バラの白石

 

2010年6月25日

東京から帰って、数日ぶりに札幌・白石の道を歩く。

野バラ(白・ピンク)、ハマナス、園芸種の小輪・中輪のバラ、などなど、バラが一度に咲き始めた。ツルバラが咲くのもあと数日か。

 

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「白石区の花はバラです」ということで、道の周り、いろいろなところにさまざまなバラが大切に育てられている。

 

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バラ、そのそばを通り過ぎるとき、その香りを楽しむ。

思い出も。ここにアップロードしたような野バラの花を見れば、少年の頃の思い出の風景も心に映ってくる。私の故郷でも、野バラの咲く季節には雨が良く降り、雨上がりに丘に登ればまたさらに野バラが美しかった。木イチゴの実が熟しはじめ、散歩の道を楽しくしてくれるのもこの時期であった。

札幌では今、ニセアカシアも満開。ニセアカシアの薫りもすてきだ。

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以上、2010年6月25日付けWEBページより再掲

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怪力乱神を語ろう

 

怪力乱神を語ろう: 肺癌プロジェクト開始

2005年6月24日

先日、DVD版ウルトラQを借りてきて見てみた。ウルトラQは、40年近く前、私も夢中で見ていた数少ない想い出のテレビ番組であり、懐かしの映像をDVDで見られるのかと思ったら、今回のDVDは、驚いたことに完全な新作であった。観ると、実に怖い。現在の東京、現実の風景の中で、怪異の現象が起こり、人は孤独の中で恐れにとらえられ、現実と夢との見分けさえつかなくなってしまう。「らくがき」、「わたしはだれ?」、「顔のない女」など、短い時間に展開されるストーリーなのに、極めて複雑で、実に怖い。

 

ティガ以来、ウルトラマンの造形は極めて美しい。私は、ティガ、ダイナ、ガイア・アグルと続くウルトラマンをすべて観てきている。劇場映画もほとんど欠かさず映画館で観てきた。ムナカタ副隊長・レナ隊員・ダイゴ隊員、など、今もすらすら懐かしく思い出す。私はティガのファンである。(隊長の女性の名前を今、忘れしてしまった。歳はとりたくないものだ。)私は、浅草ロックのウルトラマンのビルにも何度も通い、レアもののバルタン星人なども購入した。(もちろん、プレゼント用である。) さらに、主題歌の最初の和音だけでどのウルトラマンか当てるクイズなどにも参加したので、今でも多くの主題歌を歌える。ガイアの主題歌を道で歌っていて、どうしてそんな古い歌を歌うのかと、たしなめられたこともある。しかし、ガイアの歌詞を知っている方なら、この歌がどんなにいい歌か、先刻ご存じであろう。古いというなら、初代やセブンの歌もちゃんと覚えているので、我ながら不思議である。ただし、私は、特に、高山ガムとガイアのファンである。ガムのような天才科学者であったらどんなにすてきなことか。札幌に移ってきて、コスモスの頃はしばらく遠ざかっていたが、今のネクサスには、非常に熱中している。リコが死んでしまった場面など、コモン君にすっかり同化してしまうのを抑えられなかった。夢の中でうなされて、汗びっしょりで深夜に目覚めてしまった。主人公の恋人が死んでしまうなんて、ウルトラマン40年の歴史の中でも初めてのことではなかろうか? としたら、私が悪夢でうなされるのも当然だ(と思いたい)。明日の土曜日は、恐らく、ネクサスの最終回。レンは助かるのか、ナギ副隊長にどんな恐ろしいことが降りかかるのか、ネクサスとビーストの戦いは最終的にどうなるのか、とても心配だ。

 

ウルトラマンの存在しない現実世界での、ウルトラQの救いようのないサスペンス。これは、本当に怖い。(40年前の)怪獣は塩に弱いナメクジ怪獣だったりしたので、人間だけの手で何とかやっつけられることもあったのだが、もし、もう少し強かったら人類の文明は簡単に滅びてしまう。そうでなくても、日常の何気ないことの中にも、怪異が潜む。逃れようがない。地球に住む私たちは、絶えず不安にさいなまれる。それがウルトラQの世界だ。ウルトラQとウルトラマンの関係がどうなのか、別に詳しい考察を要するが、私の子供のころ、ウルトラQが終わって、そして、ハヤタ隊員と光との遭遇があり、ウルトラマンが始まったのである。ウルトラマンの顔はアルカイック・スマイル、広隆寺の弥勒菩薩像の顔である(注*)。

 

そこで、今日は、何が言いたいかというと、私たちのグループの「肺癌プロジェクト」開始、である。多くの肺癌は、簡単には見つからない。見つかったときにはすでに手遅れである(場合が多い)。なぜか、肺癌による死亡はこの50年でぐんぐん伸びている。喫煙が悪いと知られていながらも、最近も、女性の喫煙は増えてきており、今後も肺癌が増え続けると考えられている。この、忍び寄る、少しずつ増えてゆく日常の恐ろしさが、どことなく「ウルトラQ」の怖さに似ていると思うのである。

 

標的化分子の検出を利用した診断法で肺癌を早期発見し、手術できないものに関しては新しい標的化治療で治す、これが、私たちのストラテジーだ。私たちのグループでもようやくメソッドが確立してきたので、いよいよ肺癌プロジェクトに真剣に取り組んでいきたいと考えている。また10年かかるプロジェクトかもしれないけれど、これから、はじめてゆく。

 

(注*)参考文献: 成田亨 特撮と怪獣 わが造形美術 フィルムアート社 1996年

 

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以上、2005年6月24日付けのWEBページより再掲

 

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ルピナスと桑の実

 

2010年6月16日

 

この時期になると季節の進み方が速い。次から次へと進んで、書き留めておくよりも速く季節が通り過ぎてゆく。ナナカマドの花はとうに散って、今では緑の実になっている。

梅の実もかわいい。

梨ではなくて桜だった、と思っているうちに、枝いっぱいにサクランボの実。ただし今はまだ緑色。

比較的に花の季節が長いと思われるのは、オダマキの花たちだ。園芸種の花火のような花弁をもつものまで含めると、色も形もさまざまで面白い。ずいぶん長いこと楽しませてくれる。

 

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都忘れの花も今頃咲くようだ。ただし、確か、秋まで四季咲きで咲くものもあったように思う。残念ながら、もとの色はもっと深い紫色。私のデジタルカメラ(いわゆるコンデジ)では液晶モニターで見ても残念、と思われるほど青色に見えたが、写したものをコンピュータで見てもほぼ同じ。JPEG撮影の限界かもしれない。

ただこの紫の都忘れのすぐ隣には、ほぼここに写っているのと同じ色をした都忘れの別の一株が咲いており、まるでそちらを写したよう。で、そちらも写してみたが、こんどはもっと淡い空色に写ってしまった。

北海道の夏には高山植物系の紫や青の鮮やかな花が多い。最近の一眼レフ(たとえばニコンのD200など)ではJPEG撮影でもこれらの色をかなり忠実に再現できるようになっていて感心する。残念ながら、コンデジではまだ難しいようだ。あるいはそれなりに調整が必要そうだ。(新しい機種も欲しくなってしまう原動力にもなってしまう。)

 

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さて、下の写真は桑の実を写したつもり。

 

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写そうと思うと風が吹いてきて、なかなか留まってくれない。よって、アップでちゃんとした接写写真をとることが難しい。全体を撮っておいて後で切り出してシャープな写真に加工してみようかと思ったけれど、やはり、風が吹いていれば、局所も当然ピンぼけ(被写体ブレ)。

それはともかく、3月に高雄を訪れたときは、諸処の街かどに桑の木が茂っていて、赤や黒の実をいっぱい成らせていた。ほかにも熱帯の果物は多くて、桑に大きな価値はないと思われるが、ひとつもいで口に入れると、故郷の秋に食べた桑の実よりもずっと甘くて美味しいような気がした。

こちら北緯43度の札幌では今頃ようやく桑の実がいろを持ち始めるようだ。どんな花が咲いていたか? 残念ながら、記憶にない。この木の前を毎日のように通り過ぎながら、明確に観察できなかったのは修練不足である。来シーズンの宿題?

 

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ルピナスの花は端正な登り藤タイプ。昔、種を買って蒔いてみたことがあるけれど、一袋に20個も入っておらず、しかも発芽率も悪くてがっかりした。マメ科の直根なので、苗の移植は難しいという。それで種で蒔いたのだけれど、なかなか一袋では花壇が作れそうにない。それでも一旦生えてきた苗はとても丈夫な宿年草。二年目からは花を咲かせて毎年楽しませてくれた。自分で種を蒔いたりしなくても、荒れ地にも生えている。美術館の裏山に自生?していたりする。この季節に元気よく旺盛に伸びて、とても整った容姿に美しい花を咲かせる。

さあ、今週は恐らくジャーマンアイリスのハイシーズン。(占冠では札幌よりもさらに10日ほど遅れて咲く。)本州では少しひんやりとした山合の農家のお庭などで大きな美しいお花を見せていただいた経験がある。こちら、北国では街路樹のふもとに頑強に根を伸ばして大きな株に成長する。毎年この季節、豪華な花を咲かせてくれるとても丈夫な宿根草である。

 

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こんな豪華な花たちが次から次へと咲いてくれるのが、この季節の札幌の小道の楽しく贅沢なところである。今年の花を楽しんだ後は、せめて来年の花だけは見てからでないと(札幌を)去れないと思うのである。すなわち、いつまでも立ち去りがたい気持ちになるのだ。

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以上、2010年6月16日付けWEBページより再掲

 

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見上げればマロニエ

 

2010年6月7日

 

札幌では春の進行が今年は例年よりも10日程度遅れて進んでいる感じ。

今、八重桜が散って、林檎の花とライラックが満開、見上げればマロニエが咲き、足元にはスズランが咲いて、土手や草原ではルピナスの塔が伸びてきている。

昨日ごろから陽射しも北国独特の初夏の光線となり、緑の樹木をとても美しく照らす。

家の中も暖房が不要なぐらい暖かく、日も長く、北国に住んでいて一番暮らしやすく楽しい時期。

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フライデーカジュアル

 

石津謙介さんとフライデーカジュアル

2005年6月3日

先週、石津さんが亡くなった、という報をNHKの朝のニュースで聞いた。93歳。もっともっと長生きしてもらいたかったのに、残念だ。私は、石津さんのファンで、このオフィスにも石津さんの本を何冊も置いている。同じ岡山県出身の大先輩として、内田百先生と石津謙介さんの文章は、日頃楽しみにして親しんで来た。百先生は芥川の友達世代で、私の生まれる頃には亡くなって、もちろん面識のあろうはずもない。が、石津さんには、もう少し、ないし、もっとずっと長生きしてくれていたら、個人的にお会いして親交を深めるチャンスもあるのではないかと楽しみにしていた、そんなファンだったのである。1911年生まれということで、私とは二世代ほども年齢差があるが、最近の石津さんのエッセイなど読ませてもらっても、昔の人、という感じなどどこにもなく、同時代を生きる先輩、といった親しみを感じるのである

この6月(2005年)からは、夏期間、省エネのため、ノーネクタイとノージャケットで過ごそう、というキャンペーンが始まっている。昨夜はテレビで、小泉さん(元首相)と岡田さん(元民主党党首)が靖国参拝を巡って国会で議論している姿が報道されていたが、小泉首相はノーネクタイ、岡田さんはネクタイはしているものの、二人ともジャケットなしであり、一見して気づかれるほどの珍しい国会風景であった。NHKなどの解説を聴くと、このキャンペーン、冷房を28度に抑えよう、という省エネルギー対策が一番の骨子のようだ。東京で28度の冷房では、確かにネクタイはしていられない。ここ札幌では、気温が25度を超えるような夏日は7、8月でも数えるほどしかおとずれない。よって、28度の冷房など考えたことがなかった。冷房のスイッチを調べてみたら、確かに28度設定は可能である。18度から30度までの範囲で調節可能だ。私も早速、冷房28度にしてみた。注意すべきことは、札幌で「冷暖自動」の設定になっていると、28度では、ひょっとして普通は暖房になってしまうかもしれないことだ。しかし、何故か、私のオフィスは「冷暖自動」では27度が最高の設定温度である。ちなみに、暖房の設定は最高26度と、さらに低く、冬場は私のオフィスはかなり冷え込んでつらいことがある。(天井に取り付けてあるエアコンの出口付近の温度計でスイッチが調整されているとのことで、実際の生活空間の室温はぐっと冷えている。)

S大では大学の法人化を2年後に控え、私も、定款作りをはじめとして、多くの会議に参加している。昨日は、6月に入ってから初めての会議だったので、皆さん、どういう服装でいらっしゃるか、楽しみだったが、ノーネクタイは私のほかには、事務局の若手の方、お一人だけ。ただ、事務局の皆さんはT課長をはじめ、皆さんノージャケットで、違った雰囲気でどことなく新鮮である。対照的に、教授の方々は、ネクタイとジャケット、あるいはネクタイに白衣を羽織ってといういつも通りのスタイルのままであり、衣替えの雰囲気はない。世俗のキャンペーンに影響されているように見受けられるのは私ぐらいかもしれない。もっとも、私の場合、今回のキャンペーンを遡ること15年ほど前から、似たようなファッションだったので、私が世間に迎合したというよりも、世の中の動きを示す直線と、私の直線とが、たまたま今回、平面上の一点で交わったに過ぎず、今後は、再び世間から大きくずれてしまって2度と交わることはない、のかもしれない。

私も若い頃は「質実剛健」「弊衣破帽の心意気*」でやってきていたのだが、最近では服装や生き方のスタイルに関して、少しおしゃれをしなければいけないと考えている。もう十分泥まみれ(1リットル培養のK12株のペレットは本物の泥のように見える)になって働いてきて年取ってきたという思いもある。特に、20歳ほども歳の差のある学生たちを指揮する立場となったために、彼らが20年後の自分を重ね合わせて私の姿を見たときに、「あんなふうにはなりたくないものだ」と蔑んで見られるのでなく、20年後には「自分も(最低でも)あんなふうになれているだろう」とある程度の好感をもって見られる程度の線は確保したい。研究室全体の成功を目的として、部員全体のモラールを高めるべく細部にわたって鋭意努力の義務があると考えている。で、私なりのおしゃれは、どんなものか? ―――といって文章にするよりも、日頃の私を観察してみてもらいたい。が、タネを明かせば、お師匠さん、アドバイザーのひとりがこの石津さんである。明治生まれの年寄りなんか師匠にしてどうする、という批判も聞こえてきそうだが、こんなに長生きしてて、こんなに元気にアドバイスしてくれる、ということだけでも、私はすっかり敬服・心酔していたのである。

さて、フライデーカジュアルについて。「会社で働いておかしくなく、客の応接で失礼に当たらず、会社帰りにバーへ立ち寄っても堅苦しくないというのが、週末に会社へ行く服の本来の形**」とのこと。しかし、官公庁やサービス系の会社などとは違って、私たちの研究室は、汗まみれ、泥まみれ、(望ましくはないが、ラットの手術などが失敗したときには)血まみれ、になって働く場所である。知的な「製造業」に分類される職場である。だから、ネクタイなどはじゃま。フライデーカジュアルと言っても、ぴんと来ないほど、日々の服装はラフ。「行き過ぎたドレスダウン***」が徹底している職場である。そこで、石津さんからの提案***: <最近は日本でも、ぼつぼつ「行き過ぎのカジュアル」が目立ち始めてきました。ですからここで少々逆戻りして、「気軽なドレスアップ」を考えようではないかということなのです。 至極都会的な「カジュアル・センス」、すなわち、自分自身で考えた、自由で、そして気楽な「フライデー・ドレスアップ」に身を包んだジェントルマンが、とてもさわやかに、それとなくオフィスや街頭に現れる―――というのが「新しいファッション」ではないでしょうか。>(石津謙介「悠貧ダンディズム 男はいくつになっても不良少年」53ページ 経済界) 上記をふまえての部員の皆さんへ私からの提案: 時には、少しだけ気軽におしゃれしてラボで仕事しよう。そして時には、自由に気楽にドレスアップして、街にも(冬ならスキー場にも)出かけよう。
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注: 以下の単行本からの引用です。

* 「弊衣破帽の心意気」 石津謙介 悠貧ダンディズム、経済界、1998年。

** 「フライデー・カジュアルの試み」 石津謙介 「変えない」生き方、毎日新聞社、2001年。

***「フライデーカジュアルの定義」 石津謙介 悠貧ダンディズム、同上。

* 内田百(うちだ ひゃっけん)先生の「」の字(もんがまえに月)は機種によっては文字化けする場合があります。

<以上、2005年6月3日付けWEBサイトより再掲>

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