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初夏 四月 清和 雨たちまち晴る

2016年6月16日 木曜日 曇り(のち雨の予報)

一海知義 漢詩一日一首 平凡社 1976年 p195-

補注 一海本では、今日からいよいよ初夏へ入る。先鋒は有名な司馬光の四月清和雨乍晴の七言絶句。

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客中初夏 (北宋)司馬光
四月清和雨乍晴,
南山當戶轉分明。
更無柳絮因風起,
惟有葵花向日傾。

四月 清和 雨乍(たちま)ち晴れ,
南山 戶に當たって 轉(うた)た分明なり。
更に柳絮(りゅうじょ)の風に因って起こる無く,
惟だ葵花(きか)の日に向かって傾くあるのみ。
(訓み下しは、一海さんより)

「清和」は、すがすがしくなごやかなこと。「転」は、ますます、いちだんと。「柳絮」は、まっ白い綿毛をつけて柳の種子、それが空いちめんに舞うのは、晩春から初夏にかけての風景である。「葵花」は、ひまわりの花。

雨あがり、南の山は玄関の真正面に、いちだんとくっきり姿を見せる。

漢詩を和訳するのは、むつかしい。解釈はできても、訳をつけるのは、なかなか困難である。コンパクトな漢語をシラブルの多い和語に移すときに生ずる違和感、また、日本語のぬけがたいリズムである七五調や五七調のもつなだらかな雰囲気と漢語あるいは訓読調のもつある緊迫感との落差、それらが壁になる。(一海、同書、p196より抄録)

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補注 今年もひまわりをいっぱい蒔いた。ただし、一か月も経とうかという今、せいぜい双葉から本葉2,3枚までといったところ。10cmほどにも届かない。だから、私の葵花は、司馬光のこの詩のようには初夏に間に合わないのである。せめて「盛夏」には間に合って欲しいのだが、6月になっても今日のように寒い日が続くとなると、あるかなしかの「晩夏」になってやっと咲いてくれるかどうかにずれ込むかもしれない。
 昨年は漸く9月になって咲いた。咲いたら、すかさずすぐに北風猛嵐がやってきてロシアひまわりたちをなぎ倒してしまった。今年はその反省からロシアひまわりはずっと早めに(5月中旬)蒔いた。また、ずんぐりと背が低ければ倒れにくいのではと考えて、矮性変異種の向日葵の種も入手して(1袋に入っているタネが少量なので)ポット苗を育てて定植している。向日葵たちにはしっかり根を張って、立ち続けて、できれば長く、夏を謳歌してもらいたい。今年はどんな夏になるだろうか。

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「孟夏」は、初夏、陰暦の四月である。夏三か月を、孟夏・仲夏・季夏とよぶ。(一海、同書、p199)

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