philosophy

ぶどうを食べる生き方

解釈への意志へと変換

ブドウ真理教:狐の力への意志は解釈への意志に変換される。

「力弱き者たちの力への意志を、解釈への意志へと変換する力をもった者こそが僧侶である。」 永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p75 より引用。

2015年2月16日 月曜日 曇り

ぶどうに手の届かなかった狐が「あれは酸っぱいぶどうなのだ」と言ったとしてもそれはまだ相手を引き下げているにすぎない。だが、その狐が「ぶどうを食べる生き方は正しくない」と言ったとしたら、彼はひとつの解釈を作り出したのである。このとき、狐の力への意志は解釈への意志に変換される。ニーチェのルサンチマン理論の本質はそこにある。弱さの、卑小さの本質は、解釈への意志にあるのだ。・・・力弱き者たちの力への意志を、解釈への意志へと変換する力をもった者こそが僧侶である。狐の僧侶はこうした狐たちを集めて「ブドウ真理教」を結成するかもしれない。僧侶は弱者たちに、力への意志を解釈し変える方法を教えることによって、彼らの力への意志を糾合し、自分自身はこの世での(つまり解釈し変えられていない)権力を握るのである。彼は密かに現実の甘いぶどうを食べるのだ。

以上、永井均「これがニーチェだ」 講談社現代新書 1998年 p74-75「人間的あまりに人間的」の項より引用。

IMG150123056

*****

**********

RELATED POST