2016年1月10日 日曜日
中嶋隆蔵 「荘子 俗中に俗を超える」中国の人と思想5 集英社 1984年
史記の荘周伝によると・・・・(中嶋、同書、p33-35より抜粋引用)
荘子が活躍していた時期は、
梁の恵王(在位、前370-335)
斉の宣王(在位、前342-324)
楚の威王(在位、前339-329)
などと同時。
生まれは、宋国の蒙県。
県の漆園で役人をしていたことがある。(司馬遷・史記・老子韓非列伝第三に付載の記事による)
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孟子、彼は、斉の宣王や梁の恵王に召し抱えられ、・・・(中略)・・・「孟子」には、荘周の名が見られない。荘周の思想に対する名指しの批判がまるで見受けられないのだ。(中嶋、同書、p36-37)
荀子は、老子と荘子を、かれに先行する人物として、その思想に注目し批評を加えているのである。・・・荀卿が定めた攻撃目標の一つが、ほかでもなく荘周なのである。・・・(中略)・・・「荀子」に、その基本的立場に対して批評があることから考えても、荘周という人物は確かに存在し、孟子にやや遅れ荀子にやや先だつ生涯において、ものの在るがままの在り方を絶対視する立場から、人間行為の積極的な意味を否定し儒家伝統の仁義礼楽を批判したために、荀子の手厳しい批判を浴びた、ということを確認できるのである。(中嶋、同書、p38-39)
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荀子 孟子の誕生から遅れることほぼ五十年、前四世紀後半に生まれ、三世紀中葉にその生を終えた(中嶋、同書、p38)
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