culture & history

歴史観の思想史

 

2014年4月22日 火曜日

 

佐藤健志著 僕たちは戦後史を知らない 祥伝社 2013年 読了。

「ファンタジーの戦後史」というキーワードを全編のライトモチーフとして、敗戦から現在までの約70年間、戦後史が日本人によってどのように捉えられたかを語る。何が起こったかという歴史ではなく、歴史の解釈がどのようになされたかという「歴史観の思想史」の本。歴史の本としては、あまり読みたくないジャンルの本。ジャンルはさておくとしても、この本の叙述には私から見て多くの疑問点がある。たとえば、

1) 戦後の歴史を日本だけで捉えていること: 世界全体の中の日本として考えなければ真実が見えてこないはず。

2) 日本人の思想といいながら、その日本人が何ものなのか明確ではない。

この本で引用されているものの多くは、映画監督、演劇演出家、など、いわゆる文化人ないしインテリ、それに若干の政治家が中心である。この本の著者が、舞台芸術の評論を中心に活動しておられることから、日本人の思想として映画や演劇関連で活躍されている著名人の言論を取り上げられるのはやむを得ない。しかし、彼らを日本人として代表させて良いのか。

明確には書かれていないが、著者が暗黙に日本人としているモノの像を私は以下のように感じる。

すなわち、日本人としては、マスコミが扱ういわゆる「われわれ日本人」、つまり大新聞の社説などを書く編集委員などマスメディアのオピニオンリーダーたちを、具体的には想定すればよいのだろう。

しかし、彼らのような存在を総体として語る必要があるのか? 歴史書で語るだけの価値ないし実体のある対象なのか?

彼らのような日本人を「日本人」として扱って正確なのか? そのような「日本人」を彼らのような日本人に代表させて本当に把握することができるのか? はなはだ疑問である。

たとえば、映画監督のO氏が戦後をどのように捉えてどのような映画を作製して世に問うたところで、多くの日本人に何の関わりがあろうか? 日本人という言葉を使って紛らわしければ、言い換えよう。この私に何の関わりがあろうか? 文化人ないしインテリが彼らの歴史解釈を何と表現しようと、マスコミがどのように新聞やテレビなどのメディアに紹介宣伝しようと、無名の日本人に何の関わりがあろうか?

「無名の日本人」など、この日本にいるわけがない。が、99%の人々は「無名」として、インヴィジブル、見えない存在として扱われるのである。しかし、私は、はっきり言いたい。いわゆるマスメディアのオピニオンリーダーたちとこの無名の日本人とは、全く別物、ほぼ無関係の関係にあるということである。

文明ないし文化批評として、「日本人」を扱う読み物には、最大公約数的な「日本人」を扱おうとする暗黙の了解があろうが、これがほとんどの現実の日本人をどうしても割り切れないのである。すなわち、提出された総体としての思想はこねくり作られた眉唾ものである。用途としては、曖昧な思想の宣伝として使い捨てで使われることになる場合が多いのである。

私が知りたいのは、だれがどのように解釈したか、ということではない。本当に何が真実であったか、ということを真摯に追求した歴史の本を読みたい。

 

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