2025年12月31日 水曜日 晴れ(穏やかな陽射し)
佐藤雅美 知の巨人 荻生徂徠伝 角川書店 2014年
・・柳沢村は青木村から釜無川沿いを北上して、釜無川の支流小武川を渡り、大武川を右に見ながら西に向かったところ、青木村からは二里とちょっとのところにある。・・美濃守の祖父兵部信俊は武田信玄および勝頼に仕えた。織田信長が甲斐に攻め入ったときは家来とともに地元の者が「餓鬼の喉」といっている難所を砦に籠城した。兵部らはよくたえ、信長が本能寺で殺されて家康が甲斐を支配するようになると、家康の麾下に馳せ参じて、徳川の家来になおった。 その柳沢家を信長からよく守った砦、「餓鬼の喉」を探訪するのが武川の一帯を訪れた主たる目的で、徂徠は村人に案内するようにといった。(同書、p122)

補註: 武川町の歴史 餓鬼の嗌(のど) 柳澤信俊(吉保の叔父)が武田滅亡時に隠匿した場所・・ウェブページもご参照下さい。以下引用: 「甲斐叢記」に次のように記されている。・・餓鬼嗌、澗流に臨たる峻き峰の上にあり山の盤曲たる中間に少しく平なる処三四十間許に十問余りの濶(ひろ)さなり後の方は崇にて前は偉く入口窄くして奥は寛し、地獄変相の中に画たる肚太く嗌頸細き餓鬼という者に似たればとて如此なづけ目(なづけ)しとなん(此名処々にあれども此処は徂翁が遊びし処にて其記文さえ伝りければ特に世に名高く聞えたるなり)其右の方に衝と立たる岩あり下に嵌(あな)空ありて洞の如く数人の坐を設くべき程間の潤 さ僅に五六尺許沙石ざらざらとして足を踏留むべき所なし、実に無双の要害なれば天正壬午の年柳沢兵部丞兵乱を此処に避られしなり。又連接たる処に逸見氏、一条氏等の同じく潜み匿れし塁地あり、古老の話に本州は山河天然の固 あれば古よりして敵国に侵し掠らるゝ憂なかりしに、天正十年織田勢乱入せしかば泰山忽ち崩れ江河の暴に在る如く州民東西に分散て山小屋に入るというは是事にて小屋場など云処諸所の山中に往々あり、国中の武士も妻子足弱をば皆山中に隠し置たることなれば此処も其類なるべし。<以上、引用終わり>
**

**
以下の六義園の画像はウィキペディアからの引用(京浜にけ – 投稿者撮影, CC 表示-継承 3.0, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?curid=2249550による、などから)

*****
*********************************
