2017年4月2日 日曜日 晴れ
文学歴史の語彙メモ: (主に19世紀の)英仏の文学と歴史を理解するためのお金の単位
ペニー イギリスのお金の単位は、ポンドを基本としているが、その補助として、ペニーが使われる。1ペニーは百分の1ポンド。この頃(スティーブンソン「宝島」の頃)、4ペニー銀貨があった。
クラウン銀貨 1クラウンは5シリング。1シリングが1ポンドの20分の1。現在では、使われていない。
ギニー金貨 アフリカのギニアから輸入された金を使ってつくられたイギリスの金貨。20シリング、または21シリングにあたる。現在では、使われていない。
8の字銀貨 スペインの古い銀貨。表に「8R」と刻まれていることから、こうよばれた。(金原訳・宝島・訳注、p372-より)
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2017年4月3日 月曜日 晴れ
W.S. Maugham, Ten Novels and Their Authors, Vintage, 2001 (first published in Great Britain by William Heinemann in 1954)
Fifty thousand francs was two thousand pounds, but two thousand pounds then (補註~1830) was worth far, far more than it is worth now (補註~1954). (ibid., p117)
補註 バルザックが出版業で破産して、母親から50000フランを立て替えてもらったのが1830年頃である。当時、1ポンドが25フラン。
上記引用部分に続けて、モームはバルザックの「ゴリオ爺さん」の記載を引用しながら、当時の5万フランの価値を推定している。田舎の紳士階級(gentry)ラスティニャック一家6人が一年に3000フランの予算で(かつかつだが)生活できている。学生ラスティニャックは、ヴォケール婦人の下宿で、賄い付きで月に45フランを支払っている(1819~21年)。外に住んで、食事だけだと月30フラン。1950年現在であればおそらく月3万5千フランはかかるはず、とモームは言う(同書、p117)。
補註者は、ここのモームの記載はやや飛躍があると思う。 Board and lodging to-day in an establishment of the same class as Madame Vauquer’s would cost at least thirty-five thousand franc a month. ibid, p117 となっているが、バルザックの「ゴリオ爺さん」の記載では、ヴォケール婦人の下宿は、オーウェル流の表現を借りれば、中流でもやや下、 upper lower middle class あるいはせいぜい lower middle middle class ではないかと思われるように描かれている。よって、モーム1950年頃のフランが相当安くなっているとしても、3万5千フランまではしないのではなかろうか。1フラン30円としても100万円もすることになるのは、補註者の金銭感覚と合致しない。以下に私なりに試算してみたい:
バルザックの「ゴリオ爺さん」のラスティニャック一家6人が一年に3000フランの予算、これをたとえば現代の日本の900~1200万円ぐらいの所得と考えてみる。すると1820年の1フランは、現在の3000~4000円となる。月30フランのフランス料理の賄いは、月額9~12万円。
スタンダール「パルムの僧院」のファブリックがワーテルローの戦場で馬を取引するときに20フラン程度を考えている。1815年の20フランは、上記の換算では、現在日本の6~8万円となるが、ドサクサ紛れの戦場での金銭感覚としては大きくは外れていないと思う。
仮に1820年の1フランを3000円とすると、1ポンドは3000x25=7.5万円。イギリスの住み込み女家庭教師の年収40ポンドは、7.5x40=300万円、これも現代日本の労働者の年収を勘案すると感覚的にははずれていない。
すると、バルザックがお母さんに払ってもらった5万フランは、3000x5万=1億5000万円ということになる。ここに至ると、やや私の金銭感覚とギャップが生じる。息子の借金の肩代わりに1.5億のお金をキャッシュで払えるブルジョア母さんが今の日本にどれだけいるだろうか。ただ、当時は累進課税の所得税住民税がなかったかもしれず、新興のブルジョアが今の億単位(当時の万フラン単位)のお金を所有することは、比較的敷居が低かったのかもしれない。この金銭感覚のギャップが、当時のパリやロンドンで貧富の格差が巨大であったことを明示しているのであろう。
当時の英仏という国家たちはいわゆる「三角貿易」で巨万の富を築きつつあり、金利収入感覚として、安定した年利4~5%のラインが常識的に意識され、話されているようだ。当時のイギリスは、そしてそれに追随してフランスも、世界から富を吸い上げつつ、巨視(マクロ)的には長期安定「高度成長期」にあった。国内国外に多くの貧困や犠牲を伴いつつも、良きにつけ悪しきにつけ金銭的に豊かな文明を開発享受し、新興市民たちが活き活きと活躍して文化を築いていた時期に当たるのであろう。
補註 2017年4月5日 追記
バルザック「人間喜劇」セレクションの別巻1ハンドブックによると、バルザック当時の1フランは、20世紀末の22フラン、すなわち日本円で500円ほどに相当するだろう、とのこと。これで換算し直してみると、
1820年の1フランは、現在の500円と仮定する。ラスティニャック一家6人が一年に3000フランの予算、これは、現代の日本の150万円ぐらいの所得。
月30フランのフランス料理の賄いは、月額1.5万円。
スタンダールのファブリックがワーテルローの戦場で馬を取引するときに20フラン程度を考えている。1815年の20フランは、上記の換算では、現在日本の1万円となるが、ドサクサ紛れの戦場での金銭感覚としてもとても安い。
1フランを500円とすると、1ポンドは500x25=1.25万円。イギリスの住み込み女家庭教師の年収40ポンドは、1.25x40=50万円、これも現代日本の労働者の年収を勘案すると非常に安い。
フローベールのボヴァリー医師の骨折(単純な整復のみ、複数の長距離往診出張付き)治療謝礼が75フランであり、1フランを500円とすると、500x75=37,500円、この辺りになると今の日本とほぼ同じような価値感覚か、・・保険制度が発達している日本にあって、医療費はやや割高感があるが、3割負担なので払えているというような状況かも知れない。
そして、バルザックがお母さんに払ってもらった5万フランは、500x5万=2500万円ということになる。これは私たちの金銭感覚にすんなりと受け入れられる。
というわけで、1フランを500円とする換算表では、当時のフランスでは(今の日本に比べて)、安いものは不当に安く、高いものはまあ妥当な値段に見える。
今までの2回の議論を綜合して、感覚的に把握すると:
1820年当時、庶民の暮らしに要するお金は今に比べて、かなり安価に感じられる。もちろん労賃や賃金も非常に安い。ところが、同じ線型スケールでお金持ちのお金の使い様を見ると、極めて破格の値段になる。つまり、お金持ちはべらぼうに金持ちなのである。
お金の尺度として、現在の感覚スケールに合わせるときは、数フランの尺度のときには1フラン3000~4000円を、数千から数万フラン以上の尺度のときは1フラン500円ぐらいで捉えると、現在の日本人の物価の尺度感覚に合ってくる。
もちろん、お金の計算は線型で行われるものであるから、上記の二重基準の尺度には根本的な無理がある。すなわち、現在日本では、庶民の生活の底上げがなされて、比較的に平準化し、貧富の差が(19世紀初頭のパリに比べて)少ないために、単純な線型変換が感覚的に成り立たないのである。
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2017年4月7日 金曜日 曇り
バルザック ニュシンゲン銀行 「人間喜劇」セレクション 第7巻 金融小説名篇集 吉田典子・宮下志朗訳 藤原書店 1999年 (「ニュシンゲン銀行」は1837年)
19世紀の換算レート
1フラン=現在のレートに換算すると約千円
1スー(=二十分の一フラン)=約50円
1三チーム(=百分の一フラン)=約10円
1エキュ=3フラン=約3000円
1ルイ=20フラン=約2万円
1リーヴル=1フラン(リーヴルは年金や公債によく用いる)(吉田典子・宮下志朗訳、上記巻末の参考資料、p469)
補註 上記の換算レート(1フラン1000円)は、4月3日の私見による試算(1フラン3000円)と、4月5日に引用した換算レート(1フラン500円)と、この両者の中間である。これはまさに妥当な、中産階級のための換算レートとして採用できるものと思う。
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