読書ノート

藩士が自ら百姓同様の蓑笠姿で土木作業などに従事するという異例の政策=「御手伝忠信道」

2025年10月21日 火曜日 雨(の中でシャルドネの収穫、今日でシャルドネ終了)

小関悠一郞 上杉鷹山「富国安民」の政治 岩波新書1865 2021年

 ・・新規の役職設定と任用は、藩士が自ら百姓同様の蓑笠姿で土木作業などに従事するという異例の政策=「御手伝忠信道」(安永元〜四年)と相まって、重臣層を中心に少なからぬ家臣の反発を招いていた。・・・(中略)・・・「政治を知らない人の誹謗に思い悩んで改革政策実施を延期してしまったら、国家の再興はいつのことになるとお考えでしょうか。もし、非常時に際しての改革だと理解しない人々の言葉に惑わされて、国家を失うようなことがあれば、人々はさぞ嘆かわしく思うでしょう」(同書、p78-79)

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 ・・春台は、「尽地力之説」による経済政策を強調することで、そのような「富国強兵」策を「民利」「民富」を実現するための政策として読み替えたのである。竹俣が掲げた「富国安民」は、このような春台の「富国強兵」論の内容をよく反映していた。(同書、p83)

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ウィキペディアより<以下引用> 竹俣 当綱(たけのまた まさつな)は、米沢藩上杉家の家臣。家格は侍組分領家。石高は1000石、一時的に300石減俸され700石。民政家で産業に明るかったため、莅戸善政らと共に上杉鷹山に抜擢され、明和安永年間の藩政改革を主導した。

以上、ウィキペディアより引用終わり。

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