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源氏物語の中の遊仙窟

2018年8月25日 土曜日 雨(時に激しく降る)
 
雨のため畑仕事はお休み。この春以来中断していた今泉訳本を(Hs大学図書館で借りて)再開、読み進める。
 
今泉忠義 源氏物語 全現代語訳(十九)浮舟・蜻蛉 講談社学術文庫 1978年(今泉忠義氏は1900年愛知県生まれ、1976年没)
 
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 箏の琴をいかにも親しみの持てるように慰みに弾いている爪音がおもしろく聞こえてくる。
 そうした思いも掛けない時に薫は傍近くお寄りになって、
 薫「どうしてこんなに人の気を揉ませるかのように掻き鳴らしておられるの(注11)」
と、(遊仙窟の文句を引いて)おっしゃるので、誰も驚かないではいられないに違いないかに見えるのだが、多少かかげてあった簾垂(すだれ)を下ろしなどもしないでうつむいていたのを起き上がって、(これも遊仙窟を引いて)
 女房「気を揉ませるとかおっしゃいますが、わたくしに 崔季珪のような(注12)似ているにきまった兄などでございますはずのものですか」
と返事をする声は、まさしくあの中将のお許(もと)とかいった女房の声だったのだ。(またまた遊仙窟の文句を引いて)
 薫「いや、わたしがその御母方の叔父ですぞ(注13)」
とか何とか、引きごとずくめのつまらない冗談をおっしゃって、・・(今泉訳、同書、p226-227)
 
原注 注11 人の気を揉ませる 「故故に繊手(せんしゅ)をもつて、・・」の故故を古注に「ねたましがほ」と訓んであるのによる。
須臾之間,忽聞內裡調箏之聲,僕因詠曰:「自隱多姿則,欺他獨自眠。故故將纖手,時時弄小弦。耳聞猶氣絕,眼見若為憐。從渠痛不肯,人更別求天。」
眼見若為憐 の訓読は、眼に見ればいかんぞ憐(ひとをし)かる」(今泉・原注・注11の訓読、同書、p234)
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補註:
 
遊仙窟:原文:
 
 
ウィキペディアによると・・・ https://ja.wikipedia.org/wiki/遊仙窟
 
『遊仙窟』(ゆうせんくつ)は、中国唐代に書かれた伝奇小説である。
 
作者は唐の張鷟(中文版) )と伝えられる。作者と同名の「張文成」なる主人公が、黄河の源流を訪れる途中、神仙の家に泊まり、寡婦の崔十娘(さいじゅうじょう)、その兄嫁の五嫂(ごそう)らと情を交わし、一夜の歓を尽くすというストーリーである。
唐代の伝奇小説の祖ともいわれるが、中国では早くから佚存書となり、存在したという記録すら残っていない。後に魯迅によって日本から中国に再紹介された
文章は当時流行した駢文(四六文)によって書かれている。
 
原注: 佚存書(いつぞんしょ)とは、中国では失われたが、日本や朝鮮などに伝存していた漢籍のこと。佚存という言葉は、江戸後期の文人、林述斎が『古文孝経』など16編の佚存書をまとめた『佚存叢書』によるとされる。有名な佚存書として、『遊仙窟』や『古文孝経』などがある。
 
日本での伝承: 日本では遣唐使が帰途にあたり、この本を買って帰ることが多く[5]流行した。例えば、奈良時代の山上憶良は『万葉集』に「遊仙窟に曰く、九泉下の人は、一銭にだに直(あたひ)せず)」と記している[6]。また『万葉集』巻4の大伴家持による国歌大観番号の741[7]、742[8]、744番[9][10]の相聞歌も『遊仙窟』中の句を踏まえている。
なお『唐物語』第9篇は張鷟(張文成)と則天武后が絡む話だが、中国典籍が古来不詳である。
 
原注:  ちょうさく、660-732年?:前野直彬『六朝・唐・宋小説選』 p.471、一説に 657-730年(早稲田大学 古典籍総合データベース、遊仙窟慶安5年本)。
 
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補註 遊仙窟にまつわる解説:
ウェブサイトによると・・
<以下引用>https://trushnote.exblog.jp/10654892/
・・まあ、こうした事態が生じたのは故事の引用やらエロ関係をわざと変則的な読み方で韜晦したりしたため読みにくかったせいもあるようです。
 あと、ついでの豆知識。流行の副産物として「遊仙窟」に残された訓点(漢文を日本語にして読むための記号)が古代日本語研究の手がかりになったりしてるそうですよ。
 それにしても、舶来のエロ小説それも本国では忘れられた作品を、成立するや否や取り入れみんなで数百年にわたり愛好して必須教養にした挙句、読み方を神に伝授され(エロ部分を理解できるようにし)た上で内容を恐れ多くも帝に奏上するという高貴で神秘な書物という扱いにまで至るとは。自分たちで作り出した文化作品だけでなく、外国文化の受け入れに際してもhentaiぶりを遺憾なく発揮したものといってよいでしょう。流石は日本、昔から「始まって」ます。
【参考文献】
遊仙窟 張文成作 今村与志雄訳 岩波文庫
中国艶本大全 土屋英明 文春新書
日本大百科全書 小学館
大辞林 第二版 三省堂
<以上、引用終わり>
 
また、別のウェブサイトによると・・
<以下引用> http://akihitosuzuki.hatenadiary.jp/entry/2014/02/04/095640
・・その記述はまさに世界中から性と感覚の快楽の素材が集め尽くされたような宮廷の美学であり、読んでいて思わず陶然となる。エロ小説とも言われるが、実際の性行為の部分はごくわずかで、全体には、出会いから、食と酒の宴、歌と音楽と舞い、庭園での感覚の誘惑、そして最後に閨での駆け引きと性の営みと、快楽の洪水である。その快楽は、唐帝国の各地から集められたものもあるし、神仙の世界から、あるいは想像上の動物や植物が提供する。その底辺にあるのは、生身の肉の性の快楽であり、それが示唆され、視線で言及され、駆け引きが行われ、じらされて、快楽の興奮が高まっていくようなクレッシェンドである。神話が精気になって肉に結集していくかのような感覚である。・・<以上、引用終わり>
 
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また、別のウェブサイトによると・・
<以下引用> 唐代の伝奇小説とされる。本文は100ページほど。現代語訳。訳注が100ページほどと充実。さらに、史料として醍醐寺本の影印が100ページほど続き、25ページほどの解説。今は版切れ。神田の古書店で入手。本文だけであれば、一日もあれば読める分量。http://c5d5e5.asablo.jp/blog/2014/09/13/7434392
 
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また、別のウェブサイトに・・
http://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/lcs/kiyou/pdf_25-3_alt/RitsIILCS_25.3pp.233-243ZHANG.pdf#search=%27遊仙窟+原文%27
『遊仙窟』口語語彙と和訓についての考察(一)
─ 名詞の接辞及び重複を中心に─
 
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また、別のウェブサイトに・・https://sanukiya.exblog.jp/25975822/
とはずがたり 現代語訳 巻一31~36
 
31院の不信
 
 十二月はいつもは神事だの何だのと言って、御所の方では一般にお暇のない時期である。個人的にも年の暮れは何となく仏のお勤めでもしようかと思っていた。ところが、またもあの方が思い立って、殺風景なもののように言い習わしている十二月の月の光を頼りにおいでになった。一晩中語り合っていたら、
 
「『遊仙窟』ではないが、やもめ烏がまだ夜明けにならないうちから浮かれ声で鳴いているのか、憎らしいなと思っていたら、夜が明けてしまっていたとはきまりが悪い」
 
と言って私の部屋にとどまっていらっしゃる。そら恐ろしいと思いながら向き合っていると、御所さまからお手紙があった。いつもより愛情のこもった言葉がたくさん書いてあって、
https://sanukiya.exblog.jp/25975822/
 
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