補註: 上の絵は、オランダ黄金時代の画家レイヤー・ファン・ブロンメンダールによる「ソクラテス、彼の二人の妻とアルキビアデス」(1660年の作品; ウィキペディアより引用)
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2025年6月22日 日曜日 雨(午後には止む予報)
モーム著 行方昭夫訳 サミング・アップ 岩波文庫 32-254-10(2007年刊;原著は1938年)
補註: モームが生まれたのは1874年なので、この作品は彼が64歳の頃に書かれたもの。
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このお粗末な宇宙では、我々は揺籠から墓場まで悪に取り囲まれているのだが、善は挑戦でも答えでもなく、我々が独立した存在であるのを確認するのに役立つであろう。善は運命の悲劇的な愚劣さに対するユーモアの仕返しである。善は美と違い、完璧であっても退屈なものとはならない。また、美より勝っているのは、時間が経っても喜びが色褪せぬことだ。しかし善は正しい行為において示されるのであるが、この無意味な世界で何が正しい行為であるかは、いったい誰に言えようか。それは幸福を目指す行為ではない。もし幸福が得られたとしても、幸せな偶然である。よく知られているように、プラトンは賢者に、平穏な思索の生活を棄てて実務の喧噪のただ中に飛び込み、それによって義務を幸福より優先させるよう勧めた。我々も皆、その道がそのときも未来も自分に幸福をもたらさないとわかっているのに、正しいと信じられる道を選んだ経験があると思う。では、正しい行為とは何か。私としては、十七世紀スペインの修道僧ルイス・デ・レオンの答えが最上のものだと考える。この教えに従うことは、弱い人間が自分の力では無理だとして尻込みするほど困難だとは思えない。この言葉で本書を終える。曰く、人生の美はこれに尽きる、即ち、各人は自らの性質と仕事に応じて行動すべし、と。(モーム、同訳書、p356)
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補註: 肖像画はウィキペディア英語版から引用。描かれたのはルイス・デ・レオン師(補註:十六世紀の人。1527−1591)がなくなってからしばらく後のようだ(1599頃)。
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