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官にあるは易く、吏になるは難し

2016年12月13日 火曜日 雪(積雪すでに60cm)

陳舜臣 ものがたり水滸伝 陳舜臣中国ライブラリー16 集英社 2000年(オリジナルは初出誌は「週刊朝日」1974年1月4日から11月1日号、初刊本は「水滸伝」上・下 朝日新聞社 1975年 、文庫版は「ものがたり水滸伝」と改題)

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酒にうらみが
この時代の酒は、それほどアルコール度は強くない。甘さのほかに、適当な酸味もあったので、夏の清涼飲料にもなったのである。  「いいだろう」 楊志はうなずいた。  (陳舜臣、同書、p337)

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宋江は・・親不孝の理由で親から義絶されているのは、いったいどういうわけであろう?
 ーーー官(かん)にあるは易く、吏(り)になるのは難しい。 
 宋代には右のような諺(ことわざ)があった。
 ひとくちに官吏というが、「官」とは高等文官試験に合格したエリート官僚のことで、宋江などのような県の役場の書記ていどの役人は「吏」といわれた。
 宋代の賞罰は、上に寛大で、下にきびしい。
 ちょっとした失策では、高官はめったに罰をうけない。そのかわり下級の役人は、些細なことで流罪や懲役になる。財産没収、死刑ということもすくなくない。封建時代の刑罰だから、罪は家族に及ぶ。
 それの対応策として、「吏」になると、父母兄弟と義絶しておく方法がとられた。そうすれば、家族に累をおよぼさないし、家財も一応安全である。
 宋江も押司(書記)になったとき、そのような脱籍の手続をしていた。絶縁には理由が必要だが、「親不孝」がいちばん面倒がない。だから、親孝行で評判者の宋江が、不孝者ということになっていたのだ。(陳舜臣、同書、p351)

 政治のみだれた時代の人民は用心深い。
 吏になれば親兄弟と義絶するのとおなじで、地下室ぐらいは用意するのがふつうなのだ。(同、p351-2)

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