)タイプの生産労働に老人が携わることができるよう、社会(コミュニティ)が機会を充実させていることが理想である。ところが、老人が勇を鼓して生産労働に携わろうといざ身を乗り出すと、その敷居が非常に高いことに気づかされる。老人はその敷居を跨ぐことができず事実上閉め出されている状態にある。
 特に、都会の老後世代には(い)タイプの生産労働に参与するチャンスが極めて乏しい。工業化社会の都市生活者には、専従「消費者」役が割り振られている。彼らの大多数は、生産の場を持たない。わずかながらの家庭菜園も持てない現状である。この現状に対し、もし、希望者は自分たちの畑を耕すことができ、たとえば、タマネギ・ジャガイモ・ニンジンを自給栽培できる場が得られれば、都市居住の老後世代の生きかたは大きく充実するのではないか。都市と農村との連携は(消費者vs生産者に留まるのではなく)その辺りの提携へと進んでゆけたらよいと想う。

*****

 上記の「生産」に直接には繋がらないかもしれないが、・・・私、昨日、在来種のタマネギの種の注文を郵送したところである。たとえば今年は「ヴェランダでタマネギを育てよう」というような自分向けの手引き書の下準備つまり試験栽培ができればよいかな、などと今、思ってみた。
 通常は、札幌では加温ハウスなどで3月に播種し、5月始めに露地に定植するのである。ところが、私が今年パイプハウスを建てるにしても雪解けの5月を待ってのことになる。現状では今年のタマネギのタネを播く時期は難しい。ならば、専用のハウスがなくとも、3月4月のマンションの窓際を上手に使って、タマネギの育苗はできないものだろうか。エンドウの窓際育苗は去年うまくいったのだから、タマネギだって何とか工夫できるかもしれない。

以上、2016年2月4日 木曜日 曇り

*****

*****

参考: <「安心な老後」と「末は小町」> http://quercus-mikasa.com/2014/07/old-age-life/ を以下に再掲する。

2014年7月16日 水曜日

一読すると、なるほどと感心する文章だったのに、しばらくしてから、スッキリしないものがホコホコと浮かんでくることがある。 WEBページに公開されている「末は小町をめざして」という田中優子さん(以下TYさん)の文章もその一つである。私なりにあれこれ考えてみてたどり着いた結論から先に述べると、TYさんの文章の全体の論旨には共感させられるのだが、「安心な老後」と対比された「末は小町」という言葉の使われ方に私独特の引っかかりを感じているのである。以下にWEBページから一部を引用しながら何がそしてどうして引っかかるのか考えてみたい。少し長い引用となるがご容赦いただきたい。

*****

<以下引用>  http://onnagumi.jp/koramu/anosuba/anosuba44.html

なぜかしきりに、今までの様々な事柄からリタイアしたいと思っている。今は、従来の発想ややりかたを墨守していては切り開いていかれない時代だ。自分自身が変わりたいからだが、それより何より、二〇代から四〇代の人たちが思い切り力を発揮できる環境が必要で、そのスペースを空けたい。同じ世代の中には、これから権力を握ろう、これからいい思いをしよう、という人たちもいるのだろうが、そんな人間が多くなったら最悪だ。最低限のことを伝授しつつ、道を譲る時なのである。このごろはふと気がつくと、その「伝え方」と「あけかた」を考えていることが多くなった。

江戸時代では、それを隠居といった。隠居は世間的な価値とは異なる生き方をする時間で、可能な人であれば三〇代から隠居した。そう極端でなくとも、五〇歳にでもなれば隠居し、運良く生き延びれば、次の地平で異なる生き方をしたものである。隠居には後身に道を譲る、という意味も含まれる。だからたとえ重要な仕事をしていて、しかも元気であっても、隠居は早くすべきなのだ。そうでないと社会が停滞する。

「そんなこと言っても老後が不安で」という人が多い。不安でない老後を保障しろ、という人もいる。しかしそうなのだろうか。江戸時代の隠居は、年金がないから自分で稼いだお金で隠居生活を送った。そのために、若い頃から節約するのは当たり前だった。湯水のように金を使った人まで「不安の無い老後を」というのは虫が良すぎる。華やかな生き方をするのであれば、「末は小町」を覚悟すべきだろう。この場合「小町」とは「卒塔婆小町」の意味で、老齢のホームレスの女性を言う。

老いたら、この先自分はどうなるのか、いつまでどのように生きられるか、不安なのが当たり前だ。しかしその不安と引き替えに「自由」がある。それが隠居という生き方である。芭蕉は隠居後、金を持たずに旅をし続けた。それは「野ざらし」を覚悟の上の、生き方としての旅だった。地位も金も肩書きもない、何も持たない己れと向き合う、実に深淵な自由である。日本には、そういう老いかたの伝統がある。

私は、「安心な老後」など送りたくない。千年以上の文化が作り上げてきた深みを、崖っぷちから覗きたいのである。 <引用終わり>

*****

今回はいくつかの問題提起を箇条書きで並べてみたい。順不同である。

1.衰老落魄説話のヒロイン小町: 小町は奈良平安時代の貴族文化の担い手の中でさらに伝説の中のアイドル。貴族たちの生活の基盤は律令制の下での租庸調すなわち庶民の労働に支えられているものであった。この時代の社会は、武士による封建制支配へと移行する前の時代、すなわち貴族による奴隷制支配の社会構造である。貴族の生き方は寄生的であり生産に携わることがない。小町が貴族の零落した姿であったとしても、奴隷・庶民にまで堕ちたのではない。如何に辺縁に押しやられたとはいえ、貴族の集合の中の要素であり続けているのである。「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」ということとそれでも貴族であることとの間に明確な矛盾が存在している。

2.出家、その象徴としての西行: 奈良時代の国家事業としての仏教、平安貴族の栄耀栄華の持続を願う呪術事業としての仏教、この時代の中で僧侶といえども国家のお抱えであり、いわゆる国家公務員・官僚である。この社会制度のもとでは、僧侶であること自体、「地位も金も肩書きもない、何も持たない己れ」には成れないことを意味する。芭蕉の敬愛する西行、彼が武士を捨て妻や幼い子供を捨てて出家してもなお、「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」には成れないのである。西行は、世を捨てて仏教を選んだというよりもむしろ他の(すべてとはいわないまでも)非常に多くを捨てて芸術を選んだというべきであろう。実際、西行には豊かなサポートがありしっかり暮らしてゆくことができた。もし西行が武士を捨てた上にさらに本当に「地位も金も肩書きもない何も持たない己れ」になってしまえば(あり得ない仮定ではあるが)現実的に生活してゆくことの重みが両肩に重くのしかかり決して芸の道に生きることはできないのである。

3. 芭蕉: 江戸での俳諧の高名な師匠としての暮らしは、今でいうところの芸術大学のタレント教授のような持てはやされる暮らしであろうか。それら安定した暮らしの選択肢を捨て、晩年になっても病身となっても旅に生きる。TYさんの文章にあるように「芭蕉は隠居後、金を持たずに旅をし続けた」ことはほぼ事実かも知れない。が、各地にそれぞれ支援者の層が厚く、旅の姿は乞食のようであっても本当の乞食ではない。芭蕉が芸の道に生きることはそのまま封建制度下の米作り百姓に寄りかかって生きていることになる。「実に深淵な自由」ではあったかもしれないが、芸を売って米を買わねばならぬという意味で、百姓の生産労働に依存した範囲内での自由と考えねばならない。これは本当の自由と言えるのか。

4. 翻って、現代の筆者TYさんによる「末は小町をめざして」: 筆者は言う、「日本には、そういう老いかたの伝統がある。私は、「安心な老後」など送りたくない。千年以上の文化が作り上げてきた深みを、崖っぷちから覗きたいのである。」と。

「千年以上の文化が作り上げてきた深み」は、平安女流文学そして西行・宗祇・芭蕉に代表される文芸文化を意味されているのだろう。それら価値の高い文化を継承すべき私たちにとって「安心な老後」を否定して、それら古人の求めたものを求めて老いを過ごし死を迎えたいという主張には共鳴させられるものがある。

しかし、視点を変えて考えてみよう。 判然としないのは、「末は小町をめざして」の「小町」のイメージである。作者は同じ文章の中で、「この場合「小町」とは「卒塔婆小町」の意味で、老齢のホームレスの女性を言う」とわざわざことわっている。卒塔婆小町は能作者らによって作られていった衰老落魄説話として中世社会に広く語り継がれたという。しかし、現代に生きる筆者によって、老齢のホームレスの女性、その通りの意味で小町という言葉が使われているのか。どこかに捻れが隠れていないか。

庶民の中に紛れ込んでいることはあり得るかもしれないが、小町は貴族、それもたとえ過去の栄光とはいえ文芸界のアイドル・ヒロインである。筆者TYさんは、小町の所属する貴族・文芸を愛して生きる集合の中の一員として最期の自分を想定し、また、大学教授や知識人たちで構成される仲間たちに呼びかけているのではないだろうか。この零落小町を自分の老後に想定される危険の最悪レベルと想定している人が、「安心な老後」を否定したとしても、否定された末に残る最悪の「安心でない老後」はそれほど悲惨な老後ではない。すなわち、自分は衣食の生産に携わらなくとも衣食が他者から供給されるという十分に守られ依存した老後、そして普通の医療が受けられ人並みの利便生活が確保された老後、それぐらいは当たり前としている言論ではないか。であれば、ここに否定されている「安心な老後」というのは、大学教授や知識人たちいわゆる現代の貴族ともいえる人たちを基準とした贅沢な老後であり、現在の一般庶民が想定しなければならない「安心でない老後」を念頭に置いていないのではないか。

私は、「安心な老後」という言葉は、「贅沢な老後」とは違うと思う。より良い社会を作ってゆく上で決してなくしてはならないものとして、否定してはいけない形で使われるべき言葉だと思う。私は「安心な老後」としてたとえば以下のようなものを想定してみる:

a. 家族そして地域や社会の中で人とつながり、役割を担い果たしてゆくこと: 生産への参加

b. 衣食住と医療介護などが必要に応じて他者と等し並みに得られること: 生存の平等

c. 仲間たちや子孫たちが今よりも少しずつでも良い方向へと向かう社会を築いていくだろうと期待して生きていられる老後: 社会幸福の漸増

d. 私たちの積み重ねてきた価値あるものが仲間たちや子孫たちに価値あるものとして継承されると安心していられる老後: 文化・価値の継承

このような観点からは、戦争や原発事故による家族や地域社会ないし国や世界の突然の壊滅を想定することは、「安心な老後」の否定形の最たるものだと思う。

西行・宗祇・芭蕉のような芸術家は民族の歴史の中で、千年にひとりか二人の逸材である。他のすべてを捨ててその道一筋につながって芸を磨いてゆく「老いの伝統」というべきものがもしあったとしても、私たちにはその伝統を安易に模倣できるとは考えない方が良い。むしろ、地域のそして世界の人々とつながりながら安心な老後をひとりひとりが確かに得られるような、そんな社会を築くことを目指してゆくべきではなかろうか。実に平凡に聞こえるかもしれないが、私はそう思う。

*****

追伸: 2014年7月16日 水曜日

文章をそれ単独で読んで理解する立場から離れて考えてみるのも良いかもしれない。たとえば、どういう状況に生きている人が書き、それまではどのようにして生きてきたか、そして(過去の文章であれば)書いた人はその後どのように生きていったか、という歴史である。視点をさらに展開させて、その文章が読む人によってどのように受けとめられていったか、時代の流れによってそれがどのように変わっていったかなど、歴史的な視点から資料を集めてみると、また違った理解が可能かもしれない。いわゆるメタ解析である。いずれは「末は小町」のメタ解析を試みてみたいとも思った。

しかし、今は7月、夏の真っ盛り、農繁期。照りつける太陽を浴びながらの畑仕事で多くの時を過ごしている。私自身にとっても切実な課題ではあるものの、「安心な老後」に関するさまざまな発言や考察に関するメタ分析はまたいずれかの機会に。

*****

***************************************

親とは何か、子とは何か、家族とは何か、結びあっているものとは何か。

加地伸行 沈黙の宗教−−−儒教 ちくまライブラリー 1994年

2015年10月2日 金曜日 晴れときどき雨

仏壇を前にして、最上段の本尊に対して花を捧げて祈り、中段の位牌に対しては、灯明をもって祖先を幽暗のところからこの世に導き、線香をあげて位牌に依りつかせ、回向をする。すなわち、本尊と花と、位牌と灯明・線香と、という組み合わせである。われわれの日本仏教は、こういう形で、輪廻転生のインド仏教と招魂再生の儒教とを、仏壇においてみごとに併存させているのである。われわれは仏壇に向かって、毎朝、仏に祈り、そして祖先と出会っている。毎朝−−−ここには、大きな意味がある。それは、家族の連帯を知らしめる行動だからである。
 私は、日本の家庭において仏壇の持つ意味は重要であると思っている。輪廻転生と招魂再生との矛盾を問う必要はない。われわれは、論理的には整合していなくても、すでに心理的に感情的に整合して両者に接しているのであるから、このままでよいのである。ただし、輪廻転生のインド仏教と招魂再生の儒教との併立、併存であることは、知的に理解しておくべきである。それはそれとして、というよりも併存を現実として認めて、そのつぎが大切である。
 「そのつぎ」とは、仏壇の持つ意味である。もし、家庭がただ単なる個人の集まりであったとするならば、それはもう家庭でもなんでもない。家をホテルとして利用しているだけのバラバラの家族にすぎない。・・・(中略)・・・浅薄な個人主義・自由主義の名の下にバラバラとなった家庭に未来はない。
 仏壇の前に座って、静かにお経をあげてみよ。仮に般若心経一巻を読じゅしてみよ。子は親の後ろに座り、親の読じゅを聞く。子は親の背中になにも感じないであろうか。親子はなにも語らずともよい。二人でお経をあげる、それでよいのだ。
 語るならば、親は子に語るがよい、輪廻転生を、招魂再生を。親とは何か、子とは何か、家族とは何か、結びあっているものとは何か。そういう<家を語る>場において、日本には仏壇がある。仏壇がその家の精神的中枢、精神的靱帯となるであろう。個人宗教に立つ欧米には、こういうものはない。
 日本仏教の最後の砦は、家庭の仏壇に在る。寺院がなんであれ、宗派がなんであれ、家の仏壇に比べれば、そんなものは大して重要でない。日本の家庭を支えうる最大の方法として仏壇がある。それを失ってしまっては、なんの寺院であり、なんの宗派であろうか。(加地、同書、p81−82より引用)

*****

**********

山里暮らし実践術:農地と生物とのネットワーク

大内正伸 楽しい山里暮らし実践術 学研 2013年

2015年8月18日 火曜日 雨

 豊かな水と旺盛な植物の勢いが、日本の自然を特徴づけているのは言うまでもなく、山に入れば無数の沢が流れ、平地や緩斜面においては水田の王国である。・・・中略・・・水は不思議なもので、水があると微生物が豊かになり、微生物の底辺が大きいと、生きものの食物連鎖が太くなる。地球規模で旅する渡り鳥たちにとって、田んぼは重要な食料庫なのだ。
 山に入って間伐作業をしていると、水の源は森なのだなあ・・としみじみ思う。森の木々が雨から山崩れを防ぎ、腐葉土を作り、そこに微生物を抱いて、水晶のような水を、また、生み出している。(同書、p66)

コンクリート水路は農業をやるものにとっては便利だが、両生類やヘビのとっては移動路を断つ場所であり、落ちたら二度と地上に戻れない。そこで落下防止のふたを設けたり、小さな「はい上がりスロープ」をつける。コンクリートには杉板を敷いて上がりを導いてやろう。(同書、p68)

基盤整備によって田んぼはイネ製造工場と化してしまったが、「水田魚道」はもう一度魚たちを呼び込もうという試み。昔は田んぼでウナギが捕れたとか、ナマズが田んぼで産卵するの、知ってた? (同書、p69)

*****

********************************************

「晴耕」と「雨読」の関係

不生庵さんの「畑に家を建てる」から「晴耕」と「雨読」の関係

2015年4月10日 金曜日 晴れのち曇り

晴耕雨読の生活:読書と作業、両者のいずれにも淫することなくバランスを取って一日を過ごす:

不生庵さんからはその充実したWEBサイトを通じて多くのことを学ばせていただいている。新しいブログのアップもいつも楽しみに読ませていただいている。

*****

不生庵さんの晴耕雨読の生活

不生庵さんの「畑に家を建てる」から、以下引用:

バランスを取ること: メインは、やはり本を読むことである。晴れていようが、降っていようが、興の赴くままに本を開く。読書に倦んだときに・・・畑に出て作物の面倒を見る、これが現代の晴耕雨読の実体なのだ。・・・要するに、本を読むことと作業することのいずれにも淫することなく、両者のバランスを取って一日を過ごすのが「晴耕雨読の生活」なのである。(http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/relation.html)

ムキにならずに: 問題は持続。 10年15年と土にまみれた暮らしを続けていると、心の下底に自ずと根を張ってくるものがある。これが大事なのだ。  私は百姓仕事を継続して続けることがなかったら、自身の思想、信条のすべては、根のないタワゴトに終わっていたろうと考えている。 ダメ人間の私が、僅かながら自分を肯定し、己の言説に自信を持ちうるとしたら、それは中年以後根気よく百姓仕事を続けてきたからだ。 (http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/relation.html)

スタートは早めに: 活力が残っているうちに・・・やはり自分の畑を持った方がいい。 畑を手にいれたら、その片隅に拠点を作ることである。階下を農機具置き場にして、二階を休息の間とする。・・・場所がどこであれ、農地を手にいれようとしたら、農地委員会との交渉とかいろいろ面倒なことが多い。それらをあまり苦にしないで身軽に動ける若いうちに、早々と手を打っておくに限るのである。(http://www.ne.jp/asahi/kaze/kaze/relation.html)

*****

**********

実用個人輸入 Mail Order の手引き

*****

1) 井上洋 実用個人輸入 Mail Order の手引き 同文館 平成6年(1994年)

2) 井上洋 Import Business ちょっと上級: ビジネスとしての個人輸入 同文館 平成8年(1996年)

3) (社団法人)日本通関業連合会編 個人輸入ハンドブック 大成出版社 1996年

4) (一般財団法人)日本輸入ビジネス協会 ネットでかんたん在宅輸入ビジネス 秀和システム 2012年

5) TAKEZO 確実に稼げる Amazon 輸入副業入門 ソーテック社 2014年

2015年2月2日、上記5冊も本日、通読・読了。

1)と2)は、同じ著者による 井上洋 個人輸入の達人 税務経理協会 1995年 の前半部分・ならびに後半部分だけを別の出版社からそれぞれ一冊の本にして出したもので、内容的には2冊になった分、幾分詳しくなっている。このような重複購入は、避けたいものであるが、内容を手に取ってみることができない古書の場合には間間起こるものである。あまり拘泥しないことにしたい。 3)は、今回または今後お世話になるかもしれない日本通関業連合会の編集で、Q&A100が役立ちそうだ。今後、事例に応じて事典的に活用したい。4)は安藤俊介という方が書かれた本。ネット輸入ビジネスに関して概観を得るには取り付きやすい本かもしれない。5)は、Amazon に特化して詳しく解説したもの。なるほど、このような仕組みになっていたのか。社会勉強になった。マーケットプレイスなどは日頃よく利用しているものの、その仕組みに関しては全く知らなかった。

今回の私の目的は、果樹の苗木クローンで由緒正しいものを輸入することだけなので、どことなく本日の6冊の実用書の通読勉強が的を射ていないのであるが、4)に一行だけ書かれていた「遠慮なくどんどん催促して構わない」という言葉に励まされて、2週間何の音沙汰もない先方の担当者宛に丁寧な催促のメールを、えんやっと出したところである。返事が来ればよいのだが。なかなかストレスフルな営みである。

*****

IMG_0220

**********

**********