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五世紀の終わりから六世紀にかけての各地大貴族の姿は、このように、豪華絢爛たる馬上の大将軍といった風情だ。これは、五世紀中頃までの大英雄が質実剛健な歩兵戦士のいでたちで、その点で有力農民の戦士と同じ姿だったのと好対照的だ。

2024年3月5日 火曜日 晴れ(霞曇)

松木武彦 人はなぜ戦うのか 考古学からみた戦争 講談社選書メチエ213 2001年

英雄から貴族へ

 ・・朝鮮の『三国史記』をみると、西暦500年を最後として、倭人や倭兵が侵攻してきたという記事はなくなっている。その一方、『日本書紀』には、引き続いて朝鮮半島に軍事力を向かわせた記事が続く。  山尾幸久氏は、これを「対外関係の一元集中化の志向」とみる。つまり、五世紀のうちは、倭人たちはかなり自由に朝鮮半島での活動をくり広げていたが、六世紀になると、その活動が倭王権に規制されるようになった、というのだ。(松木、同書、p165)

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馬上の貴族、薄れゆく連帯感

 ・・五世紀の終わりから六世紀にかけての各地大貴族の姿は、このように、豪華絢爛たる馬上の大将軍といった風情だ。これは、五世紀中頃までの大英雄が質実剛健な歩兵戦士のいでたちで、その点で有力農民の戦士と同じ姿だったのと好対照的だ。(松木、同書、p167)

 ・・馬上の貴族が徒歩の民衆を見下ろすという構図自体が、かれらと民衆とのあいだの関係をシンボリックに表している。馬上にあるということは優越の象徴であり、支配の絵画的表現とも言える。(中略)日本列島貴族社会への騎馬の導入は、戦術上の実際的側面よりも、こうした意味的・象徴的な側面のほうが、むしろ強かったと考えられる。(松木、同書、p168)

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