歴史のこころ

グローバル企業について

2010年5月6日

昔に何の気なしに書いてしまったことで、今になると訂正ないしせめて注釈の書き添えはしたいと思うような記事も多い。

たとえば、今もなお冬場に着ているアンダーウェアのサーマスタット、上下ともに恐らく8,9シーズンは愛用している。当時の私にとって、下着としては驚くほど値段高価なものであった。着てみるととても暖かく汗も良く乾いて優れものだ。高機能素材の繊維製品として非常に感心したので、WEB記事に書いたこともある。その際、このウェアのタグに記載されているメードインUSAとデュポン社の名前を発見し、これをそのまま引用し、こんな良い新素材製品を開発したアメリカの会社の貢献をほめたように思う。

言い訳を言わせてもらうならば、その文章を書いたときに、デュポン社の沿革全体を褒めたわけではなく、この新素材製品とそれにまつわる局所としての会社繊維部門を褒めたのである。

8,9シーズンは愛用している間にはさすがに私のウェアも恥ずかしいほどの毛玉だらけになってしまった。ピッチャーにたとえれば、控えにまわされることも多くなって出番が少なく、登板回数としては最近のメリノウール下着たちに全く太刀打ちできなくなっている。

一方で、8,9年も勉強も続けていると、デュポン社というコングロマリット企業の名前が歴史の諸処に顔を出し、衣類やテフロン製品を作っている平和なだけの企業ではないことを思い知らされる。WEB記事に書いてしまった責任上、その都度、いやでも心穏やかにはなれなくなる。過去の無知な気楽な自分が残念で仕方がない。

デュポン社は、広島長崎に落とされた原爆の開発製造計画・マンハッタン計画の取り引き代表業者(窓口会社)であったという。デュポン社を通じて、原爆開発の技術・原料調達・施設管理などが、スタンダード石油・ウェスティングハウス・ケロッグ・ユニオンカーバイドなどへ事業分担されたということである。ルーズベルト大統領以下のアメリカ首脳部は1943年の時点で既に世界で最初の原爆投下の相手を日本に決めていたとの公文書が一時期公開されたという。

詳細は簡単には思い出すことができないが、デュポン家はアメリカを代表する名家の血流である。そうであるならば、恐らく、藤永茂さんが問いかける「アメリカの二つの原罪」の多くの責任をこのデュポン家の人々も背負っているに違いない。

ナオミ・クラインの「ノーロゴ」を勉強してからは、コーラを気楽に飲むことも、地球人の私たちとしては、私たちの仲間のことを考えれば、ホントは簡単にはできない・してはならないかもしれないことを知った。

パレスチナの人々の苦しみを書物で読んで知ってからは、購入しようとしている製品や部品の製造者や販売者がイスラエル支援企業か否かは簡単に看過できる問題ではなくなった。

そんな経過がこの8,9年の間に私の中を過ぎて行き・今も留まっている。だから、デュポン社のことを何も知らずにいた過去の自分が手放しで新素材繊維礼賛したことを、今の私は大変に愚かしいことと思う。

また、一方で、上記のような断片的な知識だけからではデュポン社を非難することが適切だとも思わない。デュポン社というグローバル企業がひとりでいくら頑張っても原爆を広島に落とすことはできない。

今の私はもう少し時間をかけて、グローバル企業のことも巨大コングロマリットのことも含めて、歴史と現在をしっかりと勉強し、これからの生き方暮らし方の軌道修正へとつなげてゆきたいと思っている。

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以上、2010年5月6日付けWEBページより再掲

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