2021年2月15日 月曜日 曇り
星新一訳 竹取物語 角川文庫 昭和62年
「(私=大伴の大納言は)・・こわかった旅を思い出してみた。そもそも、こんな目に会い、死にかけたのも、もとはといえば、かぐや姫のせいだ。たちの悪いこと、泥棒以上だ。わたしを殺そうとして、こんな話をもちかけたのだ。・・・(中略)・・・きっと、そうだ。ひとの死など、なんとも思わない女だ。・・」・・なにか、すっきりした気分。とにかく、命は助かったのだ。大納言は、戻ってきた男たちに、龍の玉を取ってこなかったことをほめ、いい部下だと、家に残っていた品物をわけて与えた。 おかしな理屈で、その話を聞いて、別居中の奥方は、大笑い。笑いすぎて死ぬかもしれないと、そばの者が心配するほど。(星新一訳・同書、p77)
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太宰の(「カチカチ山」についての)結論を、原文の引用でここにのせる。
曰く、惚れたが悪いか。 古来、世界中の文芸の哀話の主題は、一にここにかかっていると言っても過言ではあるまい。女性にはすべて、この無慈悲なウサギが一匹住んでいるし、男性には、あの善良な狸がいつも溺れかかってあがいている。作者の、それこそ三十何年来の、頗る不振の経歴に徴してみても、それは明々白々であった。おそらくは、また、君に於いても。後略。
後略で終わるなんて珍しいが、太宰の「カチカチ山」についての新説である。「竹取」はそれより昔のお話し。文芸の原点なら、こっちですよ。
「かぐや姫は悪女だ」
大納言の発言は、新鮮だ。そういえばと、はじめて気づくわけだ。もともと、悪女とは不美人の女のこと。「悪女の深情け」は、不美人ほど、つきまとうの意味。私は知った上で書いているのだ。
美人だが悪質という意味になったのは、ごく新しい。しかし、たちまち定着した。つまり、大衆の好みなのだ。その原形が、かぐや姫とはね。
しかし、それも、もとはといえば男の勝手な思い込み。読者や聞き手にとっては、だからこそ面白いのだ。(星、同書、p80-81)
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