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戸籍というと律令制にもとづいた領域編制による截然とした個別人身支配のイメージが強いが、令制前は人間の集団が把握の対象である。

2026年1月14日 水曜日 曇り

関根淳 六国史以前 日本書紀への道のり 吉川弘文館 2020年(令和2年)

 ・・戸籍というと律令制にもとづいた領域編制による截然とした個別人身支配のイメージが強いが、令制前は人間の集団が把握の対象である。「戸(こ・へ)」は、「部(べ)」に通じる語彙で〜部という氏族集団につながる。

 その集団のジョイントとなっていたのが氏族系譜とこれにふくまれる伝承である。戸籍における「戸(こ)」の源流は渡来人の集団であり、このことからも戸籍と氏族系譜の関係性はうかがえる。また、初の全国的戸籍である庚午年籍(六七〇年)は五〇戸という地域による編制と氏族ごとの戸籍という二つの基準で作成されており、このような戸籍と氏族との関係性は七世紀後半にまで下る。(関根、同書、p96)

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 国記:

 ・・そのような兵士の差発を担ったのは各地の国造であった。では、前代とはことなる桁違いの徴兵を可能にしたシステムは何であったのか。・・三度にわたる朝鮮半島への出兵計画は崇峻朝から推古朝にかけての連続した対外政策であるが、同時期にはそれに耐えうる氏族系譜が各地で整えられていたことになる。国記はこれを中央で集約する氏族系譜の台帳として作成されたのである。(関根、同書、p103)

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