biography

我ゆくもまたこの土地にかへり来ん。

2022年12月31日 土曜日 曇り

東條由布子 祖父東條英機「一切語るなかれ」増補改訂版 文春文庫 2000年(単行本は1992年読売新聞社刊、文庫初版は1995年文藝春秋社刊)

 ・・しかし、思いがけず「・・時局極めて重大なる事態に直面せるものと思う。この際海陸軍はその協力を一層密にすることに留意せよ・・」との勅命を受けた祖父は、昭和十六年十月十八日、近代政治史の中でも最も激動の時代に東條内閣を組閣した。・・・(中略)・・・

 十二月六日深夜から七日にかけて、祖母たちは祖父の寝室から忍び泣きの声が漏れてくるのに気がついた。その声は次第に慟哭に変わっていった。祖母がそっと寝室を覗くと、祖父は布団に正坐して泣いていた。

 和平を希求される陛下の御心に心ならずも反する結果になり、宣戦布告をするに至った申し訳なさで身も心もちぎれる思いだったに違いない。(同書、p219)

(補註:東條由布子さんの本は家族による貴重な証言。政治史の大きな流れに関しては、林千勝さんのチャンネル桜大学の講義や「近衛文麿」などの著書をご参照ください。)

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 ・・第二次大戦も終りて、僅か二・三年、依然として現況を見て、日本国の招来に就中(なかんずく)懸念なき能わざるも、三千年培われたる日本精神は、一朝にして喪失するものにあらずと確信するが故に、終局に於いては、国民の努力により、立派に立ち直るものと信ず。

 東亜に生くる吾は、東亜の民族の将来に就いても此の大戦を通じ世界識者の正しき認識の下に其の将来の栄光あるべきを信ず。

・・・(中略)・・・

 ・・ソ連に抑留せられしものは一日も速やかに内地帰還を願いて止まぬ。敗戦及戦禍に泣く同胞を思うとき、刑死するとも其の責の償い得ざるを。(同書、p135)

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 ・・開戦当時の責任者として敗戦のあとをみると実に断腸の思いがする。今回の刑死は個人的には慰められておるが、国内的の自らの責任は死を以て償えるものではない。

 しかし国際的の犯罪としては無罪を主張した。今も同感である。ただ力の前に屈服した。自分としては国民に対する責任を負って満足して刑場に行く。ただこれにつき同僚に責任を及ぼしたこと、又下級者にまで刑が及んだことは実に残念である。  天皇陛下に対し、また国民に対しても申し訳ないことで深く謝罪する。

・・・(中略)・・・

 今回の裁判の是非に関しては、もとより歴史の批判を待つ。もしこれが永久平和のためということであったら、も少し大きな態度で事に臨まなければならないのではないか。

・・・(中略)・・・

 ・・東亜民族も亦他の民族と同様に天地に生きる権利を持つべきものであって、その有色たるを寧ろ神の恵みとして居る。印度の判事には尊敬の念を禁じ得ない。これを以て東亜諸民族の誇りと感じた。  今回の戦争に因りて東亜民族の生存の権利が了解せられ始めたのであったら幸いである。列国も排他的の感情を忘れて共栄の心持ちを以て進むべきである。

・・・(中略)・・・

 辞世

 我ゆくもまたこの土地にかへり来ん国に報ゆることの足らねば

 さらばなり苔の下にてわれ待たん大和島根に花薫るとき

(同書、p138〜142から抜粋)

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補註: いわゆる東京裁判に関しては、

渡部昇一 東條英機 歴史の証言 東京裁判宣誓供述書を読み解く 祥伝社黄金文庫519 平成22年

田中正明 新版 パール判事の日本無罪論 小学館新書 2017年 やその朗読版(菅原拓真朗読、Audible版、2018年)

などもご参照ください。

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