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神とは、一民族の始まりから終わりまでを代表する、民族全体の総合的な人格なのだ。

2024年3月23日 土曜日 晴れ ガンやハクチョウのV字編隊を空に見つける(今シーズン初。シベリアに発つ前にこの地域にしばし停泊するのである。雪解け間近)

Fyodor Dostoyevsky in 1876.

ドストエフスキー 悪霊 亀山郁夫訳 光文社古典新訳文庫 2011年

 ・・「どんな民族も、・・かつて科学と理性の原理の上にうち立てられたことはない。愚劣さゆえにうまれた、ごく一時的な場合をのぞいて、そういう例はいちどもなかった。(中略)・・諸民族は、命令的かつ支配的な別の力によって組織され、動かされている。といっても、この力のよってきたるところは不明であり、説明しがたいものである。(中略)・・それはわたしがごくごく簡単に、≪神の探究≫と呼ぶところのものである。すべての民族運動の目的とは、どの民族においても、その民族の存在のどのような時期にあっても、ひとえに神の探究でしかない、みずからの神、かならずやみずからの神の探究であり、唯一真実のものとしての神の信仰でしかない。神とは、一民族の始まりから終わりまでを代表する、民族全体の総合的な人格なのだ。・・それぞれの民族はつねに独自の神をいただいてきた。神々が共通なものとなりはじめるのは、それぞれの民族性の滅亡の徴(しるし)である。神々が共通のものになるとき、神々は死に、神々への信仰もみずからの民族とともに死んでいく。民族が強くなればなるほど、その神はより独自のものとなる。(以下、略)(ドストエフスキー 悪霊2、亀山訳 p115-116)

 ・・あなたが善と悪の判断を見失ったのは、自分の民族を理解することをやめてしまったからです。新しい世代が生まれようとしているんです、民族の心からストレートに。(中略) ・・いいですか、労働によって神を手に入れてください、すべての本質がそこにあるんです、なければ、消えてしまいます、あさましいカビ同然にね。労働によって手に入れてください。(中略)・・百姓です。出ていくんです。・・(以下、略)(ドストエフスキー 悪霊2 亀山訳p128-129)

ノヴォデヴィチ女子修道院の全景。ソビエト連邦の崩壊後に修道生活が本格的に復興された。2004年に世界遺産。Anne-Laure PERETTI

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