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だれのこころにも共通するのが、道徳

2015年10月21日 晴れ(ただし本別町にて)

 道徳には二種類がある、とする考え方がふつうである。一つは、普遍的なものである。たとえば、人を殺さないとか、人を裏切らないとかいったもので、古今東西を通じて、人々が納得するものである。いま一つは、その時代その社会に適合した慣習である。たとえば、奴隷制の時代では、主人に絶対的に服従するとか、社会主義国家では、私利の追究を禁ずるとか、といったものである。
 この二種類において、前者は不変であるが、後者は時代や社会の変化に応じて変化する。だから、道徳と言うとき、それがいったいどういう種類を指しているのか、まず確かめなくてはならない。(加地伸行 儒教とは何か p99 中公新書 1990年)

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2015年10月9日 金曜日 雨

来週のバックホーレンタルの予約が難航し、すでに午後2時。すぐ近くのレンタル屋さんから運んでくる輸送料が片道2万円往復4万円と、とても出費がかさむこととなった。それでも、不必要な溝に関しては、できるだけ早く埋め戻しておかないと前に進めなくなっているのである。

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加地伸行 祖父が語る「こころざしの物語」他者の幸せのために生きよ 講談社 2011年

人間は機械ではない。こころがあり、感情があり、知性があり、道徳性がある。たとい世帯分離があろうとも、親を持つ夫婦には、自分たち夫婦という絆のほかに、親との絆がある。もちろん、その夫婦にとって自分たちに子があれば、子との絆がある。
 そのように、夫婦という横のだけではなくて、親子という縦の絆があるのだ。この親子の絆を大切にしてきたのが、人類史の大半の時間であった。それも何万年もの時間であった。
・・・中略・・・
 同居---これの持つ意味は大きい。核家族世帯だけの生活ではなくて、祖父母との三世代同居の良さを見直すべきであろう。
 三世代が同居すると、そこに守るべきルールが生まれる。それはそうだ。祖父母、両親、子それぞれにはそれぞれのつごうや異なった考えや感情が生じる。年齢からくることが多い。そういうとき、いっしょに暮らすためにおたがいに譲りあってルールを作ってゆくこととなる。このルールは法ではない。おたがいのこころに共通性を持とうとする。それを別のことばで言えば、道徳である。
 三世代同居の家族は、モラル(道徳)を身につけて生活することになるのである。勝手なことはしない、言わないのだ。逆に、たがいに常に助けあう生活となる。
 ともあれ、夫婦において、その子との絆は存在する。それは、身体的であるほかに、実は精神的なものなのである。それはいったいどういう意味においてか。(加地、同書、p96-98)

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