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狂おしいばかりの域に達した≪屈辱を受け現実離れした女≫の誇り

2019年12月6日 金曜日 晴れ  

ドストエフスキー 白痴1 亀山郁夫訳 2015年(原書は1868年)

≪屈辱を受け、現実離れした女≫の誇り


・・・・たとえこちらがプロポーズしたところで相手はそれを撥ねつけるにちがいないと、にわかに確信するにいたったことである。長いこと彼(=トーツキー)は、その理由がつかめずにいた。彼にとって可能と思える解釈は、ひとつしかなかった。つまりこの≪屈辱を受け、現実離れした女≫の誇りは、すでに狂おしいばかりの域に達している。そのため、彼女にとっては、半永久的におのれの地位を確立し、人のおよばない栄華を勝ちえるよりも、あえてこれを拒絶することで、おのれの侮蔑の念を一気に吐きだすほうが楽だという気持ちになったと、そのような解釈である。(亀山訳、同書、p108)

・・彼女の胸には、まるで心臓ではなく石ころでも入っていて、感情の泉は涸れ、永久に死滅してしまったかのようなぐあいだった。彼女は、どちらかというとひとりで過ごすことが多く、読書をしたり、あれこれ勉強もしたり、音楽を楽しんだりしていた。(亀山訳、同、p108-109)


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https://quercus-mikasa.com/archives/9407 (クラムスコイに関しての紹介記事)


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「・・見あげた完璧ぶりじゃないの! だってたしかに、百万ルーブルと公爵の爵位を蹴ったと自慢したいために、わけのわからない巣窟に身を沈めるっていうんだもの、そう、こんなので、どうしてあなたの奥さんになんかなれるもんですか。トーツキーさん、わたしね、百万ルーブルのお金をほんとうに窓の外に投げ捨てたわ。・・」(亀山訳、同書、p424)

・・プチーツィンが言った。「侮辱を受けた者が、侮辱した相手のところに出かけていって、『貴公はは拙者を侮辱した、その腹いせに拙者は貴公の目前にて腹を切る』とか言うんだそうですよ。で、そう言い訳しながら、じっさいに相手の前で腹を切ってみせるんですが、それでじっさいに仇討ちができたような気になり、たいそうな満足感を覚えるらしいんです。・・」(亀山訳、同書、p438)

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