2024年2月22日 木曜日 吹雪(午後、雪は降り続き、高速道路は閉鎖されたのか、行き交う車は一台も見られない。)
ガルシン全集 全1巻 中村融訳 清娥書房 1973年
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レーピン筆(ウィキペディアより引用)
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・・「今は亡きガルシンのような人々を私(=チェーホフ)は全心をもって愛し、かかる人たちへの共感をこめて公に書くのを自分の義務と考えます。(中略)」さらに、チェーホフがその作(『発作』)の主人公ワシーリエフについて次のようにいっている言葉は、そのまま日頃から尊敬してやまなかったガルシンへの賛辞であったといわれている。 「才能にも、作家としてのもの、舞台人としてのもの、画家としてのものなどいろいろあるが、彼(=ワシーリエフ)のは一種独特の、人間としての才能だった。彼はひろく苦痛というものに対して繊細な、すばらしい感受性をもっているのだ」(中村融、同書、『ガルシンの生涯(略伝)』、p410)
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・・もう一週間もすれば、この世のもっとも貴重ないっさいを失わなければならないのだと考えると、涙がのどもとまでこみ上げてきて・・。
ついに別れの時がきた。明朝、未明にわれわれの部隊は列車で出発だ。最期の晩は自宅で過ごすことを許された。僕は今、自分の部屋にひとり、これが最後と、坐っているのだ! これが最後! こういう最後を経験しない人に、この二語の悲哀が完全に分かるだろうか。(中略)
汽車を見送るなんていうことはいっさいしてくれるなと頼んだ。長い送別はーーいらざる涙だ。というものの、すし詰めにされて車内にすわると、さすがに心をしめつけられるような孤独、哀愁を感じ、ただの数分間でもだれか近しいものと過ごせたら、この世のいっさいを捧げてもいとわないとすら思った。(中略) ・・もうだれにも会えないのだ。 だが、僕は会えた。リヴォフ兄妹がほとんど宙を駈けるようにして列車へ駈けつけてきた二人の姿に僕がどんなに喜んだか。何をいったか、何を聞いたかも覚えていない。ただ『クジマが死んだよ』というひと言だけが記憶に残っている。
手帖の文句はこの言葉で終わっている。・・・以下略・・・(ガルシン、『臆病者(オリジナルは、1879年3月「祖国時報」誌所載)』、同書、p82−83)

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