philosophy

普通の人間世界のあり方に対して怨念と毒をまき散らしつづけたこの落魄と敗残の貴族が、悩める「ひとりのあなた」のためになぞ語りかけてくれるはずがない。

2024年2月20日 火曜日 曇り

小浜逸郎 倫理の起源 ポット出版プラス 2019年

19歳のニーチェ、1864年

 ニーチェ思想は新たな価値創造をなしえなかった

 ・・だから、普通の人間世界のあり方に対して怨念と毒をまき散らしつづけたこの落魄と敗残の「貴族」が、現代日本の大衆社会を生きる、悩める「ひとりのあなた」のためになぞ語りかけてくれるはずがないのである。そこで私は、この種のニーチェ解釈がまかり通っている日本の哲学研究・哲学紹介とは、いったい何なのだ、とあえて問いかけたい。私たち普通の日本人に、この異様な思想家の内部にとぐろを巻いていたどす黒い情念に気安く共感を示すことなどできるはずがないのである。

 ニーチェの思想は、キリスト教文明という強烈な背景を抜きにしては、その性格をいささかも感知することができない。彼は、キリスト教をニヒリズムと規定したが、彼自身はニヒリズムの克服者であったのではなく、その事実の忠実な告知者、被害報告者であったにすぎない。それ以上のことを彼はなしえていない。(小浜、同書、p232-233)

 ・・彼にとっては、啓蒙的理性主義、科学的合理主義、道徳原理としての功利主義、民主主義、社会主義、自由平等主義など、すべてがキリスト教的ニヒリズムの延長であり、よって主観的には、すべてが敵であった。しかし敵を呪い敵と戦い敵を克服しようとする言葉を延々と吐き出し続けながら、かれが実際に(思想として)なしえたことは、これらすべてが畜群思想の産物であり、あるべき価値を抹殺するものだというひとつのきわめて興味深い反措定を提出したことだけである。(小浜、同書、p233)

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 ・・だから私はこんな時のニーチェに言ってやりたいーーおいおい君、何もそんなに意地を張ってエキセントリックにならなくてもいいじゃないか。八百屋のおばさんと話ができてよかったじゃないか。君もひとりの寂しい人間だね、君はふだんから字面の上では同情や共感の徳をあんなに否定していながら、その赤子のような人恋しげな目つきは何なのだ? と。(小浜、同書、p234)

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 補註: 「普通の人間世界のあり方」に対して常に地に足の着いた形で寄り添い、現代日本の大衆社会を生きる、悩める「ひとりのあなた」を、取りこぼすことの無いようにと深く考えて語りかけた思想家・小浜さん・・・。 最期にお合いしてからもうすぐ一年になろうとしています。

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