2017年1月26日 木曜日 晴れ
花房英樹 白楽天 人と思想87 清水書院 1990年
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「漸く閑にして道友に親しみ、病に因りて医王に事(つか)う」
「道友」とはいわゆる道教修行を続ける知人であり、「医王」は「生・老・病・死」の苦患を払除する仏菩薩である。その道友から坐忘の示唆をうけ、仏教からは禅行を受けた。そのような求道の生活の中で、老荘の思想から委順の観念を、仏教から三世の観念の緒をつかむことができたのである。(同書、p186-187)
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・・しかし倫理的感動による言辞はさほど多くない。儒教的な思惟が潜行しているからである。それは「元九に与うるの書」で、「僕不肖と雖も常に此の語を師とす」といいつつ、「孟子」(尽心上篇)の
窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち亦(また)天下を兼(ひろ)く済(すく)う。
という語を引いていたが、今はその「窮」の境涯に在ると見なしていたからである。もともと「論語」憲問篇にも、「其の位に在らざれば、其の政を謀らず」とあった。その故に巨視的に見れば、この自己規定もなお儒教的であった。ために「達」の時期にめぐり会えば、「兼済」の方向へと動いてゆくのである。(同書、p188)
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・・「丈夫、一生に二志有り、兼済と独善とは併せ得難し」と言うようなこともあるにはあるが、ここでは仏教への関心と文学する悦びがあってこそ、「兼済」へ精神を高揚させることも可能となったのである。以後も居易の内部では、限定された「兼済」と巾広い「独善」とが、比重の差異はありつつも、分かち難く結ばれていくこととなる。(同書、p192)
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もともと居易は、自己の同一性を保持しようとする思想的人間であるよりは、情緒の中に時間を見出してゆく文学的人間であった。・・ために思想においては、ゆるやかな立場にあったのである。仏教では南宗禅に信仰を見出していたものの、廬山のそれは浄土教的色彩を、その初めから帯びていた。それを居易はとり上げ、中ごろにはいわゆる浄土信仰を懐くに至っていた。しかも弥勒信仰と阿彌陀信仰とは差異あるものであったが、居易はその差異をさほど重視しなかった。この大らかさは老荘の思想の受容についても見られる。(同書、p207)
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閑職の中で
・・その江州は、地の果てでもあるような土地であった。風土は北方とは全く異なり、気候も長安とは違っていた。人々の習俗も見慣れぬものであり、言葉も鳥の喋りにしか聞こえなかった。これまでとは次元を異にする世界へ投げ出されたのである。しかも司馬という官職は、当時にあっては、職事がなくて名のみの地位であり、貶謫(へんたく)の人を暫定的に処遇するものでしかなかった。ために白居易も、「江州司馬庁記」(1471)で、・・「ひろくすくうに急なる者、これに居れば一日と雖も楽しまず。独り善くするに安んずる者は、これに処れば終身と雖も悶え無し」という。まさしく「吏隠」のための地位であった。居易はこのなじみない環境と為すこともない閑職の中で、いよいよ内部へ向かわざるを得なかった。(花房、同書、p45)
補註 貶謫 へん‐たく【×貶×謫】官位を下げて遠方の地に移すこと。配流(はいる)。貶遷(へんせん)。
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廬山の草堂に住んで
・・廬山には景勝のところに東林・西林の二寺があり、晋の高僧であった慧遠の法燈が受け継がれていた。白居易はその地の景勝や仏寺に惹かれてしばしば訪れ、ついに草堂を置いた。・・・(中略)・・・
遺愛寺鐘欹枕聽,香爐峰雪撥簾看。
・・・(中略)・・・ 居易は余裕があればここで生活するようになった。そして両林寺を訪ね、そこに属する僧侶たちと語り合い、仏教に救いを求めていった。(花房、同書、p49−50)
補註 白居易『香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁』
原文は以下の通り(碇豊長さんのサイトより引用)http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/rs86.htm
香爐峯下新卜山居草堂初成偶題東壁 白居易
日高睡足猶慵起,
小閣重衾不怕寒。
遺愛寺鐘欹枕聽,
香爐峯雪撥簾看。
匡廬便是逃名地,
司馬仍爲送老官。
心泰身寧是歸處,
故鄕何獨在長安。
また、もうひとつ以下も参照。http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi2/rs144.htm
香鑪峰下新置草堂即事詠懷題於石上 白居易
香鑪峯北面,
遺愛寺西偏。
白石何鑿鑿,
淸流亦潺潺。
有松數十株,
有竹千餘竿。
松張翠傘蓋,
竹倚青琅玕。
其下無人居,
惜哉多歳年。
有時聚猿鳥,
終日空風煙。
時有沈冥子,
姓白字樂天。
平生無所好,
見此心依然。
如獲終老地,
忽乎不知還。
架巖結茅宇,
劚壑開茶園。
何以洗我耳,
屋頭飛落泉。
何以淨我眼,
砌下生白蓮。
左手攜一壺,
右手挈五弦。
傲然意自足,
箕踞於其間。
興酣仰天歌,
歌中聊寄言。
言我本野夫,
誤爲世網牽。
時來昔捧日,
老去今歸山。
倦鳥得茂樹,
涸魚反淸源。
舍此欲焉往,
人間多險艱。
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補註 姓は白、字は楽天
同じく、碇豊長さんのサイトより引用:http://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi2/rs144.htm
・字樂天:字(あざな)は楽天(という)。白居易の字(あざな)。男子が元服の時につけて、それ以後通用させた別名。通常、実名と何らかの関係のある文字が選ばれた。蛇足になるが、わたしたちは『白居易(詩集)』とか『杜甫(詩集)』と、〔姓+名〕で呼んでいるが、どうも「呼び捨て」といった感じでもあり、落ち着かない。一定の尊敬の念を込めて『白楽天(詩集)』『杜少陵(詩集)』や官職、また、「-氏」などの敬称を附けて呼ぶのが曾て多かった。いってみれば、『白居易詩集』という書題は(日中ともに)戦後の新しいもの、『白楽天詩集』といえば戦前の出版になるものとも謂える。現在では〔姓+名〕が主流のようなので、本サイトでもそちらに合わせている。ただし、陶潜(陶淵明)は、その点が不明確なので、本サイトでは、併記併用している。(以上、碇豊長さんのサイトhttp://www5a.biglobe.ne.jp/~shici/shi2/rs144.htmより)
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補註 廬山
ウィキペディアによると・・・廬山は、古来より名勝として知られ、東晋の田園詩人で九江の人・陶淵明の「飲酒二十首」其の五に「菊を採る東離の下、悠然として南山を見る」と歌われたのをはじめ、李白、白居易ら多くの詩人に歌われている。また、宗教的な聖山としても古くから名高く、古くは後漢の安世高が住したことで知られ、中でも「虎渓三笑」の故事で知られる、東晋の慧遠が住した東林寺で有名である。
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補註 2017年1月31日追記 兼済と独善
兼済という言葉は日本では余り日常的には使われていない。ウェブ記事などを見ると、期限付きの小さな役職を与えられた人が「兼済」を目指して職務を全うした・・などという記載がある。詳細はもちろん不明であるが、多くの場合、余りにも卑近な意味に「兼済」という言葉が使われているのではなかろうか。多くの小人は、せいぜいカントのいう「自己愛」のために役職を引き受けて全うしていることがほとんどと思う。カントのいうごとく、自己愛の全く無い自己犠牲 altruism 的な行為はありえないとは思う。しかし、兼済という言葉を小さく卑近に使うことは努めて避けるべきであろう。
「兼済」という言葉に似ている言葉に「経済」がある。これなどは、使われ方がエコノミーの意味に偏ってしまったので、経世済民の本来の義から大いに隔たってしまった。ここまで手垢がついてしまった経済という言葉の復活は難しかろう。せめて「兼済」という言葉は、原義から離れることなく、大切に使っていくことが望ましい。
一方、独善という言葉は日本でもとてもよく使われる。しかし、その意味合いは日本では悪い意味に偏してしまっている。親鸞が言う「善人」をさらに独り善がりの悪いほうに偏らせた意味で、そのような人のことを批判して「独善」と言っている。すなわち、自分のことを「善」と思っている独り善がりで(本当は)悪い人のことを「独善」の人だと、他者の目から見て批判して「独善」と言う。
白居易が述べている「独善」という言葉はこれとは意味合いが異なる。「兼済」が理想であるが、立場や状況上それが十分にできないときに、巻懐(補註##)して「善」を求めて自身を修養していくような姿である。その「善」は、決して独り善がりではなく、普遍的な善である。私にはこの白居易の姿がとても好ましく感じられる。
しかし、独善という言葉が日本では偏った使われ方をされ、それがすでに一般化されている以上、改めて「孟子」や白居易がいう「独善」という言葉の本義に立ち返ることは、少なくとも日本では難しそうである。残念ではあるが、別の現代語に置き換えて理解するのが簡便かと思う。例えば「わが身の修養」などという言葉で表すことができそうである。(以上、2017年1月31日追記)
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補註## 巻懐について 2017年1月31日追記
巻懐は「論語」にでてくる言葉。当ウェブサイトでも何度か紹介している。例えば以下のサイトを参照下さい。
1)巻懐; 六十にして五十九年の非を知る 2016年1月9日
2)「人の知ることなき」世界:そこに巻懐の道が生まれる。2016年1月8日 巻懐とは所与を超えることである。そこでは、主体が所与を規定する。それは単なる退隠ではなく、敗北ではない。ましてや個人主義的独善ではない。
補註 現代の日本の場合、「独善」という言葉が、極めて「個人主義的独善」に偏して使われているのであろう。中国では、知識人はすなわち政治家・官僚であり、決して「個人主義的」に偏することはないのである。これらの論点は、例えば加地伸行さんの「中国人の考え方」に関する幾つかの書物によく解説されている。たとえば、「加地伸行 中国人の論理学 (ちくま学芸文庫)」などを参照下さい。2017年1月31日追記
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