2024年3月16日 土曜日 晴れ
2024年3月17日 日曜日 ぼた雪かなり激しく降る
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小浜逸郎 頭はよくならない 洋泉社 2003年
小浜逸郎 やっぱりバカが増えている 洋泉社 2003年
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・・二十九年前(補註#)の七月の日盛り、私は、幻覚と妄想に悩まされ続ける母を伴って、鵠沼(くげぬま)の小さな精神病院を訪れた。(中略)・・診察室に連れ戻された母は、なす術もなく入口にたたずんでいる私をにらみ、「一生、恨んでやるからね」と言った。こみあげてくる嗚咽を私はおさえることができなかった。(中略) ・・五年前(補註##)の暮れも押しつまる頃、母は、別の精神病院で、八十七年の生涯を寂しく閉じた。そのあいだずっと入院していたわけではなく、鵠沼の病院を程なく退院してから、寛解と呼ばれる状態で十数年の娑婆暮らしをはさんでいる。・・・以下略・・・(小浜、『やっぱりバカが増えている』p150-151)
・・母の狂気の発現は、自分の半生は何だったのかという身悶えするような問いであり、これからの自分はだれを頼りに生きていくのかという迫りくる孤独の予感の激しい表現だった。そしてそれは、私たち子どもの、母親からの訣別と正確に重なっていたのだ。(小浜、『やっぱりバカが増えている』p150-153)
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この人を見よ・・
自分で自分を診断すると・・
・・要するに私は、実力に見合わず知的プライドが高く、孤立的で、ナルシズム的な傾向が強いので、(中略) なんでも自己流でやってしまおうとするところがあります。(小浜、『頭はよくならない』p123)
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・・しかし、問題はあちらの先端言語をすばやく消化して、むずかしいことを言ったり突飛な和え物を作って見せたりすれば、それが何か精神的権威をもつと無意識に考えてしまう、そしてきちんとした試練を経ずに商売が成り立ってしまうという、わが「知的世界」の悲しき文化風土にあります。
もういいかげんにこういうことは卒業して、わかりやすい手作りの思想を日本語で編もうではありませんか。それこそが普遍に通じる唯一の道なのです。(小浜、『頭はよくならない』p197)
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・・作家の価値は、あくまで小説作品という、一人ひとりの実存を描き出す独自の様式を通して、読者に人間的共感を呼び起こすところにあります。そのことは、作家があまりに自己反省的にならない部分、無意識に蓄えている力の部分に依存しています。政治的、社会的問題、言い換えるなら、一人ひとりの実存を離れたところでの一般的問題に関して、それほど立派な発言をしなくてはならない責任など、作家は負っていないのです。(小浜、『頭はよくならない』p199)
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・・文学というのは、政治社会や市民社会で通用する、公的な言語だけではどうしても生きにくさを感じてしまう人のためにあります。文学者とは、法的な正しさ、倫理的な義、世間の表通りをまかり通る常識、そうしたものだけでは人間を割り切ることができないと人々が潜在的に感じている、その部分に深く垂鉛(すいえん)をおろして言葉の回路を与える役割をもった人のことです。(小浜、『頭はよくならない』p212)
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・・しかし、彼女は実際の教師でも社会学者でもないのだから、そのことはまだ大目に見てもよい。許し難いのは、人間の魂の不気味さ、奥深さ、不条理さを凝視する文学的なまなざしがまったく欠落していることです。
・・・(中略)・・・
・・自分自身を含むこの世界への残虐な攻撃性、悪魔性。世界への憎悪。これは、シェイクスピアやボードレールやドストエフスキーをはじめとして、多くの文学者が取り上げているところです。
人間は神的なものと悪魔的なものとの混合物です。その振幅は、人それぞれですが、なかには極端に大きな振幅を宿命のように抱えてしまう人がいる。そしてまたそのごく一部の人は、それをどうしようもなく行動で表現してしまう。これは、教育的配慮をしたかしないかなどでどうにもなるものではありません。
(中略)
・・人間の孤独は、深く、不気味で、厄介なものです。(補註#)(小浜、『頭はよくならない』p216-217)
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補註# https://quercus-mikasa.com/archives/13865 では、コンラッド『闇の奥』に関してコメントを追記しました。ご参照ください。
令和6年3月11日・松山にて(伊丹十三記念館の脇に流れる川の土手の菜の花)
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補註: 鵠沼・・ウェブ辞書によると・・鵠沼(くげぬま)は、神奈川県藤沢市の南部中央にある地域の地区名。1908年(明治41年)、高座郡藤沢大坂町・明治村と合併する前の旧鵠沼村の村域とほぼ重なる。 鵠という字は. 【くぐい】 と読みます。 訓読みは「くぐい」「まと」. 音読みは「コク」「ゴク」「カク」「コウ」「ゴウ」
補註# この本が書かれた2003年の二十九年前なので、1974年(昭和49年)のこと。小浜さんの生まれたのは1947年なので、1974年は小浜さんが27歳頃のこと。この2年前には結婚して一家を構えていらっしゃった(同書、p151)。なので、小浜さんは1972年の25歳頃には結婚なさっていたとのこと。
補註## この本が書かれた2003年のことなので、お母さまが亡くなられたのは、1998年頃。
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