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縄文人のY染色体は50%程度以上は残っているのですから、DNAが変わった理由は水田稲作による淘汰圧の可能性もあるのではないでしょうか。

2024年2月2日 金曜日 午後は曇り・野外は極めて寒い

金澤正由樹 古代史サイエンス DNAとAIRから縄文人、邪馬台国、日本書紀、万世一系の謎に迫る 鳥影社 2022年

 ・・専門家の多くは、現代日本人は10〜20%しか縄文人のDNAを受け継いでないと言っていますが、それはヨーロッパでは農作により先住民が駆逐され、DNAが大幅に変化した例をそのまま当てはめているからと思われます。前述のように、縄文人のY染色体は50%程度以上は残っているのですから、DNAが変わった理由は水田稲作による淘汰圧の可能性もあるのではないでしょうか。日本は島国なので、そんなに外国からの移住が多いとは思えません。また、ヨーロッパでは、日本に比べて「比較的最近」の数千年前から民族大移動がありましたが、縄文時代は1万6千年前からとされます。つまり、日本はヨーロッパよりずっと古いのです。(金澤、同書、p108-109)

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 弥生時代の定義: 日本では水田稲作が始まった時代

 従来の定説では、弥生時代日本に稲作を伝えたのは、朝鮮半島(経由)の渡来人ということになっていました。この渡来人が持っていたとされるY染色体のDNAがO1b2というタイプで、中国か朝鮮半島由来とされていました。縄文人特有のY染色体はC1a1とD1a2aというタイプで、これが従来の定説である「二重構造説」です。しかし、研究が進むにつれ、この説では説明がつかない事実が増えてきているのです。(中略)

 さてO1b2の系統ですが、調べてみたところ、大部分が日本に住んでいることがわかりました。また、系統的には、日本のものが親で、朝鮮半島から発見されるものは、その子のタイプ(中略)である場合がほとんどです。(後述の図の◎)。種類についても、日本で発見されるタイプが多く、朝鮮半島は少ないのです。また、発生は約8000年前とされていますが、当時の朝鮮半島はほぼ無人でした。中国で発生した可能性もありますが、中国ではこのタイプは、水田稲作をしている地域を含め、ほとんど存在しません。これらの事実は、このタイプが日本発祥である可能性を強く示唆しています。

 そういうことですから、弥生時代の日本に稲作を伝えたのは、朝鮮半島のY染色体のDNAがO1b2である渡来人であるという説は、その根拠が大きく揺らいでいるのです。

 次は、Wikipediaの「ハプログループO1b2(Y染色体)」からの引用です。(補註:以下の引用に関しては2024年2月現在のものを使用)

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ハプログループO系統の分岐については2020年4月16日改訂のISOGGの系統樹(ver.15.58)による[54]。日本人における割合は佐藤ら(2014)[55]及び井上・佐藤(2023)[56]による。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%97O1b2_(Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93)

このO1b2系統の分岐の過程から推測すると、縄文人がほぼそのまま弥生人になったとしか考えようがないことがわかります。(金澤、同書、p97-100)

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