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「成熟先進国型」の農業で成長産業を目指せばよいか?

2020年3月5日 木曜日 雪

大泉一貫(かずぬき) 希望の日本農業論 NHKブックス1219 2014年

補註: 私が珍しくも読んだ農業政策本。なんとか通読し、さらに「第3章・成熟先進国型の農業で成長産業を目指せ」の章は再読してみた。が、実は、筆者が何を目指しているのか、私にはよく理解できなかった。

たとえば、同書61ページの表3-1。国民1人あたり産出額のところ、単位がUS万ドルとなっているが、これはUSドルの間違い。それはいいとして、日本の数字を見てみると、2007年度で、560ドル、つまり年間約6万円である。この表を上から下まで15カ国を比較してみても、上からオーストラリア、オランダ、フランス、イタリアの4カ国は、輸出の重みが大きいのであろう(1,100〜700ドル/国民一人)。これら4カ国より少ない額の11カ国は、輸出大国であるアメリカを含めて、ほぼ似たような数字である。考えてみると、一人一人の1年間に食べる食料の量に大きな差がないことから、国別に多少の物価の差があるにせよ、(上から15カ国だけ取ったなら)国民1人あたりの消費が似たような金額になっているのは、恐らく当たり前である。アメリカは農産物輸出大国でありながら、国民1人あたりの産出額が日本とほぼ似たような数字になっているのは、このような統計で数字を出すことが如何に難しいか、往々にして辻褄合わせだけの恣意的数字になりやすいことを示しているように思う。

農産物の輸出について:

国防という視点からも、あるいは国際社会での責任を考える上でも、農産物に関しては、食料の一国内での自給を各国がそれぞれ目指していくことが基本であろう。食料を過剰に生産して、余剰分を他国に輸出したり、低価格ないし無償で他国に送りこむこと(いわゆるダンピングとか有償ないし無償経済援助とか)は、輸入国側の自給的農業を叩き潰すことにつながり、いわゆる「失業の輸出」という形になる。

上にも述べたように、一人一人の1年間に食べる食料には人によってあるいは国によっても大きな差がない。よって、緩やかな人口の増減に応じて多少の増減はあったとしても、農業生産量は、安定した状況であることが望ましく、またそれが当たり前な目標であるべきだ。農業を成長産業としてぐんぐん育てよう、付加価値の高いものとして農業売上高を高めよう、という本書著者・大泉一貫氏の発想には、相当の無理がある。基本的には一国内で食べるものは一国内で生産して消費する、つまり国内完結することを理想とする。どれだけの備蓄をどのように工夫して賢く行うか、来たるべき変動の時節までにどのような備えをしていくべきか、これがより本質的な課題である。科学的理知的に国民全体で取り組んで行くべきものだ。

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さて、以上を原則・理想としつつも、では、現実は? 

日本の食糧自給率は40%を切っている現状である。国際的グローバリズムの大号令のもと、日本国内の各産業は、むろん農業を含めて非常に厳しい国際競争圧力にさらされている。だから国際的にも日本の農政(国際政治戦略のかけひき)が大切であることには議論の余地はない。また、農業者や国民の一人一人が、現状の為政者に任せきって、厳しい現状に背を向けているだけでよし、としていられるわけではないだろう。ならば、どうする? 

残念ながら、今の私には大局からの理解や見解を述べる見識はない。

が、一農業者(ブドウ農家)の私としては、この春からも自分が責任をもっている小さな畑で精一杯働こう。何年か育ててきた葡萄を今年も大切に世話して、秋に良い完熟果実を収穫したい。そして友だちや地域の人に喜んでいただけるような美味しいワインに醸したい。書けば平凡だけど、私の現実からは少し背伸びした目標である。

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手前の谷を越えて向こうの丘の斜面が私たちの畑です。2018年秋の撮影。

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