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これから家族をつくるなら:共同体主義と個人主義との両方に対して、第三の立場としての家族主義

2020年6月12日 金曜日 曇り

小浜逸郎 人生と向き合うための思想・入門 洋泉社 1996年

・・個人主義という場合、じつは、言葉どおりの純粋な「個人」主義と、家族のように直接的な人間関係でまとめられた、私的な共同性をよりどころとする生き方を選んでゆく立場と、その両方を含んでいる場合が多いのです。しかし、議論として意識に上る場合には、いつもこの微妙さが捨象され、そのために、「個人的な生き方が大切だ」というきわめてまっとうな感覚をもっている人が、いつの間にかイデオロギーとしての「純粋個人主義者」に分類されてしまう居心地の悪さを経験しているような気がしてしかたがないのです。

・・・(中略)・・・ 純粋個人原理は、国家とは逆の意味で人間の実存にとってあまりにフィクション性が強く、完全に独立自存した個人などこの世界には存在しようがないということがきちんとふまえられていないからです。・・・(中略)・・・私は、個人主義化の傾向のうち、家族の共同性の充実に結びつくような要素は積極的に肯定したいと思っていますが、イデオロギーとしての個人原理を強調するような思想傾向に対しては反対の立場をとります。(小浜、「これから家族をつくるなら」、同書・第3章、p90)

・・個人主義VS共同体主義のような言説の二項対立構造のなかに、家族の共同性の独特さと、その価値の大切さが姿を現しにくいことに私は不満をもってきました。少なくともこの不満を解消する第一歩として、ここでは、共同体主義と個人主義との両方に対して、それぞれを二重の相のもとにとらえる考え方を提唱しておきたいと思います。両方から、第三の立場としての「家族主義」が析出されてくるでしょう。(小浜、「これから家族をつくるなら」、同書・第3章、p93)

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