2025年12月28日 日曜日 晴れ
ガッサーン・ガナファーニー ハイファに戻って/太陽の男たち 河出文庫(黒田寿郎/奴田原睦明・訳;原作は1972〜73年発刊の遺稿集より;「太陽の男たち」1963年刊など;日本語訳は1978年刊。文庫版本書は2017年刊)
ガッサーン・ガナファーニーは1936−1972。パレスチナ生まれ。1948年、難民となる。
・・「この嘘つきめ、おまえは母さんと暮らしているんだな、違うのか、え? この嘘つきめ!」
「違うんだ! 先生、違うんだ! 母さんは死んじまったんだ。だけどおれにはそう言えないんだ。母さんが死んだとき、父さんが、俺たち皆に、母さんが死んだってこと言うなって言ったんだ、黙ってるんだぞって」(中略)・・「父さんは、墓に埋める金がなかったんだよ。それで、役所がこわくて・・」
ぼくの腕はだらりと脇に垂れていた。ぼくはこのいたいけない子どもが今日までずっと脅えてきた、理不尽な恐れを手にとるように感じた。しかし同時にぼくは欺かれるのを怖れて、先ほどより調子は柔らいでいたけれど、再び大声をあげた。 「おまえの父さんは、どうなんだ! 先生には死んだと言ったな、え、違うか?」(ガナファーニー、「路傍の菓子パン」、同書、p139)
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・・サイード・Sと彼の妻とが英軍の小船に押し込まれてハイファを去り、一時間後銀色に輝くアッカ(アコー)の海岸に放り出されたのは、1948年4月21日水曜日の夜だった。そしてハガナ(イスラエル自衛軍)に属する一人の男と雌鶏に似た顔つきの年老いた男とがポーランドから来たアフラート・コーシンとその妻にハリーサにあるサイード・Sの家の戸を開放し、その日以来、ハイファの不在者所有物管理局からの貸家として、この夫婦に入居を許したのは1948年4月29日木曜日であった。このわずか数日のあいだに何が起こったのだろう。(ガナファーニー、『ハイファに戻って』、同書、p221)
・・咎は20年前にさかのぼるんだ。代償は支払われねばならない。彼をここに置ざりにした日に、咎は始まったのだ」 「でも、私達は彼を置きざりにはしなかったのよ。あなたも知っているでしょう」 「そうだ。確かにそうだ。われわれはいかなるものも、おきざりにしてはいけなかったのだ。ハルドゥンも、家も、ハイファも。私がハイファの通りで車を走らせている時に、私を襲ったあのゾッとするような感情はおまえを襲わなかったのかい。以下略・・」(同、『ハイファに戻って』p233)
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ハイファの画像はウィキペディアより引用
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・・ヤーファが占領された時、町はまるで空っぽのようでした。私が釈放されて出てきた後、私は自分が包囲されているように感じました。私はここで一人のアラブ人も見かけませんでした。私一人が敵でひしめく海の中の小さな孤島のようでした。あの苦しさはあなたが味わわなかったものです。しかし私はその苦しみを生きてきました。あの写真(補註:1948年4月6日に戦死したバドル氏の遺影)を見た時、私はその中に慰めを見出しました。その写真は私に話しかけ私達は互いに語り合いました。われわれの生涯において最も素晴らしく、大切にすべきものを思い起こさせてくれる同胞を私は見つけたのです。その時、この家を借りようと決めました。その時ーー今も全く同じですがーー私は、人間にとって、武器をとり、祖国のために死ねる同胞を持つということはかけがえのない値打ちのあることだと思ったのです。 それは戦った人達への一種の忠誠なのかもしれません。私は、もしその写真を置きざりにしたら、自分に対して許せない裏切りを犯すことになると思いました。それは私が町を去ることを拒否するように力づけてくれたばかりでなく、この家に残るようにとも力づけてくれたのです。そのような訳で、写真はずっとここにあるのです。私達の生活の一部となっているのです。私と、妻のラムヤーと、息子のバドル、息子のサアド、そしてあなたの兄さんのバドルとは一つの家族です。私達は20年のあいだ共に生きてきました。それが私達にとって大切な事なのです」(同、『ハイファに戻って』p239-40)
・・あなた方が彼(=戦死した兄、バドル)を取り戻したいのなら、家を取り戻し、ヤーファをも取り戻さなければいけないのです。写真を取り戻してもあなた方の問題は解決しません。しかしあの写真は、あなた方から私達への懸け橋であり、私達からあなた方への懸け橋なのです。」(同、p241)
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「・・祖国というのはね、このようなすべてのことが起こってはけないところのことなのだよ。」(中略)「・・私はただ探し求めているだけだよ。私は真のパレスチナを探しているのだよ。・・・・(中略)・・・・パレスチナは彼(補註:サイード・Sの二人目の息子ハーリド)にとって人間が武器を取り、そのために死ぬ価値のあるものなのだ。(同、p258)
・・祖国とは過去のみだとみなした時、私達は過ちを犯したのだ。ハーリドにとって祖国とは未来なのだ。そこに相違があり、それでハーリドは武器を取ろうとしたのだ。・・彼らはただ未来を見つめているのだ。だから彼らはわれわれの誤りと全世界の誤りとを正すことができるんだ。ドウフ(補註:サイード・Sの最初の息子ハルドゥンのユダヤ名)はわれわれの内なる恥辱だ。しかしハーリドはまだわれわれに残されている誇りなのだ。・・(以下、略)」(p258)

補註:ヤーファは、ウィキペディアより引用: 4000年以上前の古代都市からの歴史を有するという、イスラエルに所在する地中海に面した港町。現在イスラエルのテルアビブに併合された市街地はテルアビブ中心部からみて南部に位置する。とのこと。
補註 ラーマッラー: ウィキペディアより引用: ラマッラーは、パレスチナ自治区ヨルダン川西岸地区中部に位置する都市である。エルサレムの北10キロメートルに位置する。パレスチナ国の事実上の首都でもある。人口は42,100人。パレスチナ自治政府は独立後の首都をエルサレム(東エルサレム)と主張しているが、エルサレムはイスラエルの実効支配下にあるため、事実上の最高統治機関であるファタハ系の議長府、国会に当たる立法評議会、司法府の最高裁判所の三権の他に首相府を除く副大統領官邸や行政機関、治安維持組織パレスチナ国家治安部隊、各国の大使館はラマッラーに置かれている。
「ラーマッラー」は「至高の神」を意味するアラム語をアラビア語に投影したもので、日本では「ラマッラー」「ラマラ」「ラマッラ」とも表記される。報道機関では「ラマラ」と表記されることが多い。また、ヤーセル・アラファートは、エルサレムへの埋葬を希望していたがラマッラーにおいて埋葬され、墓もラマッラーにある。<以上、ウィキペディアより引用終わり>

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