2016年12月13日 火曜日 雪のち曇り
陳舜臣 「聊斎志異考 中国の妖怪談義」ものがたり水滸伝 陳舜臣中国ライブラリー16 集英社 2000年(オリジナルは初出誌は「小説中央公論」1993年1月号から1994年1月号、初刊本は「聊斎志異考 中国の妖怪談義」中央公論社 1994年)
伝奇書が狐狸、妖異、鬼仙のたぐいを登場させることについて、人間世界のさまざまな束縛から自由である存在をつくり、それによって、人間の本来あるべきすがたを追究しようとしたという説がある。
だが、この青鳳の物語を読むと、狐世界にも家の掟があり、かなりきびしいようだ。むしろ妖異の世界といえども、人間世界のコピーにほかならないという考え方のほうが濃厚なようにおもえる。
・・・(中略)・・・
日本でも狐は稲荷の使者として信仰の対象となっている。・・狐がウサギやネズミのような農作物を荒らす動物をつかまえる益獣であることが理由であろう。
聊斎志異には狐の話が多い。たいてい美女に化ける。・・・(中略)・・・
日本でも陰陽師の安倍晴明(921-1005年)は、信太森(しんだのもり)に住む白狐の生んだ子という伝承がある。
狐が美女というよい役割を与えられるのは、やはり益獣、農耕神という善玉印象のせいであろう。古来、狐に三徳ありといわれている。第一に色がほどよいこと、第二に形がよいことである。「狐」という字は、「瓜」形であることをあらわすが、口がとがって尾が太く、安定感がある。第三の徳とは、狐は恩義を知るとされている。(補註a参照)
礼記(らいき)檀弓(だんぐう)篇につぎの文がある。
ーーー古(いにしえ)の人 言(げん)有りて曰う、狐死すれば正に丘首(きゅうしゅ)す。仁なり。・・
丘首とはもと住んでいた丘のほうに首をむけて死ぬことであり、本初(ほんしょ)を忘れない喩(たとえ)とされている。
狐は妖獣であり、霊獣であり、そして仁獣なのだ。(陳舜臣、同書、p492-493)
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補註 (2016年12月17日・追記) 吉野裕子 狐 吉野裕子全集第4巻 人文書院 2007年 (オリジナルは1980年・法政大学出版局)より:
中国において妖獣としての狐は、どちらかといえば女に化(な)る場合の方が多い。・・何故かといえば狐は元来、土気であると同時に北方の陰獣であって、陰陽で分ければ「陰」の気のものである。そこで狐はたとえオスであっても女に化して人間の男を誑(たぶら)かし、男性の精気、つまり「陽」の気をとって、自ら完璧のものになろうとする。 ここにも中国の陰陽思想がよく現れている。(吉野、同書、p257)
補註a (2016年12月17日・追記) 「狐、三徳あり」云々のオリジナルは、許慎の説文解字にあるとのこと。(吉野、同書、p267参照)
故郷の丘を忘れないという狐のこの徳は、よほど、中国の人々の好みに適っているらしく、諸書に取り上げられている。・・白虎通、楚辞、淮南子、礼記・檀弓篇。(吉野、同書、p268-269)「その本を忘れない」という狐は仁義の持主として、高くその徳を評価されていたのである。(同、p270)
后土、北斗七星、はともに農耕に深い関係をもつ神々であって、狐はその色と形から地上におけるこれらの神々の象徴・依代として社に祀られることになったと思われる。 いずれにせよ、狐は黄色いゆえに尊いとされる考えは、要するに中国人のもので、陰陽五行思想に発していることである。(吉野、同書、p275)
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