2026年2月16日 月曜日 雪
山本周五郎 山彦乙女 新潮文庫(オリジナルは昭和26年朝日新聞連載)
・・花世はこう云いながら、彼(半之助)のほうへ、そっと身を寄せた。化粧の香りが、あまく、しかし爽やかに、彼を包んだ。
彼には山々が、厳めしい死のようにも思え、また不滅の生であるようにも思えた。それは、現象のあらゆる秘密を知っていて、しかも黙って、滅びのときの来るのを、永遠に、辛抱強く待っているかのようにみえた。
「ーー五百年、千年のむかしにも、私たちがこうして眺めるように、誰かが、こんなふうに、あの山を眺めたかもしれない」
半之助がゆっくりと、囁くように云った。すると花世は、彼に、その柔らかい肩を、凭せかけながら、頷いた。(同書、p289)
・・・(中略)・・・
ーー慥かなのは、自分がいま生きている、ということだ、生きていて、ものを考えたり、悩んだり、苦しんだり、愛しあったりすることができる、ということだ。(同書、p290)
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補註: 甘利山の「頂上を西側へ、少しおりた、かなり広い、平らな、岩の大地の、疎らに生えた草の上に、並んで腰をおろし、甲斐駒の連峰の一部、特に法王山=鳳凰山の峰が抜きんでて見えている」・・そんな場面設定である。時刻は十七夜の真夜中。
ウェブによると・・鳳凰山(ほうおうざん)は、山梨県の南アルプス北東部にある地蔵岳、観音岳、薬師岳の総称(鳳凰三山)で、標高は最高峰の観音岳。花崗岩の白い砂地とオベリスク(地蔵岳の岩峰)が特徴の日本百名山。富士山や北岳、甲斐駒ヶ岳の絶景や、8月頃のタカネビランジなどの高山植物が楽しめ、夜叉神峠コースが初心者にも人気。

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・・江戸にいたときの、やりきれない倦怠や、よりどころのない空虚さや、孤独感などは、もう殆どおこらなくなった。

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これが意義のある生活、生き甲斐のある生活だ、とはいえないにしても、自分が解放され、自由になったこと、ここからなにかが始まる(少なくともそう思える)ということはできた。それはまだ慥かではない、これ以上はなにも始まらないかもしれない、やがて開放感もなくなって、再び倦怠や疲労感にとりつかれるかもしれない。だが、彼は、いまこう考えることができる。
ーー人間はいかに多くの経験をし、その経験を積みあげても、それで自分を肯定したり、満足することはできない。
ーー現在ある状態のなかで、自分の望ましい生きかたをし、そのなかに意義をみいだしてゆく、というほかに生きかたはない。
すでに、江戸のことははるかに遠かった。(同書、p280-281)
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補註: 韮崎市の七里岩の南のはずれに『山彦乙女』にちなむ山本周五郎の文学碑が立っている、とのこと(巻末解説より)
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